和久傳丸の内店にて。アイフォンで撮影。
サラリーマンだった父のところには、取引先から山のようにお歳暮が届いていました。そういう立場の方々へは、お正月の準備に忙しい年末に心をこめて贈っても、印象に残ることもなく紛れてしまうことを知っています。だから、年が明けてから寒中見舞いをお送してきた私ですが、今年は「立春大吉」のカードを添えて、2月4日着を狙いました。「春を待ちわびて」という大女将直筆の熨斗紙をかけてもらいつつ。
京都の和久傳という手もあるのですが、戻るのが2月2日であったため、東京着の分は丸の内で手配したのでした、
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2015年01月、吉岡幸雄展へ皇帝紫の帯で
2015年01月 人日節句+初釜式
2015年01月 雪の京都案内は、羽子板文に松竹梅の帯、アザラシ草履で
ご主人の実家から東京に帰る途中、京都に寄った友人夫婦を、上賀茂神社に案内しました。お正月定番、羽子板文に松竹梅の帯で。
初詣に上賀茂神社をお勧めする理由:この宝船をくぐると、無病息災が叶う、新年のみ本殿の前まで行ける、お神酒が振舞われる、などなど。もっとも重要なポイントは、神気が違うこと。別格なのです。いつもの立砂も、雪をかぶって真っ白。盛塩に見えてしまいますが、この先の松葉、左右それぞれ2本と3本。陰陽を表現しているのです。
私はといえば、彼女が京都に到着する前に、早朝の初卯神事に参列しました。正月最初の卯の日に、神前に卯杖を献じるのです。平安時代に邪気を祓った卯杖とは、芯に桃、椿など2本を用い、山立花、石菖蒲、四手紙を挟んで、日蔭蔓を飾ったもの。上賀茂神社では、皇室のご安泰を祈願の後、宮中に献上しています。写真のは境内用で大きいですが、神棚の榊くらいのボリュームのを3千円で分けて頂けます。
元旦と二日の雪が溶け出してカキ氷状態の道を着物で歩きまわり、疲れ果てました。が、雪国仕様のアザラシ草履が大活躍。2006年に会津でエンジン01オープンカレッジに参加した際、雪道に懲りて探した草履。その2年後くらいに手に入れたものの、まさか京都で役に立つとは。
お酒の強い夫婦は、お神酒としての樽酒をあおり(升とセット、私は金箔入りボトルを持ち帰り)、この後、大田神社、ランチをとって、蚕の社、下鴨神社、秘密の某所、締めは八坂神社。祇園で早めの夕食をとり、二人は10分遅れの新幹線で東京へと戻ったのでした。ロッカーで荷物を出してから。
2015年正月 白銀の京都
2015年01月 上賀茂神社での「迎春」は、葵文で
あけましておめでとうございます。無事に新年を迎えられたことに感謝。
今年のお正月は徹夜して、朝5時からの歳旦祭に参列。直会(なおらい)を頂いて外に出ると、初日の出の美しいことに改めて感謝。
昨年と同じ着物に抵抗があれど、あまりの寒さに、葵文の辻が花を選んだ次第。東京だと分厚く感じる辻が花も、京都の寒さにはちょうどいい。防寒は万全。中には白のフリース。手には肘までのファー付手袋、指が自由になるタイプ。ゴルフ用。足首にもラビットファーのバングル。実は手首用。海老茶色のコートはカシミアです。
その後、家に戻って仮眠。飛行機で東北に戻る友人とイノダ珈琲本店へ。元旦はほとんどの店が休業。なのに、朝から営業しているのは老舗の底力ですね。いつもは観光客でいっぱいなのに、元旦は京都の家族連れで混んでいた印象です。
イノダ初体験の彼女がナポリタン(イノダ名物)を所望し、しかし、ここのはあまりに量が多いので、半分ずつにして頂いたのでした。炭水化物はダメよ、ダメダメ、と彼女を制して。
途中から雪が舞い始め、イノダの中庭もあっという間に真っ白に染まりました。木の葉をカメラに収めつつ、しかし、あまりの降雪スピードに、彼女は早々に伊丹空港へ。帰宅した私は洋服に着替え、雪景色を撮影に。横殴りの雪で、スノーブーツもズブっと入ってしまうほどの雪の深さ。「雪持ちの松」「霰」などの文様を、目の当たりにできたのは貴重な経験でした。「カメラ持つ 我が衣手に雪は降りつつ」モードでは、指がかじかんで、辛かったあ。