新刊『京都占領:1945年の真実』は12月発売

 

1945年敗戦。京都市内にも随所に星条旗が翻った。四条烏丸に進駐軍の司令部が置かれ、二条城脇の堀川通はアメリカ軍の滑走路となり、上賀茂神社のご神木はゴルフ場建設のために切り倒され、祇園歌舞練場は米軍専用ダンスホールへと姿を変えた……。日本降伏の間際、幾度となく原爆投下の候補地としてリストアップされながら、紙一重で悲劇をまぬがれた古都の往時を、日米双方の史料と貴重な証言から紡ぎだす。

 

 

■目次

序章 原爆の標的リストから「京都は外した」

1 原爆ターゲットは「京都駅・鉄道博物館」

2 軍都と化した「伏見稲荷大社」界隈

3 GHQは「平安神宮」がお好き

4 司令官、「烏丸通」に執務室と私邸を置く

5 天皇さんが戻られる「京都御所」をお守りせねば

6 米軍家族住宅が造られた「府立植物園」

7 GHQに狙われた「上賀茂神社」の苦悩

8 軍政官執念の結晶「京都ゴルフ倶楽部」

9 昭和天皇を「仁和寺」門跡に 近衛文麿の画策

10 海軍と「京都大学」の核開発疑惑

11 「清水寺」音羽の水 期待された万能薬

12 義歯、風船爆弾、ダンスホール……「祇園」の変化はしなやかに

13 生き延びた花街「上七軒」と「北野天満宮」の名刀・鬼切丸

14 「聖護院」山伏と司馬 GHQと仏教 茶道華道の文化力

15 祇園祭山鉾巡行の復興 GHQへの口説き文句

終章 古都はなぜ残ったか──「京都の恩人」説を検証する

あとがき

 

禁欲生活、一区切り

先月末に責了となり、
引きこもり生活も一区切り。
これまでの不義理の数々、
どうかお許しくださいませ。
寄る年波には勝てず、発熱もしばしばで、
「うっかり怪我」も避けたいゆえ、
禁欲生活を強いていた次第。
山本益博さん娘のピアノリサイタルなど
責了明けからすでに駆け巡っていますが、遡ってのご報告、お許しを。写真は、夜の部、橋弁慶山町にある原田マハさんのお店YOLOSにて。
ふらっと入っていらした松井市長、
建物オーナー・瀬戸川雅義さんと記念撮影。
みんなハッピー、いい笑顔。
この日は白馬にある「白馬飯店」シェフによる一夜限りのPOPUPイベントで、
お酒も解禁にしてハイボールを飲んだら、
すっかり酔ってしまいました。
そんなこんなの楽しいお席へのお声掛け、
心待ちにしております。
追記:花柄スーツは、ユキトリイ。

真珠湾攻撃で命を落とした方々の御冥福をお祈りします

ハワイに行く日本人は多いけれど、パールハーバーを訪れた人は、どれほどいるだろうか。ぜひ、真珠湾攻撃の現場に立ち、犠牲になった人々に手を合わせてほしい。

あの朝、アメリカ時間では日曜日だったのです。ハワイで7時55分、西海岸では9時55分。カリフォルニアにわたった日系人たちにとっても衝撃が走ります。その後、彼らは強制収容所に送られるのでした。その朝の様子は、『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』21ページに書きましたので、ぜひ読んでみてください。

なにより、私たち日本人は、真珠湾攻撃で命を落とした人々の御冥福をお祈りせねばです。合掌