最近は、こげ茶か黒のクリップで髪をアップにしておりますが、濃紺とシルバーグレーのリボンで成り立つクリップが出てきたので、龍の丸文に合わせてみました。
これには苦い思い出があります。歌舞伎座に、こげ茶のクリップで出向いたのですが、化粧室で束ね直しているうちに、パチン! 突然壊れたのでした。
これは一大事。次の幕間で、故・坂東三津五郎丈の楽屋に行くことになっていたから。とにかく何かでまとめなければなりません。あわてて地下のコンビニでゴムを買い、壊れたクリップを髪の上に乗せる形で、アップ風に見せることに成功しました。
その後、デパートに寄り、いろいろ探したのですが、納得のいくものがなく、このクリップを購入したというわけです。
教訓として、和服の時はせめてクシュクシュをバッグに忍ばせておくべきと学びました。
月: 2016年9月
2016年9月 竹取物語
2016年9月 北斗七星の帯
フラワーモチーフバッグ(COACH)
2016年9月 白山神社 例大祭
KIMONOでご確認を
路上転倒でギブス状態につき、こちらのブログアップが遅れています。写真は、上のKIMONOをクリックして、そちらで確認してくださいね。
2016年9月 京町屋で更紗コレクションを拝見
昼はKサロンに出席。日本文化に精通した方々の集まりなので、私も和服を纏うようにしています。ギブスのせいで帯を締めるのに時間がかかり、こんな事態に備えて、9月用の帯を二部式に仕立てておけばよかったと後悔至極。
烏相撲の日より暑ったこの日、単衣はとても無理と判断。矢絣文の夏お召しをまといました。帯は芙蓉文の生紬。
毎年この季節には、何を着るか迷います。明治維新で定められた軍人用の衣替えに従うのはかなり抵抗があり、それでも白露(9月6日頃)を過ぎれば単衣がいいかなあ、と思うのですが、Kサロンの後は着替える間もなく町屋での講義が待っています。エアコンのない環境に備えて薄物にした次第。
実際、会場(ホテル)にいらした京舞の家元、井上八千代先生は単衣をお召しでしたので、少し肩身が狭かったことを白状しておきます。1年前に堀場製作所の創業者を送る会の折には、京都仏教会の有馬頼底猊下が絽をお召しになっているのを見ているので、中旬まで薄物で許されるように思います。
その後、六角町の吉田家に伺い、更紗のコレクションの講義を受けました。主にイギリスの更紗が面白い。それを袋物にして殿方が持っていたらしく、粋を極めているそのセンスに感動。ジャカルタで買い集めたジャワ更紗を見直して、小物をあつらえたくなりました。
祇園「ない藤」さんの夏草履。祇園祭に寄せていただいた折には、祇園祭セールで手に入れた千円の下駄を履いていて恥ずかしかい思いをしたので、この日はちゃんとした草履を選びました。
2016年9月 ヤタガラスの帯で烏相撲観戦@上賀茂神社
9月9日は重陽の節句。奇数(=陽)の最高数「9」が重なるlこの日、古来、菊のお酒で厄落とし。先月から転倒など災難続きの私は、上賀茂神社での神事に参列するだけでなく、除災の祈祷をお願いし、菊のお酒をいただきました。
上賀茂神社での「重陽神事+烏相撲」には、菊文かヤタガラス文をまといたくなるものです。昨年までは菊文の絽を着ていましたが、今年はヤタガラスの帯を手に入れたので、それにあわせて単衣で頑張っています。この日は例年になく涼しかったので助かりました。
着物はといえば、単衣の菊文は持ち合わせがなく、かわりに向日葵文で。キク科の花なので、よしとしました。あ、帯どめは菊のつもり。
ヤタガラス伝説に基づいて行われる烏相撲。神武天皇東進の折、上賀茂神社の神さまの祖父である賀茂建角身命が八咫烏となって先導した。その論功行賞として山城国北部一帯を賜ったとするもの。賀茂族の秘密にもつながります。
カーカーカー、コーコーコーと、刀祢が烏飛び。上の写真は宙に浮いている瞬間です。斎王代が取り組み表を確認。相撲の様子は他に面白い写真もあるのですが、子どもの個人情報保護のために、顔がわかる写真掲載が禁じられていますので掲載は断念(ニュース映像では堂々とオンエアされていましたけど)。
左の写真は、境内でふるまわれる菊酒。過去に撮影したもの。食用菊の花びらが入っています。