東京で初観音
18日は観音様の日と知ってからは、京都では六角堂を訪れて手を合わせる。ご本尊は如意輪観音だ。
今月は東京にいる。さて、どこに参拝しようか。すぐに思い浮かんだのが浅草の観音様だったが、ちょっと遠い。麻布界隈で探してみたくなった。すると、驚いたことに南青山にあるではないか。永平寺別院の長谷寺(ちょうこくじ)にある観音堂に、十一面観音が祀られているとわかった。麻布大観音と呼ばれる、10メートルの日本最大の木造観音が祀られているのだ。しかも、14時から例祭が斎行されるというので、参列した。
ここの長谷寺には、雲水が滞在する。一般人の座禅体験の機会もあり、10年以上前に一度だけ参加した。頭上には、道元さんの「普勧坐禅儀」が掲げられていた。書塾で臨書したばかりだったので、なんだか感激したのを覚えている。が、観音堂があるとは知らなかった。
昨年は奈良の長谷寺(はせでら)に初めて詣でて、十一面観音さまに手を合わせた。今回初観音に東京に居合わせて、長谷寺(ちょうこくじ)に参拝できたのも、無関係でないかもしれない。
思えば、私が幼いころ、大須観音から遠くないところで育ち、離婚してからは西麻布で過ごし、いまは六角堂付近で暮らしている。ずっと以前から、観音さまにお守り頂いてきたのかもしれない。改めて、ご縁に感謝。
三枝成彰 80歳コンサート
かつて「お茶目な還暦」というフレーズが頭の中を巡ったことがある。イメージしたのは、アートディレクターの浅葉克己さん、そして作曲家の三枝成彰さん。あれから20年が経ったのだと、コンサート告知を見て愕然とした。
17日にサントリーホールで開かれた「三枝成彰 80歳コンサート」。実に感動的だった。
三枝さんのメロディは耳にしただけで胸がキュンとなる。せつなくなる。そこに哀しいドラマが載っているのだから、涙が止まらない。
今回は2本立て。1つは辻井伸行さん委嘱による新作のピアノ協奏曲。もう1つは混声合唱曲の「最後の手紙 The Last Message」。2010年に六本木男声合唱団の委嘱で書いた男声合唱曲に、女性の声を加えた形で編曲し直しての初演だ。
「最後の手紙」は、戦争で命を落とした人々の、人生最後のメッセージである。第2次世界大戦後、ドイツの編集者が、戦争で家族を失った遺族たちに対して、亡くなった兵士たちや反政府運動家たちが、故郷の家族や恋人に宛てて書いた「最後の手紙」を見せてほしいと呼びかけた。2万通以上の手紙が寄せられ、1961年に31カ国202人の手紙をまとめた「人間の声」として出版された。その中のいくつかの手紙にメロディをつけ、レクイエムとし、平和を訴える。三枝さんの優しくうら悲しいメロディに乗せて、それらのメッセージが私たちの細胞の中に染み入ってくる。そして最後映し出される字幕に世界各国の死者の人数ーー。
ここで休憩をはさみ、辻井さんの演奏。高度なテクニックが求められる実にアグレッシブな曲だった。80歳を目前にしてコレを書いた三枝さんも素晴らしいし、耳だけでコレを覚えた辻井さんもすごい。
いま生ある私たちに、力強く生きろと発破をかけられた思い。不本意にも戦争でこの世から旅立った人々の分まで。そして、同じ過ちを繰り返さぬように、何があっても、平和を守るようにと。これを音楽で伝える三枝さんは、「ますますお茶目な」傘寿である。
【追伸】
三枝成彰さんとはエンジン01文化戦略会議でご一緒。最初の出会いは、テレビ朝日の「CNNデイ・ウォッチ」。毎晩放送された深夜番組のキャスターとして。私とは出演曜日が違ったので、共演することはなく、忘年会でご挨拶したきりでしたが、その後、横浜のホテルで開催された年越しコンサートで私が司会を担った際、作曲家としての三枝成彰さんを知りました。この20年余はエンジン01の活動を通して、三枝さんの多岐にわたる才能にも圧倒されつつリスペクト度合いは高まるのですが、しかし、あの大晦日、タクトを振られた美しい姿が本来の三枝さんと私は考えています。これからも、音楽家としてますますご活躍いただきたい。お誕生日は半年先ですが、おめでとうございます!
ヒカゲノカズラで蓬莱飾りを作ってみました
大田神社は10日が大切
瀧原宮のこと
伊勢神宮・内宮の五十鈴川は有名ですが、外宮を浄化してくれる川は宮川です。
以前、この宮川に奉納される花火大会を見に行ったことがあります。伊勢神宮への奉納ですから、日本中の花火師がやってきて、最高の花火を奉納するわけです。対岸であげられた花火を、ほぼ真下で鑑賞。花火の美しさはもちろん、ドーンと大地からその振動がからだに伝わってきて、魂を揺さぶられる感覚、初めてでした。
宮川の源泉となる地域にあるのが瀧原宮。伊勢神宮の別宮です。最初に訪れたのは東京で暮らしていたころ。毎年、家族で伊勢神宮に参拝するという友人に勧められて参拝しました。松阪駅から1時間に1本くらいのバスに揺られて出向き、森の中の坂道をひたすら上がりながら、誰にも会わないので不安になっていると、奥から歩いてしらしたのが神職さん。いわく、「伊勢神宮の中でもここが一番好きなんです」。
たしかに、身を置くだけで、東京で溜め込んだ垢が落とされていくような、すっきりとした気持ちになります。奥の社殿には他に誰も居なくて、いま思えば、神さまを独り占めできる、貴重な体験でした。
京都から年に5回くらい伊勢神宮に参拝しています。内宮、外宮、それに近鉄沿線に近い別宮の三社までは参拝して日帰りできます。しかしながら、この瀧原宮まで歩を延ばすには、一泊するか、車が必要です。ゆえに、車を運転してくれる仲間がいるときのみの御参りとなるのです。また、一度ご縁を頂き、冬至の夜の神事に参列したこともあります。土砂降りの中の神事となりましたが、あの幽玄な世界は格別で、これについては改めて書きますね。
今年は初詣に盛り込んでの参拝。次々に人が訪れて、上る人、下る人、参道がやや混んでいたのに驚きました。地元の方々と思われます。イザナギ・イザナミ様一対の御札をどうするか迷いましたが、神棚が混雑するので、御朱印と土鈴(私が最後の一個)のみ授与していただきました。
等彌神社
奈良県桜井市。古代史に興味を抱いたときから、ときどき参拝に訪れる。最初は巳さんに会いに、大神(おおみわ)神社へ通い、最近はもっぱら等彌神社へと向かう。
この神社は、鳥見山に鎮座されていたという。神武天皇が皇祖神と天津神を祀った場所、霊畤(まつりにわ)だ。初めての大嘗祭が斎行されたところと日本書紀に記されている。
が、私がこの神社を訪れるのは、八咫烏に興味があるからだ。ここには、埴輪にそっくりな八咫烏の像が境内の古い松の下から出てきたというのである。その置き物とストラップを気に入って、お守りとしている。どうやら私の先祖、いや過去世に、ここと縁があったのではないかと夢想したいだけかもしれないが。
なにより、身を置くだけで浄化されるのがわかる。ほとんど人が訪れることのない、地元の人々に愛されている等彌神社で、私自身がリセットされる感じがするのである。
一人境内に立っていると、天高く伸びた木々の梢が何かを語りだす。そのときは私が歓迎されていると勝手に解釈している。凪いで何も気配がないときは、きっと私が反省すべきことがあるに違いない。私には霊感がないので、メッセージが具体的に理解できないのだが、しかし、地球との対話の原点がここにあるように思い込ませてくれるのである。
今年訪れたのは南が吉である4日。次々と地元の企業が仕事始めの祈願に訪れていた。境内は静寂からはほど遠かったが、祝詞を挙げられるときの神社は、特別の気配がある。昨年守って頂いた感謝を捧げて、友人の待つ京都へと急いだ。
あ、ストラップは品切れ。すでに10個ほど色々なバッグにつけて守って頂いているのだが、さらに、と思ったのだが、残念。代わりに、桜井のかるたを購入して帰った。これで桜井の歴史がわかるはず。
鳴虎に会いに報恩寺へ
誕生日が「寅の日」と知って、にわか虎コンシャスの私。宝鏡寺のすぐ南にある報恩寺を訪れた。「京の冬の旅」でレプリカが公開される前に、「鳴虎図」の本物が3日間だけ公開されるというので、最終日に駆け込み。伊東若冲が手本にした絵を拝見するのだから、ここぞとばかりに、若冲「猛虎図」の帯を締めて。
まるで本物がそこにいるようなリアルな絵。白、黒、赤茶。毛が一本一本丁寧に描かれているためだろうか、驚くほど立体感がある。
「鳴虎図」は明の時代、寧波出身の画家、陶イツによって描かれた。その後日本に渡り、16世紀初め、後柏原天皇から報恩寺に下賜されたらしい。秀吉が見初めて聚楽第に持ち帰ったが、夜になって鳴くので寺に返されたという逸話さえ残っている。
明の前は宋。この時代、現代人の想像を超えた文化の発展を遂げた中国。ものすごい数の熟語が生まれたと聞いている。絵画においても、色々な表現が生まれたに違いない。明の時代は、それらを踏襲した可能性が高い。
獰猛なはずのアムール虎。しかし、ちっとも怖くないのは、丸い瞳のせいか。
「寅の日」生まれと知ってから、虎への愛情が深まるばかりの私である。
アキオ流・年越し
大晦日には八坂神社で縄に朮火(をけらび)を頂き、一度帰宅して紅白を少し見て、六角堂で除夜の鐘をつき、そのまま徹夜で上賀茂神社の歳旦祭に臨みます。仮眠したら目覚めないので、徹夜はマスト。おかげで一年に一度、「朝まで生テレビ」を一部見ることになります。
歳旦祭では、薪火に先導されて参進。約1時間ほど本殿での神事を終えて、空が白白としていく中、境内の摂社末社をまわります。その幽玄の世界に身を置けるだけで感謝の気持でいっぱいになるのです。残念ながら、今年は大晦日の雪が残り、かつ雪が散らつくことから、橋殿からの遥拝にとどまりました。
毎年、上賀茂神社の神紋である二葉葵に敬意を表して、葵文の着物に帯を締めて臨むのですが、今年は源氏香文に若冲「猛虎図」の帯を締めて参列しました。
その後、直会(なおらい)をいただけるのも楽しみのひとつ。その後、本殿脇の臨時社務所にて「卯杖」(うづえ、1月14日に卯杖の記事があります)を求めて、お神酒をいただきます。最初は干支のマスと瓶のお神酒を家に持ち帰っていたのですが、最近は干支のマスに樽酒を入れて境内でいただきます。徹夜ゆえ、ヘロヘロになりながら、京都風に大福茶、お屠蘇、お雑煮を頂いてから仮眠いたします。それでは寝正月ではないか、と、もうひとりのワタシが囁きますが、しかし、神さまと一体となれた慶びを噛み締め、かつ、夜の「お節」に備えるためには、必要なプロセスなのです。
最後は伏見稲荷大社に参拝。フラウの「アキオとアキコの京都女磨き」連載の折、伏見稲荷大社のお火焚きについて書かせていただいたときからのご縁。朔日詣りは必須なのです。