八坂の塔が見えるのもごちそうの一部。しかし、それだけではありません。インテリア、サービス、食事、東京的に納得のいくもの。お食事の写真は、京都サトラギ日記にアップしています。
京都は15日までお正月。そんな空気の中、寒色を選ぶ気にはなれません。よって、朱の無地に、選帯は、尾が長めの鳥が刺繍されたものを。「雉始雊(きじはじめてなく)」という季節にふさわしく、と勝手に解釈した次第。
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
1月9日。祇園えべっさんの巡行船は四条烏丸で折り返し、長刀鉾町会所では御旅所のように参拝が行われるのです。小さなえべっさんに手合わせして、東に戻っていかはります。
えべっさんが八坂神社に祀られるようになったのは平安時代と古く、大阪の今宮戎神社へは、今宮に移り住んだ八坂神社の氏子が、祇園の「えべっさん」をその地にお祀りしたことに始まるのだとか。
早々に鏡開きしたお餅、美味でした。ありがとうございます。
さて、この日の帯は、餅花。鯛もいるので、えべっさんに締めています。帯留は、羽子板型に宝尽くし。京都は15日までお正月ゆえ。
初釜式。かなり早く到着した私は、寺之内界隈を散策。な、なんとイノシシがいらっしゃるではありませんか。
イノシシといえば、護王神社。元旦からとんでもなく長い行列で、参拝どころではないのだが、列に並ぶくらいなら、ここで参拝すればいいのだ。ほうら、年男でいらっしゃる、あの方のお名前もあるではないか。
などと、小さな発見に満足して本席に伺えば、お家元がちゃんとこのイノシシについて言及されていました。
着物は母の訪問着。30代のころから結婚披露宴などで着せてもらっていましたが、間違ってもお茶席に着るなと言われていたもの。膝の絞りが伸びるからです。ま、お呼ばれの側だし、躙り口も通らないので、許してね、母上、といった気分で袖を通しました。毎年、色留や訪問着を違えて着、一巡したので、こちらを(東京では一度、京都では初めて)。
帯は南座開場式とは違います。帯は豪華過ぎと叱られるかもですが、嫁入りに持たせてくれた龍村です。母はトランクルームに入れて大切に保管してくれていましたが、この年齢になると、眠られせるうちお迎えが来るのもつまらないので、初釜に締めてみました。
1月3日は八坂神社で初能。宮司さんに新年のご挨拶をしたら、「いやあ、帯を見て感動しました。この場にふさわしい帯をありがとう」。三番叟だから翁の帯に翁の帯留で鑑賞した私。
今年の三番叟は金剛流、仕舞が観世流。隔年で担当されます。そのあとはお琴と尺八。そして、初かるたと八坂の行事は続くのです。
とにかく、さーむかった! 片山さんの仕舞と三好さんの尺八演奏を途中まで聴いて、祇園街の門松を撮影してから鍵善へ。
実は、私の右隣で観ていたのは鍵善当主。「初くずきり目論んでいるんですが、今日はお店あいていますか」「はい、10時から。いやあ、帯を見て、秋尾さんとすぐわかりましたよ」
この帯の絵の良しあしはともかく、こんなこだわり秋尾はくらいだ、アホやなあと思われている気配。ま、覚えて頂けるのは良きことと都合の良い解釈をしましょ。
帯はどこで手に入れたか、アンティークです。前は扇子に松。能楽師の扇に注目すれば、なるほど松が描かれいるのです。帯留は、六本木にあったトシカネで。六本木ヒルズの誕生でお店は消えましたが、店主へのインタビューは拙著『ワシントンハイツ』に出てきます。有田焼のアクセサリーは米軍将校のお土産物として人気となりましたの、当時。