東の葵祭が終わると、西の三船祭ですよ、と京都に来たばかりのころに教えられ、撮影に出向いた年は雨でした。それでも、お茶席も含め、何隻も船が出て、なんて優雅なのだろうと感動したものです。その翌年は川の氾濫でしばらくお休み。3年ほど前から復活していましたが、まさか私が乗船できるとは! あいにくの風で出た船は3隻のみ。それでも、歌を詠みながら、今様を愉しみました。みなさん、ありがとうございます。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2019年 葵祭へ葵の小紋で
2019年5月 上賀茂神社へのお献酒は、葵尽くしで
2019年5月 賀茂競馬へ、合間に河村青嵐会へ、端午の節句(馬と兜)文の帯と菖蒲文の襦袢で
5月5日は賀茂競馬。GQに寄稿しているコラムで、行くと書いたからには、万難を排していくのでありますが、同じ日、神明舎オーナーの富家さんの発表会を見るために、河村能楽堂へ。お能の帯は諦め、端午の節句の帯で。本当は青系の無地がよかったのですが、ほつれている箇所があったので断念。一人でしたので、走る馬を背景に撮影するわけにはゆかず、最後になんとかお役目終わった馬背景に撮影できないかなあと思ってたら、声をかけてくれた人いたのでした。あの、植治12代、小川勝章さんです。家族連れで賀茂競馬にいらしたところ。そこでスマホをお渡しして撮影頂いたというわけです。
端午の節句は菖蒲で清めます。帯を節句文にした私は、襦袢を菖蒲文にしておりました。
令和元年 おめでとうございます
平成から令和へ。New Era’s Eve は、唐津で過ごしました。令和初日の午後は太宰府天満宮へ初詣。指定をおさえていた新幹線には間に合わず、最終の自由席で先ほど帰洛したところでございます。まずは御朱印の写真をお楽しみください。
2019年5月 令和元年藤尽くし@唐津城
2019年4月 平成最後のお茶会@唐津やきもん祭へ 牡丹にオナガの帯で
平成最後の日に、旧大島邸にて山西和尚様が亭主を勤められるお茶席に呼んでいただききました。
日本料理ひら田さんによる懐石料理は、現代陶工さんたちの器に美しく盛り付けていただきました。一人一人違うので、お隣の器も気になったり、陶工の皆さんの名前を一度きいただけでは覚えられなかったりでしたが、しかし、すばらしい器にため息が出たことは確か。お料理も美味。
続いて、新緑のお庭にある待合で香煎席。柳宗悦のお軸は「サバクヤ心、袱紗サバキツ」。ご亭主・三隅さんの語り、癒されます。
本席の様子は写真に収めたなかったので掲載できませんが、お茶室の写真は、翌日の跡見でお楽しみください。
一席目ゆえ、早起きして着替えたところ、なんと帯枕を忘れてきた私。ホテルの部屋のタオルを使って、この日はひとまず切り抜けました。だから現地和服は最初から和服で通すのが賢いのですが、今回は前日に洋服で新幹線で移動。あまりの土砂降りと、連休中なのに指定がおさえておらず、立ちを覚悟したためです。結果、大阪発の「さくら」は、早々に並んだら座ることができましたので、和服でも大丈夫だったかも。でも、未踏の地はやはり不安材料が多いので、実は洋服が楽なんです。
朱の色無地に、帯は牡丹とオナガの刺繍。この後、唐津焼をいろいろ見てまわりつつ、呉服屋さんで帯枕も購入。お席でご一緒した地元の方々にご案内いただきました。感謝。
夜、皆さんで食事をご一緒してホテルに戻ったら、平成の残すところ10分ほど。あわててテレビをつけて、その感動を共有したのでした。