富山に行ってきました。1日目のレセプションは洋服で、シンポジウムの日は着物で通すことを貫いています。
今年は朝9時から3枠ぶっ続けで割り振られてしまったため、写真を撮る余裕もないままに。普通は間に1枠空いたりするのですが。よって、昨年春の写真で失礼します。帯揚げはモスグリーン、帯締はワインと白の縦縞です。
立山連峰やチューリップの写真は、後ほどアップします。
月: 2015年3月
YUKI TORII 2015 秋冬コレクションへ
YUKI TORII 東京コレクション、今年の会場は改装が終わったEBIS303でした。
黄色のワンピとベルトは今年の作品ですが、毛皮のボレロは数年前、迷彩ワンピにあわせて購入したもの。「このボレロは一生もんね」とユキ先生。つまりは、今後も色々な服にコーデ可能ということです。当時は「夏の毛皮を一度やりたいと思っていたの」とお話されていました。
バッグもミンク。COACHの限定品。ワシントンDCでみつけました。路面店だと、時々レアものに出会います。日本には入ってこないものに。COACHはアメリカのブランドですから。
ドラゴンの時計はPRADA。こちらもNY SOHOの路面店で薦められたもの。日本には入ってこなかったと銀座店の人が言っておりました。
青山墓地201503
エンジン01オープンカレッジ@富山
京都から富山へ、金沢の乗り継ぎが最低!
北陸新幹線開通は、関西在住の人間にとっては、かなり不便なことになっています。
サンダーバードで京都から金沢へ。そこで新幹線のシャトル便?に乗り換えて富山へ入る。
その乗り継ぎの不便なこと。エレベーター前には杖を疲れている方、スーツケースを持っている方がたくさんいらして、エレベーターを2回見送り。和服を詰め込んだスーツケースを持つ私は階段では降りられず、先にエスカレータがあるのかどうか表示もない。そのうち新幹線が出発してしまいそうで、新幹線のホームに急いだものの、駅員が上から目線で不親切、指示もあいまいで、あやうく乗りそびれるところでした。
表示のない金沢駅、最低です。乗り継ぎの助言をくれないJRの職員、最低です。新幹線の車両だけよくても駄目だと思うのです。
でも、ホテルには名前入りの「うこん」がデスクにおかれていて、レセプションでは地元の食材オンパレード。富山市民によるおもてなしには満足です。なにより、立山連峰がこんなに近くで、絵のように拝めて、人間が非力で、生かされていると思い知らされます。
左はタクシーの中から、右はホテルの部屋から。
2015年03月 雛人形の帯
写真は以前撮影したもの。母の雛飾りを継承。昭和9年、京都製のようですが、調べてみると、京都とは微妙に人形の役割が違うのです(この話はまたいつか)。
今年は執筆中につき、御殿飾りはおあずけ。お人形だけ並べました。しかも、旧暦風に、少し時差をつけて。
この帯を締めて3月3日の桃花神事に参列するつもりが、インタビュー2本と重なって両立せず、断念。でも、取材にはこの帯で。桃の節句でしたので。
ドットにブルーがあるので、母のターコイズ鮫小紋に合わせようと考えたのですが、光琳梅の襦袢を着たくて紬を選びました。鮫小紋は裄が短く(縫いこんであった中と妬けた外で色が違うため、袖幅も肩幅も出せず)、最大公約数的サイズで仕立てた光琳梅の襦袢だとはみ出るのです(鮫小紋専用襦袢を1枚仕立てざるを得ませんでした)。
祇園の歌舞練場はすっかり「都をどり」モード。でも雨が降ってきたので急いで撮影。顔はノーファンデにつき小さくアップしておきます。
白梅の季節に
早いもので3月――。
嬉しいはずの春の陽射しに急かされながら、集めた材料を上手くまとめられず、七転八倒の日々を送っております。
本日も桃花神事には参列できず、インタビューが2本。ストイックに取り組まねばと自分を追い込んでいるゆえ、ブログの更新もままならず、どうぞお許し下さい。
くわえて、坂東三津五郎丈の早すぎる逝去に、混乱したままの一週間でした。もともとリサーチのため東京滞在を予定。前夜に飛び込んできた訃報に一睡もできず、朝一番の新幹線に乗りました。喪服をスーツケースに詰め、お別れには和服を着るべきと勝手に思い込んで。
指先まで隙のない舞いを観ることも、奥が深くて気品漂う彼の句を選ぶことも、もうかなわないのだと思うと、悔しくてなりません。
写真は荼毘にふされる前日、宮内庁書稜部前に咲いていた白梅。上品で折り目正しかった三津五郎さんと重なって、瞳がうるんでしまった私。結果、焦点があった写真はこの1枚きり。
気持ちの整理がついたら三津五郎丈のことを書きたいと思いますが、いまは静かにご冥福をお祈りいたします。
2015 年02月 三津五郎丈のご冥福をお祈りいたします
嬉しいはずの春の陽射しに急かされながら、集めた材料を上手くまとめられず、七転八倒の日々を送っております。ストイックに取り組まねばと自分を追い込んでいるゆえ、不義理の数々、どうぞお許し下さい。
くわえて、坂東三津五郎丈の早すぎる逝去に、混乱したままの一週間でした。もともとリサーチのため東京滞在を予定。前夜に飛び込んできた訃報に一睡もできず、朝一番の新幹線に乗りました。喪服をスーツケースに詰め、お別れには和服を着るべきと勝手に思い込んで。
俳句を通じてのご縁でした。告別式にはスケジュールのやりくりができた仲間8人で参列。うち6人は1月の句会に出席できず、ひどく悔やんでおります。「これから何度も何度も会えると思っていたから」と涙しつつ。
指先まで隙のない舞いを観ることも、奥が深くて気品漂う彼の句を選ぶことも、もうかなわないのだと思うと、悔しくてなりません。
写真は荼毘にふされる前日、宮内庁書稜部前に咲いていた白梅。上品で折り目正しかった三津五郎さんと重なって、瞳がうるんでしまった私。結果、お見せできる写真は、この1枚きり。
気持ちの整理がついたら三津五郎丈のことを書きたいと思いますが、いまは静かにご冥福をお祈りいたします。