東京では、節分の2月3日には大掃除の日と決めていた。大晦日にちゃんと掃除ができずに年を越したせいもある。だが、立春こそ本当にスタートのタイミングと踏んでいた私は、節分にはきっちり自分の場を整えて、神々をお迎えするのだと決めていたように思う。
段取りはこうだ。朝から掃除を始めて午後3時ころに大阪鮨に恵方巻をとりにいく。雅子皇后が通っていらした美容室の近くに、小さいながらも美味だった大阪鮨があった。通の間で人気店だったから、前日までに予約し、ピックアップにいくのだ。閉店は夕方。だから時間は限られている。
夜。入浴後に豆をまく。マンションだから静かな声で。鬼門である東北から時計回りで。実はそのころの私は、玄関が東北だと思い込んでいた。後に測定し直したところ、玄関の扉はぎりぎり東にあり、東に向けて開くのだ。だから、鬼門は寝室であり、その窓からまくべきだったのだ。思えば、間違った豆まきをしていたわけだ。
その後、部屋を真っ暗にして、恵方巻を食べる。日本酒とともに。あの太巻きを一気に食べるのだから、どんだけ糖質をとることになるやら。しかし、ここは運気をあげるため、一晩限りと思って、一人で平らげていたのである。恵方に向かって、黙々と。喉を潤すための日本酒を近くにおいて。
幸い、東京のマンションは部屋が7階にあり、夜景が美しかった。20時21時くらいでは、まだまだネオンサインが瞬く時間なのだ。すべての音を消した部屋の中で黙々と食するというのは、自分の願い事の整理にもつながり、貴重な時間だった。
おそらくポイントは、掃除を終えたというところにある。大晦日を逃しても、節分には清潔になることで、リセットができていたのだと思う。達成感もあった。やりきったというような。
ところが、ここ数年、節分の掃除も危うくなってきている。もちろん物を増やした私が悪いに違いないのだが、しかし、京都の節分が独特だからである。
ここでは、豆まきの前に神社仏閣を巡り巡って、からだごと厄落としをするのだ。それはそれで、自分の身は浄化されるかもしれないが、複数の自社めぐりは、追い立てられるようで実に忙しい。最初はカメラ持って、2日から節分祭や節分会の様子を撮影していただけだった。それでも、3日の夜中にはヘロヘロになっていたのを思い出す。くわえて、いまは撮影目的だけではなく自分と縁のある寺社をめぐるのだから、豆をまくのがやっと。かつて掃除に当てていた時間を寺社めぐりにあてるのだから、当然の結果である。
神棚や玄関などをきれいにしたら、あとは物が捨てきれないまま、拭き掃除もそこそこに、神迎えの体勢となってしまうのである。
いやいや、愚痴をいうより、まず掃除。わかっているんですけどね。