2014年11月 栗の帯on貝紫

IMG_1939★IMG_1941★六角通りの「にしむら」。町屋風で以前から気になっていたお店。中庭があって落ち着くので、静かにじっくり話したいときのランチにお勧めです。
紫の栗文の帯を貝紫の紬に合わせました。先日書いたように、八掛をつけて人形仕立てにしたもの。薄いのでわかりにくいけれど、後ろから撮影すると、3本の矢が見えます。
人形仕立ては地方によって違うらしく、京都では袖をつけない形で仕上がってきました。なので、袖口をにもつけてもらって、IMG_1935★最初の日です。IMG_1945★

2014年11月 葵文で上賀茂神社新嘗祭へ

IMG_1846IMG_1854勤労感謝の日は本来、新嘗祭。前日が「小雪」だったこともあり、少し温度は低かったように思います。なので、再び葵文の辻が花で。
相嘗祭から9日経っただけで、こんなにIMG_1829新嘗祭色づきました。桜の葉と紅葉のグラデーションが秋の高い空の青に映えて、美しかったあ。濃きも薄きも碧きも、それぞれ輝きを放ちつつ、でも、その間に埋もれIMG_1832さざんかるように、白い山茶花が咲いているのを、見逃しませんでした。

2014年11月 審査員として和服を@地方の時代映像祭贈賞式

IMG_1702カー氏昨年より審査員を務めている「地方の時代」映像祭。地方をテーマに掘り下げたドキュメンタリー番組に与えられる賞です。放送局、ケーブルテレビ、高校生大学生を含めた市民による作品の中から選ばれます。今年は、NHK広島の作品「里海SATOUMI瀬戸内海」にグランプリを受賞。
その贈賞式に審査員の一人として和服を着用。昨年も着たかったのですが、なにせ新参者。浮くのもマズイと控えたのでした。受賞者ではないので、地味目。若冲の「雨龍図」を締めています。
写真は、関西大学で開かれた映像祭初日の贈賞式後のレセプションにて。後援者のアレックス・カー氏と。

2014年 相嘗祭へ葵文の辻が花で

10814092_748★そで上賀茂神社の相嘗祭には葵文の辻が花を着ました。葵は上賀茂神社と下鴨神社の神紋なのです。
帯は、誉田屋製古箔です。
この色使いが気に入ったのです。紫と緑の取り合わせが、いい感じでしょ。八掛も紫です。光のあたり具合で、微妙に色が変わるのが面白い。

辻が花は分厚くて着づらい。でも、その分、温かい。この日、京都は急に冷え込み、ちょうど良かったのです。

2014年11月 神護寺の紅葉を観に栗の帯で

洛中の紅葉は未だ未だ。京都を訪れた人に紅葉をお見せするには、はるばる神護寺まで歩を運ばねば。
ところが、遠かったのです、バス停から。初めIMG_1735★てだったのですけど、私が訪れたのも。真言宗だから昔は修験のお寺だったのでしょうね。下って登って、さあ大変。歩きにくいのなんのって。
なのに、和服で出かけた私。アホでしょ。でもね、玉砂利には草履のほうが歩きやすいのも確かなんです。しかも、履いていたのは下駄草履と呼ばれるもの。下は桐で出来ているので、軽いんです。裏は滑り止めになっているし。だから、周囲が思うほど、苦しくはないのです。スニーカーほど機能的ではないけれど。

2014年11月 栗の帯を締めて栗を食す

ぎおん楽楽へ。栗の帯を締めて出かけたら、栗が出てきたので、一緒にパチリ。IMG_1790★
栗の帯が欲しいと思っていたときに出会った帯。黄金と山吹の取り合わせが難しそうだけど、淡い水色を含んでいたので、昨年仕立てた紬の着物に合わせてみました。
IMG_1794★次は茶色の紬に載せてみましょう。

2014年11月 立冬のお茶事と観月祭へ 母の訪問着で

今朝はライオンズクラブのお茶事。寝坊したので時間切れ。締めるつもりだった古箔の帯がみつからず、螺鈿の市松を締めて出かけた。すばらしいお天気で、東本願寺 渉成園の美しい佇まいにうっとり。芝生の上にいた鷺を撮影しようとしたら、さっと飛び立ちました。アイフォンなので、鮮明に写らなかったのですが。IMG_1657
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お茶時は志野流のお香席まであったので、びっくり。8年ほど前に宗匠にインタビューした折に体験して以来、2度目。聞香。全然あたらない私。
夜は徳禅寺で観月会。奉納舞とお食事を堪能。帯を古箔に変えて、出かけました。

2014年10月 雷文の帯と矢の八掛で、上賀茂神社へ

IMG_1654上賀茂神社は賀茂別雷神社が正式名称です。神代の昔、秀峰神山にご祭神・賀IMG_1646茂別雷耐震がご降臨されたことを起源としているのです。だから、前に雷の織られている、この帯を締めたくなるのです。お太鼓は若冲の雨龍図ですが。
八掛が面白いでしょ。3本の矢。別に安倍政権に媚びているわけではありません。くもの巣同様、試作品の存在していたので、譲っていただいたのでした。『山城国風土記』逸文では、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命だといわれているのです。
人形仕立てにしようとした貝紫の紬。京都では裾まわしだけで、袖口につけないそうです。が、しかし、袷に見せたい私としては、袖口も必要。もう一度、仕立てに出します。