工事に取り掛かる前の西本願寺飛雲閣。これまで足を踏み入れることが許されなかった飛雲閣の、それも茶室にてお茶がいただけるというので、馳せ参じました。実は浄土真宗の我家。先祖供養のため、本堂でのお詣りも忘れず。
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
工事に取り掛かる前の西本願寺飛雲閣。これまで足を踏み入れることが許されなかった飛雲閣の、それも茶室にてお茶がいただけるというので、馳せ参じました。実は浄土真宗の我家。先祖供養のため、本堂でのお詣りも忘れず。
昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった「山の手空襲」の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。
表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲になっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。
酉歳で鳥に敏感になっているものの、まさか神泉苑境内でアヒルを見るとは思いもかけず。
琵琶湖の畔にあるドイツレストラン。著名な教育のプロ2人とランチをご一緒しながら、日本の未来について語り合いました。潮風ではないので、べたべたせず心地いい風に癒されます。母のお召しに、ツバメの帯。日傘は、モスキーノの傘。ミラノで買いました。
御霊神社の例大祭です。今年は京都御所もめぐるということで、神輿が出発した後の境内は静かで、神々しいまでの光がさしていました。
上御霊さんは、イチハツの花でも有名。一見、アヤメに見えますね。氏子や崇敬会の方々が大切の育てていらっしゃいます。
私はといえば、アヤメ文の帯を締めたいがために、貝紫の着物を選んでいます。単衣なのですが、裾回しをつけて人形仕立てにします。
葵祭当日。京都御所と下鴨神社ではカメラを持って走り、上賀茂神社では、招待枠のテント内の椅子に腰かけます。
よって、下賀茂神社・糺の森で右にいる外人記者たちのような黒づくめではなく、和服姿を通している私。いつもは、葵桂の紗袷に葵の帯。今年は葵桂の小紋をまといました。このいでたちのまま、新幹線に飛び乗って、東京で翌日の会議に出ました。
神社好きの友人と綾部八幡宮に参拝した後、グンゼ研究所へ。薔薇園があるというので、薔薇の刺繍帯を締めていきました。
薔薇祭初日。なのに、いえ、だからというべきか、薔薇はあんまり咲いておらず、アーチをくぐっても、淋しい写真になっております。
大昔、米軍基地でアンティークきものを売られていた福生のマイコさん。その後、お店に伺って購入した薔薇の帯です。『ワシントンハイツ』を書くはるか昔のこと。その米軍基地にいざなってくれた友人は、六本木の星条旗新聞へも案内してくれています。その話は『ワシントンハイツ』16章に生かしました。
着物は、三条通の一加さんのセールで。細かい市松文様です。
5月5日の賀茂競馬が斎行される前、5月1日に行われる予選を、足沙式と言います。
パドックで市長と記念撮影。実際の競技では、お客さんに同行した舞妓さんと隣あわせました。
上賀茂神社神紋の葵は、この季節大活躍です。