秋の書展、明日の選考会を前に、京都の寺町通にある額縁屋へ。先週の東京稽古で、表層は額縁にするよう先生より助言を頂いたゆえ。
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帰洛
10時からの「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」の月例会議に出るため、朝の新幹線で東京から戻ってきたのだが、京都疫から二条駅までの接続がうまくいかず、MKタクシーに乗る。しかし、この方法でも遅刻。電車にしてもよかったかな。散財した意味ない、と思ってしまう主婦経験者の私。
送られてきていた原稿を直しかけ、マンション管理組合総会に出席。戻って直しの続き。目がしょぼしょぼ。
免許書き換え、麻布十番、自由が丘
誕生日の前後1カ月にあたる9月10日までに書き換えの手続きが必要。東京都庁へと向かう。うーん、5年前の写真のほうがいい顔している。和服だったし。
その後、麻布十番の歯医者で治療。パン屋ポンパドールでパン+コーヒーと思ったのに、お店が消えていて、がっかり。出来立ての台湾のお店でピスタチオのソフトクリームを食す。あ、たぬき煎餅の道を隔てたお隣です。
そのあとのアポは再び麻布十番なのだが、夜まで時間があるので、自由が丘に出向いて、アルシュ直売店を覗いた。おそらく30年ぶりくらいの自由が丘(駅の反対側にはよく行っていたのだが)。優雅な主婦が喜びそうなアンテナショップがいっぱい。雑誌とリンクしていそうな光景だ。熊野神社の幟もたくさん掲げられている。近々、秋の例祭があるのだろう。ここに熊野神社があったとは。
さて、再び麻布十番へ。驚いたのは東急線。名前が変わっていて、さっぱりわからん。大岡山で麻布十番に出るのが早いのだが、目蒲線って呼ばないのね。なんなんだ。
インド帰りのマコちゃん宅を訪れ、帰宅したご主人とイタリアン・レストランへ。週末の麻布十番祭りの後、お休みの店も多い中、営業していてくれて、ありがとう。初めてのお店、料理の写真は撮ったのだが、店名を忘れましたゆえ、あとで調べて書きますね。グリル満点星の向いにあるお店です。
さよなら、ホテルオークラ別館
美容院でカラリングの後、ホテルオークラのバーへ。9月の本館オープンを前に、別館のレストラン・バーは8月末で閉じるのだという。ホテル自体は、別の経営者にわたって運営されるらしいのだが、レストランとバーは閉じて、スタッフも9月からは本館で働くことになる。
実は、私は別館12階で25歳のときに結婚披露宴を行っている。離婚したのだから、その建物が無くなったところで執着はないのだが、弟が成人したときもレストラン「ベルエポック」で祖母も一緒に祝ったことを考えると、少し寂しい気もちにもなる。
ま、この20年ほどは、オークラではバー通いがほとんど。レストランの食事は重たくても、バーのメニューなら、はほどよく満足できる。上階フロアのグリルや隣のカフェにも、ときどきお世話になった。
私はホテルのバーが好きだ。外国人観光客をウォッチングするのも面白い。どんな歴史を背負って、ここにいるのだろうと妄想を膨らませるのが楽しいのだ。私も海外に行くと、自分は安宿に泊まりながら、大手ホテルのバーに出向き、一人でくつろぐ。ワシントンDCのジョージタウン大学大学院に中年留学したときでさえ、ハッピーアワーを狙い、有名ホテルのバーで過ごしたものである。アメリカだと料理に当たりはずれがあるのだが、どこのバーでも、カラマリ・フリットス(烏賊のフライ)はハズさなかった。
バッグはCOACH。黒のワンピはオレボレブラ。豚モチーフは胸にワンポイントのみで、襟まわりはフラワーが施されているので、バッグのフラワーと連動。新幹線に乗るときは腰痛再発を食い止めるためにバイオラバーを巻いています。なので、ちょっとマタニティ風デザインのこの服が便利なのです。
書の稽古、東京教室へ
書のお稽古@東京。書展に出す文字を見てもらうために東京へ。京都教室より1週間早いから、時間稼ぎ。京都での作品選考会は9月1日なので、その間に形にできる。また綱渡り。いつも綱渡り。
片付けを終えて、表参道の川上庵へ。この界隈で暮らす塾生のHさんと久しぶりに談笑。コーンの天ぷら、美味だった。写真はのちほど
スピンオフ会議
明日の京都、文化遺産プラットフォームの会議(スピンオフ)@立命朱雀キャンパスに出て、整体へ向かう。明日は早起きして、書展に出す作品の候補をいくつか書かねば。
浴衣の自分発見!@「京都人の密かな愉しみ Blue 修業中 祇園さんの来はる夏」
ながら、で見ていました、NHKのこの番組。前半は昭和天皇の番組とザッピングしつつ、後半は、こちらにフィックスして。
もう終わるであろう時間帯。あれ? 私と思しき人物が映っているではありませんか。でも、人違いかも。録画していなかったので確かめる術もなく、あれ?というモードのまま。しばらくして、「さとこさんだよね」というメッセージがいくつか入り込んできて、やはり自分だと確信した。
半分ドラマ、半分ドキュメンタリーだから、映り込むことありかもだが、撮影されていたことに気づかないなんて。メディアにいた人間として、わきが甘いですね。
9月に再放送があるようです。さて、私はどこにいたでしょうか。確かめてね。もちろん、浴衣姿だよ。色は写真のグリーン系。ヒントは御旅所。
追伸:【答】は最後の最後でした。
終戦記念日 デイリー新潮
今日は終戦記念日。戦争で犠牲になった人びとのご冥福を改めてお祈りするとともに、74年間、日本が平和でいられたことに心から感謝します。
昭和20年8月15日、少なくとも東京は晴天でした。玉音放送を聴いた市井の人々@原宿表参道は、「これで新しい時代が始まる、もうB29(焼夷弾)に怯えなくていい」。そう思ったといいます。5月25日の山の手空襲で、彼らがどんな経験をしたか、『ワシントンハイツ』第1章をぜひ読んでみてください。
日本を焼き尽くすために実験家屋を設計したのはアントニン・レーモンドです。その事実を知ったのは、2003年、ワシントンDCのジョージタウン大学の外交フェロー時代。いまでこそ周知となった事実を知る人は、15年前の日本には、ほとんどいなかった。レーモンドは母校・東京女子大を設計した、日本で人気の建築家です。私はショックのあまり、隈さん(その後、歌舞伎座や国立競技場を設計して巨匠となっている建築家)にメールして訊ねたほどです。彼も当時は噂レベルの知識しかお持ちでなかった。日本国内では、その程度の認識でした。
「デイリー新潮」に、実験家屋にまつわる記事が出ていますし、『ワシントンハイツ』第2章「ある建築家の功罪と苦悩」をご高覧下さい。
科学者や建築家の才能が、戦争になると、国家権力にどうからめとられていくのか、私たちは覚えておく必要があります。本庶先生がノーベル賞を受賞できたのは、戦後ずっと平和だったからにほかありません。一つ間違えば、原爆開発や731部隊に手を貸す運命が待っていたのですから。先生が受賞スピーチでそのことに触れなかったことは、実に残念です。
私が『ワシントンハイツ』を勧めるのは、大国の思考回路を知ってほしいから。事実を知らなければ、何を選択すればいいか、見えてこないから。8月は、それを考える季節です。文庫は安いので、ぜひ読んで。それから日本の未来を考えましょう。
新潮デイリー「戦争と日本人」には下記サイトから入れるはずなのですが。
2019年8月 奈良の隠れ家サロン「三五夜」へ 小百合文で
奈良の隠れ家サロン「三五夜」さんへ。ここの月釜、今日がデビューです。
まずは、立派な蓮に圧倒されました。朝一のお席だったから、蓮が最も元気な状態です。しかも、大好きな桜井で生息しているものをお持ちになったと聞いて、興味津々。桜井は古代史の秘密に満ち溢れている土地なのです。
お正客の大西さん(三船祭以来お目にかかるの2度目)のお話が面白すぎて、笑いをこらえてお点前されるの大変だったかも。笑顔がいっぱいのお茶席。お茶もお菓子も美味しく頂戴いたしました。ありがとうございます。
盛夏のお茶席に何を着るかですが、襦袢を着れば、お茶席に浴衣を着て大丈夫と京都に来てから教えられ、この日、初めてトライしました。襦袢が麻なのもあって、涼しく過ごせます。
小百合文の浴衣は、生地でまとったときにアジアの空気満載でしたので、東南アジア訪問に買いました、セールで8千円。
帯は蝶文の絽。この襦袢を着れば、お茶席に浴衣を着て大丈夫と京都に来てから教えられ、この日、初めてトライしました。襦袢が麻なのもあって、涼しく過ごせます。帯は蝶文の絽。この夏、よく活躍しました。
ガダルカナルのこと
皆さま、お誕生日messageありがとうございます(お返事は徐々に)。
先ほど帰洛。Nスぺ「激闘がダルカナル悲劇の指揮官」をみています。スタッフは新資料を発見しただけでなく、昔のフィルムを最近の技術を使って蘇らせたみたい。ガダルカナルで何が起きたかは知っておくべき。