富山に行ってきました。1日目のレセプションは洋服で、シンポジウムの日は着物で通すことを貫いています。
今年は朝9時から3枠ぶっ続けで割り振られてしまったため、写真を撮る余裕もないままに。普通は間に1枠空いたりするのですが。よって、昨年春の写真で失礼します。帯揚げはモスグリーン、帯締はワインと白の縦縞です。
立山連峰やチューリップの写真は、後ほどアップします。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2015年03月 雛人形の帯
写真は以前撮影したもの。母の雛飾りを継承。昭和9年、京都製のようですが、調べてみると、京都とは微妙に人形の役割が違うのです(この話はまたいつか)。
今年は執筆中につき、御殿飾りはおあずけ。お人形だけ並べました。しかも、旧暦風に、少し時差をつけて。
この帯を締めて3月3日の桃花神事に参列するつもりが、インタビュー2本と重なって両立せず、断念。でも、取材にはこの帯で。桃の節句でしたので。
ドットにブルーがあるので、母のターコイズ鮫小紋に合わせようと考えたのですが、光琳梅の襦袢を着たくて紬を選びました。鮫小紋は裄が短く(縫いこんであった中と妬けた外で色が違うため、袖幅も肩幅も出せず)、最大公約数的サイズで仕立てた光琳梅の襦袢だとはみ出るのです(鮫小紋専用襦袢を1枚仕立てざるを得ませんでした)。
祇園の歌舞練場はすっかり「都をどり」モード。でも雨が降ってきたので急いで撮影。顔はノーファンデにつき小さくアップしておきます。
2015 年02月 三津五郎丈のご冥福をお祈りいたします
嬉しいはずの春の陽射しに急かされながら、集めた材料を上手くまとめられず、七転八倒の日々を送っております。ストイックに取り組まねばと自分を追い込んでいるゆえ、不義理の数々、どうぞお許し下さい。
くわえて、坂東三津五郎丈の早すぎる逝去に、混乱したままの一週間でした。もともとリサーチのため東京滞在を予定。前夜に飛び込んできた訃報に一睡もできず、朝一番の新幹線に乗りました。喪服をスーツケースに詰め、お別れには和服を着るべきと勝手に思い込んで。
俳句を通じてのご縁でした。告別式にはスケジュールのやりくりができた仲間8人で参列。うち6人は1月の句会に出席できず、ひどく悔やんでおります。「これから何度も何度も会えると思っていたから」と涙しつつ。
指先まで隙のない舞いを観ることも、奥が深くて気品漂う彼の句を選ぶことも、もうかなわないのだと思うと、悔しくてなりません。
写真は荼毘にふされる前日、宮内庁書稜部前に咲いていた白梅。上品で折り目正しかった三津五郎さんと重なって、瞳がうるんでしまった私。結果、お見せできる写真は、この1枚きり。
気持ちの整理がついたら三津五郎丈のことを書きたいと思いますが、いまは静かにご冥福をお祈りいたします。