水屋で過ごした一日

昨日28日は織成館の茶会。朝からうろこ雲。午後から青空になったようだが、早朝から水屋で働きまくり。

おかげで今日は一日腿の前部分がパツンパツンとなり、痛いことこの上ない。早朝は平気だったのに、なぜに10時からこのような痛みが・・・。

着物は菊文に、奄美大島のハイビスカスで染められた櫛織の帯。最後の写真、背後霊は水屋から出てきた三人組。

白の上布に教えられたこと

この着物が私のもとにやってきて、2つのことを教わりました。

祖母の形見、白の越後上布。15年前、叔母たちと祖母の家で遺品の整理をしたとき、箪笥の中に眠っていたものです。彼女たちは大島紬や訪問日などを選び、夏の薄物には興味を示さなかったので、私が形見として持ち帰ったうちの一枚です。宮古上布と並んで越後上布は高価だと聞かされました。そうとは知らず、私はこの着物を手に入れて、とても嬉しかった。祖母がこの着物を纏っている姿は記憶にないのですが、私の知らない祖母に会える気がしたのでしょう。

最初は、祖母の夏帯をあわせて着ていました。深い翡翠色の帯。日焼けして色あせしていたので裏返してかがってもらい、締めていたのです。上布の着物は果たしていつの時代のものか。祖母の着物は時として縫い糸が弱ってほつけてしまいます。縫い直すなら一度洗い張りに、と呉服屋さんに預けたところ「雪晒し」にしてくれたので、真っ白になって返ってきました。見違えるように真っ白に。それまでは、薄いグレーのような印象だったのに。

「雪晒し」とは、雪の上に布を晒してきれいにする手法。後に現場を見に新潟までお連れいただき、眩しいほどの一面の雪原に反物を次々広げていく光景を目の当たりにしました。薬品を使うわけではありません。自然に任せるだけで、あそこまで白くなるとは――。オゾンの力、おそるべし。先人の知恵に感動しました。

白すぎたら白すぎたで、自分の顔が赤黒く見えてしまうと悩みながらも、盛夏には上布を纏っていた私。ほぼ毎年訪れていた京都の祇園祭の宵山で、上布を涼しげに纏う女将さんたちを見て憧れていたからです。

ところが、その白い上布で歌舞伎座を訪れたときのこと。帰る夜道、寒いと感じたのです。8月20日くらい、第三部を観終えた後、日比谷線で六本木駅で下車した21時過ぎのことでした。若手の納涼歌舞伎が開かれ、中村勘三郎丈と坂東三津五郎丈が頑張っていたころです。日中の陽射しに従い、白の上布を選んだのに、夜風は微妙に秋の気配。麻のサラサラ感が寒いのです。私のからだにまとわりついているはずの上布が妙によそよそしく、かすかなる冷気が私のからだを直撃するのです。おそらく洋服を着ていたら、気づかなかったでしょう。ビルが乱立する東京にいても、上布を纏えば季節を感じることができる。これは驚きでした。

日中の陽射しは真夏でも、夜になると忍び寄る秋の気配。歌舞伎座の帰り道に秋を感じて以来、8月末、夜まで過ごすときには絹、すなわち絽の着物を選ぶようにしています。

絹のきものが温かい話は、また別の日に。

 

重陽神事

9月9日のこと。

上賀茂神社の重陽神事に参列。本殿の前に進むだけで祓われる気がします。実にありがたい。

いつもなら、圧倒的な静寂の中、大木に宿る鳥の囀りが心地よく耳に届き、やがて空高く飛ぶ烏の啼き声に神々の気配を感じとる日でもあります。そのたびに八咫烏伝説を思い出すのですが、今年は烏相撲が中止になったせいでしょうか。烏が上空を訪れず、ツクツクボウシが数匹、力強く夏のフィナーレを訴えようとしていました。

実はこの日、30度。洛北であるにも関わらず、早朝から強い日差し。菊文の生紬をまとった私の背中にじとっと汗が滲みます。直会は菊酒。金の酒次から土器にも菊の花びらがこぼれます。神気をおびたお酒と菊花を口に含むと、延寿が約束された気持ちになり、洛中へと急いだのでした。