フレンチ茶事の初釜

二度目の大阪勤務になって、京都で茶室付の物件で暮らす女性から初釜にお招き頂きました。若きフレンチシェフを家に招いて、キッチンで作りつつ、という流れ。茶事を貫く型と、若いからこそできるチャレンジ精神の融合。眼福口福、白ワインでぐいぐい飲んでしまいました。お濃茶の前に。お料理の写真は後ほど。

ヒカゲノカズラで蓬莱飾りを作ってみました

初釜式で待合の床の間に飾られている蓬莱飾りーー。今年は規模縮小でお呼ばれがなかったので淋しくもあり、正月2日の卯の日に自ら作成、神明舎に飾りました。フラワーアレンジメントで学んだドアスワッグとかブーケの感覚で簡単にできるかと思ったのですが、地を這うヒカゲノカズラのくねくね、なかなか手強かったです。紅白の紙はどうしたものか、熨斗紙風に適当に折って、水引をつけてみました。完全な自己流で、ようわからんまま。
ヒカゲノカズラは平安時代から邪気を祓うものとして重用され、いまでも神事に用いられます。上賀茂神社では元旦から節分までの間、「卯杖」が社務所で授与されます。卯杖は、桃や椿などを2本あわせた木に山立花と石菖蒲とヒカゲノカズラを巻きつけたもの。神さまの依代として神札代わりだったと説明されるので、私は榊同様、一対神棚においています。
上賀茂神社では新年初の卯の日に神事が斎行されますが、神前にお供えした卯杖を宮中に献上するのが習わし。それにあやかり、私たちにも社務所で授与されるということのようです。
写真は除夜の鐘をついて寝ずに和服を着て歳旦祭に参列した後。徹夜しているから顔がマンパチで目はショボショボ。この後、境内で寅の枡で樽酒を頂いて、ヘロヘロになるのがこの数年の年迎えパタン。
とまれ、ヒカゲノカズラで神明舎の邪気祓いバッチリです。講座開催の折には、どうぞ安心してお立ち寄りくださいませ。

大田神社は10日が大切

大田神社は、上賀茂神社よりずっと古い。断っておくが、上賀茂神社は奈良時代から存在している。それよりも古くから神さまが祀られていたのです。

上賀茂神社(賀茂社)が皇室との縁を深めていき、一般の人々が二の鳥居の中まで入れなかった時代より前から、大田神社は賀茂族の氏神さまとして地元の人々をお守りしてきたのです。

ご祭神は、あのアメノウズメです。毎月10日には、皇室と日本のために、神楽が奉納されます。加えて、年に3度、宮内庁からのお使いが皇室の代行で訪れます。

私が締めている帯は葵。上賀茂神社の摂社ゆえ、ご神紋は二葉葵。

 

 

鳴虎に会いに報恩寺へ

誕生日が「寅の日」と知って、にわか虎コンシャスの私。宝鏡寺のすぐ南にある報恩寺を訪れた。「京の冬の旅」でレプリカが公開される前に、「鳴虎図」の本物が3日間だけ公開されるというので、最終日に駆け込み。伊東若冲が手本にした絵を拝見するのだから、ここぞとばかりに、若冲「猛虎図」の帯を締めて。

まるで本物がそこにいるようなリアルな絵。白、黒、赤茶。毛が一本一本丁寧に描かれているためだろうか、驚くほど立体感がある。

「鳴虎図」は明の時代、寧波出身の画家、陶イツによって描かれた。その後日本に渡り、16世紀初め、後柏原天皇から報恩寺に下賜されたらしい。秀吉が見初めて聚楽第に持ち帰ったが、夜になって鳴くので寺に返されたという逸話さえ残っている。

明の前は宋。この時代、現代人の想像を超えた文化の発展を遂げた中国。ものすごい数の熟語が生まれたと聞いている。絵画においても、色々な表現が生まれたに違いない。明の時代は、それらを踏襲した可能性が高い。

獰猛なはずのアムール虎。しかし、ちっとも怖くないのは、丸い瞳のせいか。

「寅の日」生まれと知ってから、虎への愛情が深まるばかりの私である。

 

 

アキオ流・年越し

大晦日には八坂神社で縄に朮火(をけらび)を頂き、一度帰宅して紅白を少し見て、六角堂で除夜の鐘をつき、そのまま徹夜で上賀茂神社の歳旦祭に臨みます。仮眠したら目覚めないので、徹夜はマスト。おかげで一年に一度、「朝まで生テレビ」を一部見ることになります。

歳旦祭では、薪火に先導されて参進。約1時間ほど本殿での神事を終えて、空が白白としていく中、境内の摂社末社をまわります。その幽玄の世界に身を置けるだけで感謝の気持でいっぱいになるのです。残念ながら、今年は大晦日の雪が残り、かつ雪が散らつくことから、橋殿からの遥拝にとどまりました。

毎年、上賀茂神社の神紋である二葉葵に敬意を表して、葵文の着物に帯を締めて臨むのですが、今年は源氏香文に若冲「猛虎図」の帯を締めて参列しました。

その後、直会(なおらい)をいただけるのも楽しみのひとつ。その後、本殿脇の臨時社務所にて「卯杖」(うづえ、1月14日に卯杖の記事があります)を求めて、お神酒をいただきます。最初は干支のマスと瓶のお神酒を家に持ち帰っていたのですが、最近は干支のマスに樽酒を入れて境内でいただきます。徹夜ゆえ、ヘロヘロになりながら、京都風に大福茶、お屠蘇、お雑煮を頂いてから仮眠いたします。それでは寝正月ではないか、と、もうひとりのワタシが囁きますが、しかし、神さまと一体となれた慶びを噛み締め、かつ、夜の「お節」に備えるためには、必要なプロセスなのです。

最後は伏見稲荷大社に参拝。フラウの「アキオとアキコの京都女磨き」連載の折、伏見稲荷大社のお火焚きについて書かせていただいたときからのご縁。朔日詣りは必須なのです。

 

 

謹賀新年

  伊藤若冲「猛虎図」の帯を締め、
  西の守護神「白虎」と共にご挨拶。
  「虎は千里往って千里環る」とか。
  誕生日が「寅の日」だったと最近知って、
  気力みなぎる初春です。
  今年もよろしくお願いします。
   令和4年壬寅歳
             秋尾沙戸子