75年前の5月25日22時22分から2時間。米軍のB29 による空襲を受け、東京が徹底的に焼き尽くされました。
犠牲になった人々に思いを馳せ、今夜、線香供養、そして黙祷を捧げます。
東京にいる時は必ずこの時間帯に表参道界隈を歩き、当時の恐怖を共有することを自分に課しています
75年前の5月25日22時22分から2時間。米軍のB29 による空襲を受け、東京が徹底的に焼き尽くされました。
犠牲になった人々に思いを馳せ、今夜、線香供養、そして黙祷を捧げます。
東京にいる時は必ずこの時間帯に表参道界隈を歩き、当時の恐怖を共有することを自分に課しています
毎年、5月15日の葵祭を前に、12日、重要な神事が斎行される。新しい生命の息吹を受けて、神さまが若返ると言えばいいだろうか。新たに下ろした荒魂を、本社の和魂と合体させることで、霊力をより新しく強いものにするという考えのようだ。「御生」 「御荒」 「御顕」 「産霊」 。ミアレの思想は、平安時代に信仰されていた。源氏物語にも、「みあれ詣で」が登場する。
この日、朝から夕方にかけて下鴨神社の御蔭 (ミカゲ) 祭が、夜、上賀茂神社では御阿礼 (ミアレ) 神事が斎行される。
下鴨神社の御蔭祭は、朝、神幸列が下賀茂神社を出発し、比叡山山麓、八瀬の御蔭神社じへ。そこで神霊を神馬に遷して、下鴨神社の本殿に迎える。途中トラック移動も入るのだが、糺の森からは神幸列。切芝で、荒魂を載せた神馬に、舞人が東游(あずまあそ)びを奉納し、その後、本殿にお遷り頂く。
上賀茂神社は、20時に社務所を出発。神職と麗人が神山の麓にあたる御生所に向かい、密かに行われる。外部の人間が目の当たりにすることは不可能である。
下の写真は、数年前、八瀬を出発した下鴨神社のご神幸列。
この日は報道席から撮影したので、私は和服を着ておりませんが、和服好きには十二単の襲に興味がわくと思い、掲載します。
葵祭のヒロイン「斎王代」が手を清める「禊の儀」。昨年は下鴨神社、今年は上賀茂神社で執り行われました。写真は手を清めるところですが、人形に息を吹きかけ、奈良の小川に流す禊の作法が重要なのです。女人列の50人も人形を流しました。
ところで、斎王代は、「代」というくらいですから、本物ではありません。本来は内親王が奉仕されていました。戦後、葵祭のヒロインというポジションが生まれました。京都で代々続くお家のお嬢さんが選ばれます。芸能界のように、ぽっと出の女性が出るわけにはゆきません。
葵祭当日も、斎王代が一の鳥居で腰輿(およよ)を降り、左下のように童女に裾を持たせて歩いて参進するのですが、今年はあいにくの大雨。この日に撮影できて、本当にラッキーでした。ドロップのように色とりどりで美しい、女人たちの装束もお楽しみください。