先週までしっかり安静にしていた私は、ついに東京へ。リスケしていただいた仕事を受けることができました。その後、中国飯店で五目焼きそばを食したのであります。
それにしても、この陽気。東京から戻る前に散ってしまうかも、と城南宮へと急ぎました。枝垂れ梅を背景に、わたせさんカバーの『京都で、きもの修行』を撮影したかったのです。窓の外に枝垂れ梅を描いてくださっているので。
小雨降る中、どうにか撮影に成功。雨粒がカバーの上に写っておりますが。そのうち動画もインスタのリールにアップいたします。
節分の夜あたりから体調不良が続いていましたゆえ、紀元節と初午は、それぞれ参拝だけにとどめ、家でおとなしくしております。
この写真は、新刊『京都で、きもの修行』に掲載されています。数年前、#上賀茂神社 で、#年女として福豆撒きのご奉仕 をした時のもので、そのエピソードも記されています。毎年、俳優さんも参加されますが、今年は #名取裕子 さんがいらっしゃるらしい。
纏っている裃など、映画会社から借りているのです。下は自前のきものにしたいとお願いしました。白がなかったので、卵色ですが、全体に柔らかい感じでしょ。巳年以降の人は、もしも奉仕する時には交渉してみてね。
今年の私は、早朝に吉田神社の大元宮の神事、後、上賀茂神社の朝10時からの神事に参列して、洛中に戻ってきました。久しぶりに寒く、しっかり本ビロードの長羽織風コートを纏って。そのコートは、新刊『京都で、きもの修行』最後のエピソード、大晦日の写真でご確認くださいね。
エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin市原。
26日から28日まで市原に滞在し、土曜日は早朝から夜まで講座でびっしり。
土曜日は、ひとつ講座をこなして戻りました。写真はインスタにあげていきます。
鎮魂、供養は大切。と気づかせてくれたのは京都での日々。
1995年の阪神淡路大震災では、私は関西テレビ「関西ワンダラー」のキャスターとして、現場を歩きました。その2年後、97年1月17日に、母が帰らぬ人となりました。
毎年、1月17日は鎮魂の日。犠牲になった人々と、母に思いを馳せて、ひとり静かに手を合わせます。美人すぎて厳しかった母ですが、早すぎる旅立ちに形見となった和服を着こなすことが供養と信じて、コロナ禍前は、ほぼ毎日きものを纏っての京都暮らしを続けました。そうしたエピソードについては、新刊『京都で、きもの修行』に登場しますので、ぜひご高覧くださいませ。
17日は母の命日。東京は短い滞在ながら、墓参。前回の土砂降りとは打って変わって、青空が広がっっていたので、念入りにお掃除。しかし、丘の上ゆえ、風が強くて線香の火がつかず、閉口しました。紫の蘭と水仙、黄色のチューリップ、黄色のフリージア。イースターっぽい色合わせだけど、母の華やかさにあっているので、それらを手向けました。母も一瞬、復活してからいいのに、と思う日々。
ほぼ最終に近い新幹線で、帰洛。