亀岡「楽楽荘」での月釜。8月は「浴衣で、茶、茶、茶・・・」。女性陣は浴衣が原則というお茶会でした。私の席では、お正客は浄土真宗の和尚様。次客のご長男、しぐさがよく似ています。
下の写真は北町商店街が購入したトゥクトゥク。タイから輸入して、紅白に染め替え、いや塗り替えたらしい。駅まで迎えに来てくださり、お茶席のあと、再び乗車。食事までの間に北町を周遊。日が陰って、風がとっても気持ちよかった。
この日、京都は昼過ぎまで雨。最初は朱の羅博多献上を考えていたのですが、迷ったあげく、化繊の帯にしたのです。駅についてみると、亀岡は晴天で、少し悔やまれたものの、手が不自由なこともあり、作り帯でちょうどよかったのかも。
そうなんです。私の左手はギブス状態。路上でころんで手をついたときに、手首にヒビが入ったため、不便な日々を送っております。
浴衣は紫織庵製芭蕉文。7月に着ているペリドット色のに比べて葉が大きいです。仕立て済のをセールで購入した際、着丈と袖幅だけ直したのですが、やはり前幅後幅なども大きくて、立ち姿が幅広に映ります。経費はかかるけれど、来夏までに幅も直そうと思います。
追伸1:お茶大好きの和尚様は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の歓喜山 光明寺@神戸、四代目です。
追伸2:AKIOの受難は続きます。食事の前に、洋館にあるマントルピースの大理石に頭をぶつけてしまいました。まさに泣きっ面に蜂。充電していたアイフォンを、床に近いコンセントから抜いた矢先のこと。テーブル席から話しかけられ、それに答えようとして振り返り、頭をあげる角度を間違えたのでした。家の中で安静にしております。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2016年7月 夏越祭
7月1日から始まった祇園祭は、31日の夏越祭をもって終わりとなります。八坂神社西門入ってすぐ疫神社で、茅の輪をくぐり(右の写真は以前のもの)、萱の茎を頂いて帰り(左写真)、それを編んで自分で小さな茅の輪を作り「蘇民将来之子孫也」と短冊に書いて玄関にかけます。疫神社の茅の輪の上にも、「蘇民将来」短冊があります(右写真)。
夏越祭の後、南門にある中村楼さんで稚児餅を頂いて、祇園祭の閉幕を確認します。稚児餅とは、長刀鉾のお稚児さんが社参して位をもらった際に馬に乗ったまま中村楼に寄り、中で食べるお餅のこと。「社参の儀」翌日の7月14日から31日までの限定で、一般の人々にも振る舞われるのです。
さて、我家の玄関。今年はじめて「蘇民将来」の子孫であると書く短冊を赤にしました。上方の木札は、伊勢の注連縄についている木札「蘇民将来子孫家門」。微妙に言い方は違いますが、いずれの土地にも蘇民将来伝説が残っていることが古代史の謎のひとつ。その話は改めて書くとして、まずは「蘇民将来」とのご縁を二重に強調することで、疫病、魔物から守られると期待する私です。
実は、前日まで伊勢の注連縄を飾っていました。正月からそのまま、木札とともに。でも本日、茅の輪を手に入れたので、玄関にあった注連縄は鬼門の窓へ移し、別に購入していた小ぶりの木札のみ掛けてみたのです。伊勢の木札は中村楼さんの玄関の上にもありますので、クリック拡大してみてくださいね。
着物は絹芭蕉。襦袢のメダカが透けて、涼し気です。帯は雪華で涼を呼びます。帯揚はブレスのラリマーと同じ色。スサノオ・ブルーです。