2015年9月 観月茶会

中秋の名月IMG_6525IMG_2837中秋の名月2015
9月の茶狂会は、中秋の名月。観月茶会となりました。京都市内は日中最高気温が27度でも、亀岡は24度。夕方からのお席でもあり、さすがに薄物は避け、単衣のお召しを纏っています。織でもお召しはお茶席で許されるのです。夜空に満月、水面の満月、窓に映る満月、盃にゆれる満月・・・。帯は私が20代のころから締めていた綴れ。母の娘時代のものかもしれません。
実はこのお召しを袷に仕立てかえるつもりでした。雪のイメージで使えるか、と。しかし、単衣のまま観月に着るにも一案ですね。今年は9月27日、でも昨年は9月8日と早かったので、秋草文の絽を着ています。ただ、一尺五寸の袖は縮めたほうがよさそうです。
帯@中秋の名月IMG_6527
IMG_2804マツタケ食事は松茸と亀岡地鶏のすき焼き。まずは地鶏の大半を塩コショウで焼いて楽しみ、その後にレバーと松茸、たまねぎ、ねぎを加えて食します。その後は松茸以外のきのこや豆腐などを加えて。
松茸を裂く作業を手伝って、その香りを堪能。こんなにたくさん一度に目の当たりにすることも裂くことも縁のない私。貴重な経験ありがとうございました。

 

川島なお美さんのご冥福をお祈りします

訃報にふれて、昨夜は眠れませんでした。

今朝から色々な人に電話して、涙しています。こんな若くして旅立つなんて、悔しいです。

エンジン01文化戦略会議のご縁で、シンポジウムや龍馬ミュージカルでご一緒させて頂きました。気配りの人です。テレビでは見えない気配り、相手を思う気持ち、すばらしかったです。端々に見せたプロ根性、見習わねばと思っていました。

舞台降板を知って鎧塚さんにメールしたんです。大変なのに、返事がきて、頭が下がります。いまは夫・俊ちゃんのことが、心配です。

三津五郎さんに続いて二人も友を送るなんて、悔しいの一言に尽きます。

2015年9月 萩桔梗文に蝶を宿らせて

IMG_0342-萩と蝶-300x225昨年、上賀茂神社で、萩に宿る蝶をカメラに収めたときから、萩の花が急にいとおしくなった私です。今年このアンティーク着物に出会って、つい購入。そして祖母の蝶文の帯も、8年ぶりに復活させました。
萩桔梗@審査
森英恵デザインが世に氾濫して、服に描かれた蝶に私自身、飽きていたのでしょうね。祖母の桐たんすにこの帯を見たときにも、ちっとも魅力を感じなくて、数回締めたきりだったんです。昔は武士に愛された文様だというのに。
審査3日間目。雨です。腰痛がピークになってきました。
追伸
裾に描かれた桔梗文は、7月の陣中茶会でご確認ください。

井上八千代さんボレロを舞う

昨日は泉涌寺の音舞台に行って来ました。虫の音をバックに、西本智美さん指揮イルミナート・オーケストラの演奏に乗って、サラ・オレインさん、石丸幹二さんが歌声を披露。

なんといっても素晴らしかったのは、京舞家元の井上八千代さんによるボレロです。あのボレロをどう舞われるのか興味津々でしたが、目がシャキ、八千代さんに釘付け。思わず「息を呑み」ました。

音舞台の模様は、毎日放送で10月の深夜に放送されるはず。詳しい日程は後ほどお知らせします。

私はといえば、東京からのVIPを私の独断による京都不思議スポットの案内。朝からハイヤー移動の上、腰掛けての鑑賞。コルセット代わりの帯を締めて和服で通して平気のはずが、結果、今日は朝から激痛。辛い。

堀場雅夫さんのご冥福をお祈りします

堀場製作所の創業者、堀場雅夫さんのお別れの会@国際会館に伺いました。

こういうすばらしい方が旅立たれると、もったいない、とつい言いたくなります。享年90歳。日本の若手ベンチャーのため、京都のために、もっともっと活躍していただきたかった。私はといえば、お元気なころにお目にかかっていれば、多方面でご一緒できることもあったかと思うのです。ほんとうに残念。

弔辞の中で素晴らしかったのは、裏千家の千玄室氏、鵬雲斎前家元です。91歳の大宗匠は、堀場さんと幼なじみ。ロータリー家族会、師範学校の先輩後輩の仲。冒頭のお献茶はもとより、メッセージの一言一言が愛に満ちていて、思わず涙してしまいました。

こういう太い絆は京都ならでは。お二人は単に「ええしの坊」ではないのです。育ちがよくて知性と教養に満ち溢れ、革新的で、かつ大局からモノを見られる人々なのです。そういう存在があっての京都だったと、改めて感じ入った会でした。こうした遺伝子が上手に受け継がれていきますように祈るとともに、京都ビギナーとして改めて感謝をささげます。

2015年9月 白露までは薄物

宮古上布@審査2日目の記録。泊り込みにつき、ホテルのエレベータの鏡越しに写真をとりました。
二十四節気の白露までは薄物で通します。中に宮古の番組があるのを知って、母の宮古上布を選びました。なでしこの花が陰陽で描かれています。帯は祖母の羅。9月でも薄物を着た場合は、帯は秋を感じさせるものにしますが、これはあまり透けないので。
ピンクの博多献上でも良かったけれど、かさばるので、こちらを選びました。

2015年9月 帯は腰痛の味方らしい

IMG_2778龍の帯審査初日。密室に皆で籠もり、腰掛けて番組を見続ける仕事。椎間板ヘルニアと診断された私は、和服で通しました。帯がコルセットの役割を果たすと医者に言われ、ぐるりと一周の帯板をしているんです。病院で採寸までして注文したコルセットが間に合わず・・・。
二十四節気の白露までは、堂々と薄物で通します。和服の衣替えの法則って、明治の軍隊に準じたものなんですよ。変でしょ。軍事大国まっしぐらの機運に、女性の和装が合わせる必要なし、というのが私の考えです。
ただし、夜は寒々しいので、帯は透け感のないものを合わせます。この龍文は、ネットでみつけたんです。3万円で少しおつりがきました。東京の呉服屋さんには、良い買い物だったと褒められて、いい気になった私。刺繍がいいのでしょうね。地は絽のようで、とても目が詰まっているんです。お値段が可愛かったので、迷わず二部式に加工しました。帯芯がもこもこして、ぶ厚いのです。

またまたハンガリー

難民大移動の映像は、ベルリンの壁が崩壊する直前、東ドイツから脱出した人々の姿を彷彿とさせます。1989年夏、東ドイツの人々を西へと逃がしたのも、ハンガリーだったのです。「ピクニック」を装って、オーストリア国境の鉄線を切りました。陸路での脱出です。事実上、ベルリンの壁は無効となったのです。その後、「自由列車」に乗って、チェコスロバキア経由で西ドイツへと人々は移動していく映像など、日本のジャーナリストにも大きな衝撃を与えます。テレビ局のスタッフも、起きていることを追うのが精一杯でした。あれよあれよという間に、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキア、ルーマニアと東欧各国で民衆革命が飛び火していくのでした。

当時の私は、始まったばかりの「サンデープロジェクト」で中継レポーターを週末に、平日の朝はFM東京でラジオ番組を持っていました。後者は自由にコメントできたにもかかわらず、現地の人々の涙の意味や起きていることの背景を説明できずにいたのでした。翌年春、番組改編を機に、東欧へ旅立ち、人々の声を集めるべく、ホームステイして歩くことにしたのです。

今回の民族大移動を機に、国際社会においてどんな変化が起きるのか。振り返れば、今年が歴史の転換点になることは間違いないでしょう。きっかけを作るのは、いつもハンガリー。気になりますね。

缶詰、腰掛、激痛の日々

3日間、某所で缶詰。番組審査に入っていました。コルセットが出来てくるのは火曜日なので、和服で。ぐるりと一周する帯板がコルセットの役割を果たすのです。

とはいえ、椎間板ヘルニアの私には、きつい作業でした。最終審査は全員で番組を観るので、じっと腰掛けていなければなりません。朝から夜まで、時折5分の休憩と食事のみ。腰痛の身には、なんと過酷な作業でしょう。しかも最終日は雨。痛みは気圧によるので、今日は特に辛いのです。

明日は病院で腰を牽引してもらわねば。

新幹線は地震で停止するのです

先週末の夜、新幹線で移動中に突然停止。静岡の地震を受けて点検のため。外は暗く、怖かったです。以来、静岡で地震が続いています。今後、新幹線内に閉じ込められることを想定し、水や食料を買っておいたほうがいいですね。乗る前、あるいは車中のワゴン販売で最初のうちに。皆さまもお気をつけて。