六角通りの「にしむら」。町屋風で以前から気になっていたお店。中庭があって落ち着くので、静かにじっくり話したいときのランチにお勧めです。
紫の栗文の帯を貝紫の紬に合わせました。先日書いたように、八掛をつけて人形仕立てにしたもの。薄いのでわかりにくいけれど、後ろから撮影すると、3本の矢が見えます。
人形仕立ては地方によって違うらしく、京都では袖をつけない形で仕上がってきました。なので、袖口をにもつけてもらって、最初の日です。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2014.11.27
2014年11月 葵文で上賀茂神社新嘗祭へ
2014.11.26
2014年11月 審査員として和服を@地方の時代映像祭贈賞式
2014.11.17
2014年 相嘗祭へ葵文の辻が花で
2014.11.16
2014年11月 神護寺の紅葉を観に栗の帯で
2014.11.15
2014年11月 栗の帯を締めて栗を食す
2014.11.12
2014年11月 立冬のお茶事と観月祭へ 母の訪問着で
2014.11.07
2014年10月 雷文の帯と矢の八掛で、上賀茂神社へ
2014.11.02
上賀茂神社は賀茂別雷神社が正式名称です。神代の昔、秀峰神山にご祭神・賀茂別雷耐震がご降臨されたことを起源としているのです。だから、前に雷の織られている、この帯を締めたくなるのです。お太鼓は若冲の雨龍図ですが。
八掛が面白いでしょ。3本の矢。別に安倍政権に媚びているわけではありません。くもの巣同様、試作品の存在していたので、譲っていただいたのでした。『山城国風土記』逸文では、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命だといわれているのです。
人形仕立てにしようとした貝紫の紬。京都では裾まわしだけで、袖口につけないそうです。が、しかし、袷に見せたい私としては、袖口も必要。もう一度、仕立てに出します。