【祇園祭】本来なら「お千度の儀」(FBより振り返る)

2014年はまだ群衆が少なかったのですね。稚児家三代の周囲に空間があります・・・。

7月1日。例年なら、長刀鉾稚児の「お千度参り」をとらえるために、八坂神社へ向かう朝。1か月かけて執り行われる祇園祭の始まるこの日は特別なのです。毎年、気を引き締めつつ、しかしアドレナリン開き始めの瞬間でございます。

この年の私は、バチカンから帰ったばかり。6月30日の夜に関空に降り立ち、四条通で二階囃子を耳にしたときの興奮、いまも忘れません。今年はそれも聴けず、一日3着の夏着物(汗だくになるので羅&浴衣を着まわす)の出番もなく、拍子抜けの朝です。

そういえば、MARSが怖くて中東系航空会社の安いチケットは選ばず、タイ航空でローマ入。乗り継ぎのBKK空港でも、流行地域から来ている人を避けて歩いていました。当時は感染症も局地的で、知恵を絞れば安全に移動できた時代。

誰も彼もが移動すれば、何もかもが広がります。やはり今年は立ち止まって、あるべき姿にもどりましょう。

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【6年前のFB記事】

京都に戻りました!
バンコク経由で着いた関空でシャトル(乗合タクシー)に乗車。一人降ろして四条通に入ると、街は提灯に彩られ、すっかり祇園祭モード。長刀鉾保存会の建物からは、お囃子の音が聞こえてきました。
今日は八坂神社での「お千度参り」。機上にいて逃しましたが、昨年の写真をアップしておきます(今年のお稚児さんは別の方)。
今年から24日に後祭が加わるので、違いをしかと見届けるつもり。明日はいよいよ山鉾巡行の順番を決める「籤とり式」です。

準備体操は大切

あ、またラジオ体操の音楽。1か月ほど前から決まってこの時間に聞こえてくるので当初はラジオかと思ったが、千切屋さん本社ビル完成間近で、現場で働く人々が朝礼前に準備体操をするのだった。そうはしない私はチャリに試乗して足首を捻挫。大いに反省。

水無月、食べそびれるところでした

神社で夏越の祓をしたものの、「水無月」を食べそびれていたことに気づいた私。近鉄の改札手前で「五建ういろ」さんが出店を出していたので、白いのを買いました。明日から始まる祇園祭のお茶碗で一服。

水無月は、東京でもデパートで売られるようになりましたね。京都では、これを頂くのも夏越の祓の一環。水無月の晦日に、下半期の無病息災を祈念して頂くので水無月。

水無月は、白いういろうの上に小豆をのせ、三角形に切り分けたものが基本ですが、最近は抹茶味とか黒糖味とかいろいろあります。小豆は邪気払いとして必須。白三角は暑気払いの氷室だとか。

 

夏越の祓2020

例年の私は、朝は上賀茂神社、午後に上御霊神社の神事に参列し、夜には再び上賀茂神社の境内へ。「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり」の世界を目のあたりにできるからです。橋殿で大祓の詞を奏上しながら、ならの小川に神職が一枚一枚人形(ひとかた)を流すのですが、水の中には篝火があり、火と水で祓う、古来からの神道の考えに基づいています。

今年は上賀茂が神職のみ参列者なしでの斎行を貫いたので貴船神社に行こうと目論んだのですが(こちらも人形を川に流す)、怪我人に雨の山道は危険と判断。府外に出向いたのでした。山奥ではないので、駅からタクシーで境内へ、氏子さんに交じって茅の輪をくぐり、神事に参列。大祓の詞を一緒に唱えて、祓われた気分になったのですが、。

しかし、帰宅後は、5%還元対象商品の購入に集中。八百一でココナツオイルなど保存のきく食材を買い、アマゾン、楽天のカートに保存状態にあるものを吟味して清算。祓を終えたばかりなのに、物欲に走り、さっそく穢れがついたかもしれぬ、なんとも俗っぽい夜となったのでした。

2020年6月 疫病退散の装い 赤のお召しに龍文の帯を締めて

きのうの朝、東京より帰洛。

桜の季節に自粛を強いられ、気づけば、夏。京都は31度でした。

6月再開の月釜に伺うのに、単衣の装いと楽しみにしていたら、この暑さ。絽を着たいけど、あかんやろなあ。

新幹線の中では額アジサイ文の小紋をイメージしてたが、柔らかものは暑く感じられ、疫病退散の装いに切り替えました。終わったあと、南禅寺前のブルーボトルコーヒーへ。暑すぎて、アイス以外、考えられなかった。チコリの何かが入ったのをオーダー。

和服は、赤のお召しに龍文の帯。バッグについているのは、疫病退散グッズ。伊勢の木札、八坂・疫神社の茅の輪、そして、象牙でできた紙垂。揺れることで、祓われるのです。

東京が焼き尽くされた日--合掌

75年前の5月25日22時22分から2時間。米軍のB29 による空襲を受け、東京が徹底的に焼き尽くされました。

犠牲になった人々に思いを馳せ、今夜、線香供養、そして黙祷を捧げます。

東京にいる時は必ずこの時間帯に表参道界隈を歩き、当時の恐怖を共有することを自分に課しています

葵祭 路頭の儀 2018

コロナ禍で中止となった葵祭・路頭の儀。斎行されれば、こんな感じでした。斎王代を中心に、2018年の写真をアップ。京都御所を出た後、下鴨神社の糺の森、二の鳥居で輿から降りて徒歩。境内で使と宮司による社頭の儀をご覧になります。休憩されたあと、加茂街道を北上して、上賀茂神社の一の鳥居をくぐられます。二の鳥居をくぐって神さまにご挨拶した後、再び勅使が祭文を読み上げるのをご覧になられます。祭文は、上賀茂神社に収められます。その後、馬が駆け抜け、これこそが葵祭(賀茂祭)の真髄なのですが、その写真は、また後で。

 

【歳時記 葵祭】 ミアレ神事は12日に斎行される

毎年、5月15日の葵祭を前に、12日、重要な神事が斎行される。新しい生命の息吹を受けて、神さまが若返ると言えばいいだろうか。新たに下ろした荒魂を、本社の和魂と合体させることで、霊力をより新しく強いものにするという考えのようだ。「御生」 「御荒」 「御顕」 「産霊」 。ミアレの思想は、平安時代に信仰されていた。源氏物語にも、「みあれ詣で」が登場する。

この日、朝から夕方にかけて下鴨神社の御蔭 (ミカゲ) 祭が、夜、上賀茂神社では御阿礼 (ミアレ) 神事が斎行される。

下鴨神社の御蔭祭は、朝、神幸列が下賀茂神社を出発し、比叡山山麓、八瀬の御蔭神社じへ。そこで神霊を神馬に遷して、下鴨神社の本殿に迎える。途中トラック移動も入るのだが、糺の森からは神幸列。切芝で、荒魂を載せた神馬に、舞人が東游(あずまあそ)びを奉納し、その後、本殿にお遷り頂く。

上賀茂神社は、20時に社務所を出発。神職と麗人が神山の麓にあたる御生所に向かい、密かに行われる。外部の人間が目の当たりにすることは不可能である。

下の写真は、数年前、八瀬を出発した下鴨神社のご神幸列。