5月25日も東京大空襲

1945年5月25日夜。22時半から2時間半にわたって、渋谷原宿、品川も世田谷も杉並も、激しい #空襲 を受け、表参道のみずほ銀行前には黒焦げの遺体が山積みになっていました。今宵は犠牲になった人々に思いを馳せて。詳細は『#ワシントンハイツ』第一章「青山表参道の地獄絵図」に記しました.。

錦天満宮 春の大祭

錦天満宮は、京都の台所といわれた錦市場の東端にあります。菅原道真公が祀られているのですが、最近はテレビ番組で井戸水が名水として取り上げられることもしばしば。祇園祭ラバーには、お神輿や、神輿を先導する久世稚児さんとのご縁で特別視されている神社です。25日14時から春の大祭が斎行されました。

次期宮司は現宮司のお嬢さんと決まっています。頭の飾りを新調されたようで、しっかりお写真に収めさせて頂きました。

あまりの暑さに、着物は一見単衣に見える絽。帯は鳳凰の綴れです。

 

蜷川有紀さん個展、日曜日まで

あれは4年前ーー。有紀さんの個展レセプションに出席すべく渋谷公園通りを歩いていると、あれ? 三代目龍村光峯夫人。中に入ると、あれ? 能楽師の河村晴久さん。ここは京都だった?
もちろん、女優や作家がたくさん押し寄せて、東京組もいるんだけど、この京都率の高さは何? と思ったものです。その日は、猪瀬元知事との婚約発表の場でもありました。
猪瀬さんはノンフィクション作家の大先輩。他方、有紀さんとは、服飾デザイナーの鳥居ユキさんのご縁(写真の服もユキ先生のアイリス柄)。朝の番組コメンテータとしてYUKITORIIのお洋服を借りていたたためご招待を受けるようになった東京コレクション。年に2回著名な方々とお目にかかるうち有紀さんともお話するようになり、しかし、ある日、絵も描かれると知って驚きました。さらに、あの猪瀬さんと再婚するというニュースは、目が点!の衝撃でしたが。
舞台「サロメ」が強烈で、女優としての存在感、若いころから注目していました。が、ご本人は子どものころから絵描きになりたかったとか。前回は薔薇一色の印象。実はダンテの『神曲』に挑戦していたのだと知り、感動を新たにした次第。これからの展開が楽しみ!
我家の壁は収納でぎっしりなので、小さめのを購入できればと期待したのですが、どれもこれも欲しいのは、全部赤丸。特にお気に入りの少女の絵は、みんなに愛されているみたい。やはり個展は初日に行かないとだめですね。
そのうち猪瀬さんが会場来られて、例のごとくマイペースぶりを発揮。それを上手にいなす妻ぶりも微笑ましく、最後は、猪瀬さんご自慢の赤いテスラに乗せていただき、西麻布までご一緒したのであります。
個展は日曜日まで。外出したら渋谷駅で下車して、ぜひBUNKAMURAへ。

 

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進化し続ける男

関東の皆さま、ぜひ #日本橋三越 へ。
日展文部科学大臣賞受賞記念・#第十一代大樋長左衛門 展 は17日月曜日まで。
「進化しない男は嫌いだ!」と息巻いていた40代。「君は男に対して厳しすぎる」とよく言われるのですが、当時は特に、前例踏襲主義の官僚やメディア関係者、サラリーマンに苛立っていました。
そんな中、「#大樋年雄」 は「進化する男」として輝いていた友人の一人。そして今回の個展で、20年を経てもなお!進化し続けていることを私は確信したのでした。茶入も、木葉天目も富士山の茶碗も、気になるものは約定済みでしたが、刺激をいっぱい受けるので、ぜひいらしてね。
【追記】
彼の進化の陰には妻の存在があるのです。彼にとって最大の理解者にして、私にとって最高に眩しい存在。この日も素敵な和服姿でお迎えくださったのですが、私は仕事モードの洋服で訪れたので並ぶのが恥ずかしく、別の機会に和服で2ショットをお願いするつもり。

宗像大社、初参拝

福岡の続きは、またまた多忙。未踏の地へと向かった。

博多で目覚めた朝は、宗像大社へ向かう準備。和服で行くか迷ったあげく、伊勢神宮御垣内参拝服を選んだ。沖ノ島へや女性が渡れる道理がないので、ほぼ諦めモードだったのだが、宮司さんへ東京の友人が繋いでくれ、足を運ぶ好機を得た。

博多からJRで東郷へ。そこからタクシー。京都から出雲大神宮に行く感覚である。

詳細はのちほど追記という形で、ここに書くことにする。

唐津焼きもん祭

昨日もまた、忙しい一日。新大阪発、朝7時過ぎの新幹線で、唐津へ。博多のホテルに荷物を預けて、高速バス。茶友で福岡・京都の二重生活をされているマダムAと。

平成最後、令和最初を唐津で過ごし、それ以来。焼きもん祭を少し見て、矢野くんのお茶碗を買う。マダムAのお見立て、わーい。夏に向けて平茶碗として使える。

大島邸でのお茶席では、親子で比翼のお点前。マダムAが見事にお正客を務められ、亭主の和尚がマダムを「岩下志麻さんです」と紹介すると「三木のり平です」とお答えになる。実際、どっちにも似ているのだが、マスクをしているから後者の相似具合が、ご連客にはまったく通じなかった模様。

夜は再びバスで博多に戻り、ご亭主からご紹介いただいたお店へ。おかげで、色々なお料理が、李朝や古唐津などの器に盛られて、口福眼福の夜を過ごしたのであります。

宿泊先は「変なホテル」。恐竜がレセプショニストというので若い人の間では話題らしい。本当は東急ステイにを推薦されていたのだが、日常が戻ってきたら、ホテル代が上がってしまい(安い部屋がすぐに売れただけかも)、予算に見合う若者モードのホテルに泊まる流れになりました。

博多は取材かトランジットでしか来ていなかった街。でも、なんだかワクワクさせるものがある。川面に映るネオンがうつくしい。大阪とは違う魅力がある。若者の姿が目につくのはなぜかな。またまた観察しにやってきたい。

お着物、東京からずっと同じ、藤づくし。3年前と同じでいいのか、と思いつつも、段取り検索と長距離移動で心身ともにヘロヘロだった私。