工事に取り掛かる前の西本願寺飛雲閣。これまで足を踏み入れることが許されなかった飛雲閣の、それも茶室にてお茶がいただけるというので、馳せ参じました。実は浄土真宗の我家。先祖供養のため、本堂でのお詣りも忘れず。
工事に取り掛かる前の西本願寺飛雲閣。これまで足を踏み入れることが許されなかった飛雲閣の、それも茶室にてお茶がいただけるというので、馳せ参じました。実は浄土真宗の我家。先祖供養のため、本堂でのお詣りも忘れず。
昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった「山の手空襲」の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。
表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲になっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。
表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分頃。これを読んでくださった方は、できれば黙祷を。毎年、犠牲になられた方々に思いを馳せることが供養だと考えています。
昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった「山の手空襲」の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。
表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲になっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。
酉歳で鳥に敏感になっているものの、まさか神泉苑境内でアヒルを見るとは思いもかけず。
琵琶湖の畔にあるドイツレストラン。著名な教育のプロ2人とランチをご一緒しながら、日本の未来について語り合いました。潮風ではないので、べたべたせず心地いい風に癒されます。母のお召しに、ツバメの帯。日傘は、モスキーノの傘。ミラノで買いました。
御霊神社の例大祭です。今年は京都御所もめぐるということで、神輿が出発した後の境内は静かで、神々しいまでの光がさしていました。
上御霊さんは、イチハツの花でも有名。一見、アヤメに見えますね。氏子や崇敬会の方々が大切の育てていらっしゃいます。
私はといえば、アヤメ文の帯を締めたいがために、貝紫の着物を選んでいます。単衣なのですが、裾回しをつけて人形仕立てにします。
葵祭当日。京都御所と下鴨神社ではカメラを持って走り、上賀茂神社では、招待枠のテント内の椅子に腰かけます。
よって、下賀茂神社・糺の森で右にいる外人記者たちのような黒づくめではなく、和服姿を通している私。いつもは、葵桂の紗袷に葵の帯。今年は葵桂の小紋をまといました。このいでたちのまま、新幹線に飛び乗って、東京で翌日の会議に出ました。
神社好きの友人と綾部八幡宮に参拝した後、グンゼ研究所へ。薔薇園があるというので、薔薇の刺繍帯を締めていきました。
薔薇祭初日。なのに、いえ、だからというべきか、薔薇はあんまり咲いておらず、アーチをくぐっても、淋しい写真になっております。
大昔、米軍基地でアンティークきものを売られていた福生のマイコさん。その後、お店に伺って購入した薔薇の帯です。『ワシントンハイツ』を書くはるか昔のこと。その米軍基地にいざなってくれた友人は、六本木の星条旗新聞へも案内してくれています。その話は『ワシントンハイツ』16章に生かしました。
着物は、三条通の一加さんのセールで。細かい市松文様です。