会田雄亮先生を偲んで

陶芸家の会田雄亮先生が旅立たれて半年余。京王プラザに集い、先生を偲びました。私も発起人と一人として。

鳥居ユキ先生のコレクションのたび御一緒して、その後のレセプションで、世界情勢についてお話させていただいた日々が懐かしい。包容力のある笑顔にあまえて、つい生意気な発言もしたことも思い出し、少し反省。富士山のふもとにあった工房にご招待いただき、陶芸初体験も。手ひねりで、お茶入れ、墨床、筆置きを作成させていただきました。

会田先生はその美しい容姿から、ネスカフェCFの「違いがわかる男」にも起用され、茶の間の女性たちは皆とりこになったよう(私はさすがに幼かったので記憶になく)。機会があれば、京王プラザ正面玄関の陶壁をごらん頂ければ幸いです。その他の作品はHPで。http://www.yusukeaida.co.jp/

おしどり夫婦だっただけに、残された奥さまが心配。

 

 

2016年5月 中村橋之助丈の祝・芝翫襲名

鳥居ユキ先生と
中村橋之助丈の八代目芝翫襲名パーティに伺いました。奥さまの三田寛子さんと、鳥居ユキ先生のコレクションで時々ご一緒しているご縁で。ユキ先生は、発起人のお一人でした。
長男は中村橋之助、次男は中村福之助、三男は中村歌之助を襲名されます。お父さまの横に、3人の息子さん達が並んだ姿は、本当に美しく、梨園の妻として、3人男子を産んだだけでもリスペクトに価するのに、襲名するまで無事に育てられた三IMG_1232田寛子さん、ご立派です。歌舞伎ファンとして、感謝。
それにしても、こんな盛会なパーティは初めて。2300人もいらしていたようです。さすが成駒屋さん。大物女優も埋没してしまうほどの、ものすごい熱気。故勘三郎夫人の好江さんが会場入り口あたりに、姉として存在していらしたのが印象的でした。七代芝翫のお嬢さまですから。
祝宴に選んだ着物は、ハイビスカス文。5月末ですから、単衣です。例によって、母が嫁入り道具にあつらえてくれたもの。おめでたいお席ですので、帯は金銀市松です。
なにせ2300人も集まると空間がほとんどありません。やわらかものや振袖が多い中、よほど大胆なデザインでないと、裾の文様まで目がいかないもの。紋のない額紫陽花文に、帯留をオパールの紫陽花がよかったかも。葵文の自己流紗袷がよかったかも、などと勉強させられた夜でした。

橋之助丈、襲名おめでとうございます

橋之助丈の八代目芝翫襲名の祝宴に伺いました。息子さんとともに、親子4人襲名。ステージに上がった4ショット、美しかったあ。

三田寛子さんとのご縁で会場にはせ参じたのですが、妻として母として、少し緊張されていた風。3人男の子をこんなに立派に育てて梨園の妻の鑑ですね。

総勢2300人と大盛況で、どんな和服も埋没してしまうほど。詳細は「きもの適齢期」へ。HP右上のKIMONOをクリックしてみてくださいね。

黙祷を! 山の手空襲から71年

昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった山の手空襲の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。

表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲となっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。

表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分頃。せめて黙祷を。毎年、犠牲になられた方々に思いを馳せることが供養だと考えています。

2016年5月 皐月なのに30度の茶席に何を着るか


この日、京都は31度。単衣を着たくなるものですが、16時からのお茶席は亀岡にて、日中の最高気温が28度とわずかながら洛中より涼しいのです。夜にはさらに下がるはずなので、悩みに悩んで、見た目が涼しい色の、袷の無地にしたのです。お茶席の後、地鶏のすき焼きが待っていましたから、この日を境に、洗いに出すことを考えて。もちろん、襦袢は縦絽にしています。
ほかのお客様は、単衣をお召しの方が多かったです。
帯は、牡丹に、尾の長い鳥が刺繍されたもの。この日を逃すと、出番は1年後になりそうだったこともあり。あ、でも、来年は酉だから、活躍するかも、です。
祇園ない藤さんの草履・・・。台が橙色の草履でどうしようかと考えあぐねておりましたが、この帯だと大丈夫のよう。

2016年5月 備忘録


蝶が織られた色無地。一つ紋。例によって、嫁入り道具として母が用意してくれたものですが、一度くらいお茶会で着用したでしょうか。どんな玉の輿に乗るかもしれぬと誂えてくれていたのに、普通の人と結婚したので、母の情熱はさめてしまいました。狭いマンション暮らしゆえ、和服は実家に預けたまま。披露宴に出るとき以外、私に和服を着せようとはしていませんでした。面倒ですものね。
蝶文が子どもっぽい気がして、自分で和服生活を始めてからも袖を通していませんでした。でも、いまとなっては、貴重で、面白い地紋ですよね。今年は27度を超える5月から着られる気がしています。
葵と色が同じなので、これを纏って葵祭の最後を飾る献茶式に行ってみようと思ったのですが、都合がつかず、断念。備忘録として、アップしておきます。

2016年5月 葵祭は葵尽くしで

葵祭2016@参集殿%e8%91%b5%e5%b0%bd%e3%81%8f%e3%81%97今年は上賀茂神社が遷宮を終えて最初の葵祭。お天気にも恵まれました。
行列は、朝10時に御所を出て、下鴨神社、上賀茂神社と続きます。この装いで御所と下鴨で行列の写真を撮影し、自分は上賀茂にてカメラに収まりました。左は集合写真から切り取ったもの。右は参集殿にて。
着物は毎年恒例、秋尾流紗袷。帯は昨年とは別の葵文。撫松庵製。化繊が5%くらい入っていて、高級感には欠けますが、この色使いが気に入って購入。二葉葵は上賀茂神社と下鴨神社の神紋ですから。扇は下鴨神社で売られています。お茶席用。
葵@紗袷

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2016年5月 牡丹菖蒲文@祝宴

IMG_0795 うしろ80年代、母が花嫁道具の一環として誂えてくれた着物の中で、最も地味な付け下げです。
初めて袖を通したのは、母が逝去して数年後。お茶会や対談、観劇で着用して、おそらく今年が4回目。年老いても着られそうな色合いなのと、蒲公英や菖蒲が描かれ季節を選ぶこともあって、着る機会が少ないのです。加えて、合わせる帯が難しい。色を優先して桃色や青色を合わせてみましたが、着物に負けて失敗しています。今回、誉田屋製のこの帯を持ってきてみて、少し重厚感を出せた気がしますが、ベストマッチングかどうか微妙です。さりとて、龍村のキラキラした箔とかを持ってくると、立食パーティでは仰々しいですしね。IMG_0793 前
文化庁前長官の近藤誠一さんのアカデミア賞受賞を祝う会に招かれ、この着物を着ることにしました。近藤さんは和文化に精通されているので、洋服で伺うわけにはまいいりません。案の定、会場には和服姿がの男女がたっくさん。記念撮影に応じてくださったのは、発起人のおひとり、ノーベル賞に輝いた野依博士。
近藤さんに初めてお目にかかったのは、ワシントンDCでした。Public Dipilomacyについてのお考えが、ジョージタウン大学大学院フェローとして渡米していた私の胸に響き、帰国後、雑誌で「日本の真髄」の連載対談を始めたのです。
この日は東京でも京都でも雨。東京でお世話になっている美容師さんが、研修のためお休みだったので、京都から着物姿で新幹線に乗ることにしました。会場の学士会館は東京駅から遠くないこともあり・・・。だから、着付けも髪も自己流、普段着と同じです。
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菖蒲のある風景@洛中

IMG_6638 炭屋IMG_6636今日は端午の節句。菖蒲のある風景@洛中。

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端午の節句に菖蒲湯はマンションで暮らす私も実践していますが、実は菖蒲で屋根を清めるのが日本の風習でした。

洛中の老舗旅館ので、それが確認できます。柊屋さんと炭屋さんの2軒のみ。今年は風が強く菖蒲が一束、下に落ちていました。勝手に載せるのも失礼なので、そのままカメラに収め・・・。

炭屋さんのt隣のビルの上に鯉のぼりが泳いでいるのは、今年の新発見。老舗旅館は頑張っていても、周囲がビル化しているのも京都の現実。

屋根に菖蒲のルーツは、上賀茂神社の競馬会神事で確認できるのですが、それは別項で。