蛸薬師通のイタリアン「アルコ」。ちょっとマイブーム。美味なパスタは数あれど、とろっとろっに煮込んだタコのパスタが一番の好物。結局これを注文してしまう。
この日は一人だったのでカウンター席。あれ?タコ足のボトルを発見。オリーブオイルが入っていたが、日本ではもう売られていないらしい。残念。
長袖の服が必要なこの日、UNIQLOの子どもサイズのパーカーを羽織ってでかけました。お彼岸過ぎたら、急に涼しくなりましたね。衣替えせんとあきまへん。
堺町の和久傳に寄ったら、もう、おせちの受注が始まっていて、びっくり。季節は確実に進んでいて、あっという間に今年が終わりそう。
あ、TシャツもUNIQLO。キッズサイズ。最近、アパレルのディズニーとのタイアップ増えていますね。なかでもUNIQLOのは、こんなに安くていいのか悩んでしまう。ロットが多いとはいえ、ディズニー側もライセンス料下げたのかも、と勘繰ってしまいます。かつてICEBERGのセーターに13万円も投じていたのが嘘のよう。
実は私は101コレクター。講談社のディズニーファンにも載ったほど。幼いころは、筆箱下敷きにくわえ、手袋も101を持っておりました。
久しぶりに101を見かけたのは1989年、玉川高島屋SCにあったICEBERGのショップで。ショールームに子犬の傘が広げてあり、中に誘われたのであります。時はバブル。子犬、親犬、クルエラが編み込まれたセーターは、すべて13万円くらい。子犬を刺繍した革ジャンにいたっては、35万円ほど。喉から手が出るほど欲しかったけれど、テレビでもまだ薄利多売のレポーターの私にその財力はなく、断念したのでした。
ところが、ソ連崩壊直後のモスクワで、その革ジャンを見ている女性をみかけたのです。羨ましかった。同時に、不思議だった。つい2年前まで一般市民は国から出られず、物のなかった共産圏でICEBERGを着ているなんて、どういうこと? 西欧人の入国も簡単ではないゆえ、彼女はおそらくモスコビッチのはず。美人ではあったが特権階級のお嬢さまには見えず、おそらく外国人にプレゼントされたインターガール(外国人相手の娼婦)ではなかったかと推察しておりました。追いかけて、売ってくれと言いたかったくらい。
コレクターの性と申しましょうか。ディズニーの中でも滅多に商品化されない101ファンの私は、どんな些細なものでもそれを探す目になっておりました。ある日、名古屋の問屋街で紙製衣装ケースを見つけ、折り畳み袋入り状態を持参して、京都の和久傳に向かったのであります。東京に送るにもロッカーに入れるにも、長すぎる状態だったため、そのまま直行。それを見た大女将が、飽きれて仰け反ったのは、皆さん想像に難くないと思います。メインキャスターを勤めていたNHKナイトジャーナルに御出演頂いたご縁でした。
たまたま101を纏ったこの日、私の足は和久傳へと向かったのであります。もちろん女将さんは不在で会話はなかったのですが、しかし、いまでも、時々あの日の違和感が蘇るようで、こう言われるのです。「あのときのスヌーピーが・・・」。いえいえ、あれは、101匹わんちゃんなんですけど・・・、と心中でつぶやく私でございます。
寺町寶來堂さんの月釜へ。この季節、テーマは月か菊か。旧暦の重陽の節句までは菊の可能性も大いにあります。かぶらない装いを選ぶの、気を使いますね。でも、色無地は仲居さんにしか見えないので、正式なお席でないかぎり、色無地は選びたくない私です。
濃い藍に白で丸がくりぬかれているのを満月にみたてて単衣を着ていくか、生紬の菊尽くしの着物に、透け感のない帯を締めるか、萩に桔梗が少し描かれている縞のきものに蝶の帯を締めていくか(蝶は萩がお好き)、さんざん迷ったあげく、萩文を選んだのでした。
結果、床のお花に白い桔梗が生けられ、お茶碗のひとつには紫の桔梗が描かれていたのであります。あっちゃー! (最後の写真、お茶碗を持つ私の手のすぐ左に、青い桔梗が描かれているのですした。目立たないけどね)。
しかしながら、この日の気温は31度。夕方からのお席でも、単衣では暑くて耐えられなかったと思います。よって、月のお召しにしないで正解。蝶の帯でさえ、夏の透け感があるものを締めればよかったかもと後悔。ベストは、菊の生紬に、ハイビスカスで染められたサーモンピンクの、くし織の帯がよかったかなあと、いまでも思っております。
9月9日は「重陽の節句」。久々東京で過ごしたが、無いの、無いの、菊の気配がどこにも無いの。
いやあ、日本の伝統文化を消し去った明治政府の罪は重い。
できれば、菊のきもの(写真参照、生紬の小紋、帯は祖母の形見)を着て重陽神事に参列したかった。唯一東京大神宮では例年、菊酒がふるまわれるようだが、コロナで中止。これは仕方ない。だが、花屋には小菊しかないし、高級スーパーにも食用菊がない。日本酒に浮かべるつもりが、これも断念。この日限定虎屋のお菓子は栗モチーフだし。なんなの、東京の味気ない日常は。
9月9日の重陽の節句は、奇数(=陽数)が重なるから、注意しようという日。陽はポジティブだが、強すぎるのも善し悪しという意味と解釈している。3月3日、5月5日などとならんで、江戸時代までは奇数が重なる日を五節句とし、神事が斎行された。宮中では、前日から菊の露をしみこませた綿で躰をふいたり、菊の花を生けたり、菊を入れたお酒を飲んで、厄払いをしたのである。中国由来の菊には不老長寿の力があると信じられ、結果、この日は菊の節句とも呼ばれる。虎屋が栗のお菓子なのは、一般庶民の間では五穀豊穣に感謝して栗を食す習慣もあったからである。
京都では、いくつかの寺社で菊酒がふるまわれる。私は例年、上賀茂神社の重陽神事に参列し、烏相撲を拝見。八咫烏の帯を締めて、出向くのが常である。
八咫烏の帯にあわせているのは、母の形見で、実は羽尺だった。帯9月に向日葵の羽織は暑くて無理なので、帯ががくるあたりに黒い布を入れて、着物に仕立てたもの。アバンギャルドな向日葵文は、菊のお仲間と解釈して、この日に着ている。しかしながら、着物でも単衣はまだ暑い。
で、誂えたのが、菊の着物(写真)。帯として売っていたのを見て、着尺に染めていただきました。生紬なので透けません。単衣扱いで許されると信じて、重陽の節句用に誂えたというわけです。写真の祖母の帯は透け感があるので、このころまで。9月半ば以降のお茶会には、若冲の雉の帯か、ハイビスカスで染めた、くし織を考えています。