イノダ本店の朝

京都にいると、ときどきジャカルタにいるような錯覚に陥る。この庭も、そんな雰囲気。

朝のイノダコーヒー本店です。洋服は、20年ほど前に購入したイッセイ・ミヤケ。肩のところが大きなお花でかわいいんです。なで肩隠しには便利。

 

月次祭へ

月次祭。東京から帰洛してすぐに上賀茂神社に向かったので、和服を着る時間はなく、アンサンブルで。同じ色の装束を着た神職さんがいらしたので、神事OKの服とみなしています。

履物の見直し

2年前の満月の夜、点字ブロックにひっかかって転んでから、バレエシューズのような靴しか履かなくなりました。

フランス製。裏がマレーシアのゴム樹脂をつかていて、しなやかなんです。アルシュというブランド、お試しあれ。

 

2018年8月 婦人画報の宴席、七夕の室礼

婦人画報の宴席@全日空ホテルへ。1階ロビーは、染司吉岡先生による七夕の室礼。お料理に出た梶の葉を頂いてきましたので、それを手に記念撮影。

トロピカル調、手書きの絽の着物に、葉が描かれた帯。クロコのバッグはペリドット色。葉月の装いでした。

2018年8月 北斗七星の帯で、七夕の月釜へ

吉田鶴栖居月釜。七夕をテーマにしているというので、夜空を鴨川に映した着物に、北斗七星の帯を締めて。

即位式での天子の礼服には北斗七星が描かれているという説を聞いていた私は、この帯をみつけたとき、つい購入してしまったのです。夏しか締められないというのに。

実は伊勢神宮の外宮にも関係しています。よって、最初は夏に伊勢参拝をしたときに締め、上賀茂神社参拝でも何度か。

足が不自由な墓参

3日月曜日。京都も集中豪雨に見舞われた頃、関東も雷雨がすごかったのです。私は両親の眠る小田急線沿線、生田の霊園に向かっていました。

墓前に着くなり、いきなり稲光。墓石を洗い、供花、お供えをしたところで退散。風が強くて線香つけられず、雑草を全部抜ききれず、しかし、雷が怖くて――。

丘の上の墓地は雷が近いのです。私の上に落ちてきそうで怖いのです。骨折の次は落雷で病院に搬送などとニュースになったりしたら、あまりに恥ずかしい。

牛歩ゆえ5分かけて霊園事務所に着いたころには土砂降りとなったので、判断は正しかったよう。テーピングされた左足が濡れると厄介なので、足にビニールをかけてサンダルを履く不便。両足の自由を得るまで、もう少し。

祇園祭しめくくり

疫神社の夏越祭は10時から。今年は足の手当てのために病院に行っていたこともあり、12時頃に神社へ。鳥居近くに刺さっているチガヤは99%抜かれた後。それでも、茅の輪をくぐり手合わせして、青々としたチガヤを探して、小さい茅の輪を作りました。

ここからが私オリジナルの儀式。赤い紙に「蘇民将来之子孫也」と書いて茅の輪につけ、正月から飾り続けた伊勢の注連縄から木札のみ残してセットします。木札、表には「蘇民将来家之門」、裏にはセーマンドーマンが書かれております。これで悪霊対策バッチリ。(なのですが、赤い紙がなかったので、今年は未だです)。

2018年7月 足の指を骨折

足の指にヒビが入り、歩行困難状態、引きこもりです。当分、靴も草履も履けません。

22日にぶつけて患部がどこかよくわからないまま、万が一ギブスをはめられると動きがとれないので医者には行かず、24日、朝の山鉾巡行から夜中の還幸祭まで、指が当たらない下駄ばきで走り回ったのですが、翌日レントゲンをとると、やはりヒビ。場所がずれていたら手術だったと脅されました。びっこひきひき牛歩状態につき、昨日は東京の会議も欠席。次第にズキズキ痛みが増してきて、京都宅にて籠城中。

例によって治療に最低3週間と言われていますが、痛みが引いたら、左足に白い包帯撒いて、右足は白足袋で、タクシー移動ならお茶会には行けるかもと目論む前向きな私。治療用スリッパに呼応する水色のお草履を、この春、ない藤さんの蔵出しで購入したのを思い出しつつ。