9月の最終日曜日。お世話になった方の狂言発表会を観に、金剛能楽堂へ。その後、二条駅から亀岡へ。楽楽荘での「茶狂会」に出るためです。夜は地鶏と松茸のすき焼き。
暑い。日差しが強い。サングラスなしで歩けない。単衣でいいのですが、何枚もあるというのに、、ほとんどの袖が五寸丈。五寸といえば、くもの巣文の絽の襦袢。夜は涼しいからと、迂闊にも手入れに出してしまった。わー、三寸を着るしかない
皇帝だけに許されたロイヤル・パープル。その皇帝紫の研究家で知られる吉岡常雄さん直筆の、皇帝紫を使った帯です。。染司・吉岡幸雄さんのお父上です。着物は青山みともさんの貝紫の紬。単衣仕立てです。袱紗も「よしおか」製、紫紺染です。お高いです。
実は、吉岡幸雄先生が菊池寛賞を受賞されたとき、式典にこの帯を締めていきたかったのですが、合う着物がこれしかなく、単衣なので断念した経験があります。だって、授賞式、12月だったんですもの。そんな時に備えて、八掛をつけて、人形仕立てにしようかな、とも思っています。5月6月には単衣のお召しを着てしまう私は、この着物を9月下旬から10月初頭にしか着ていないのです。だったら、いっそ冬でも着られるように、と考えているわけです。
写真は、陶芸家でもあるご亭主のアイデアで立礼用に設計されたもの。東京の高層マンションで暮らす外国人が部屋に置きたくなりそう。バックの屏風は、日本画家のお父さまの作品。28歳のときに描いたコンドル図屏風「飛翔」(第8回日展入選作)だとか。お菓子の栗も、ご亭主の平金氏自らが拾われ、白餡と練って下さったとか。軸は楽楽荘所蔵の狩野探幽による富士。点前座にはご亭主作の井戸茶碗と喜三郎の「老茄子茶器」。そうです。一富士 二鷹 三なすび・・・。お花は楽楽荘ご主人の中田智さんが生けられました。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2014年9月 逝く夏を惜しみつつ、上布に博多帯
2014年9月 観月茶会、重陽の節句
昨年の重陽の節句には、この着物の存在をすっかり忘れていた私でした。こういうオーソドックスな着物は私好みではありませんが、菊文様ということで袖を通したのです。
奇数(=陽)の最高数「9」が重なる重陽の節句には、菊のお酒をいただきます(写真は昨年のもの。上賀茂神社でふるまわれた菊酒)。だから、菊の文様なんです。上賀茂神社での「重陽神事+烏相撲」には、菊かヤタガラスをまといたくなる。でも、9月9日ではあまりに暑い。だから、菊が描かれた絽を選んだのでした。この日は斉王代とその関係者も列席されるため、結果的には、はんなり系の着物で大正解でしたけど。
京都では観月会があちこちで催されます。今年の中秋の名月はあまりに早く、重陽の節句の前日でした。よって下鴨神社の茶会にも同じ着物で出向いたわけです。
そもそも、この秋草文様の絽は、この季節のお茶会などで必要かも、と買いおいたのでした。肩のところに撫子、裾には菊のほか萩も描かれています。
個人的には9月初旬までは薄物が大丈夫と解釈しているものの、京都でも許されるかどうか実は不安でした。しかし、観月茶会に出られり方々なのでしょう。午後に街中で絽の着物を召されたご婦人を何人も見かけたので、胸を張って夜に着用したのです。欲を言えば、半襟を少し渋い色にできるとよかったのですが。
帯の写真を撮るの、忘れました。別の着物と合わせた過去写真でお許しを。
追伸:二葉葵が神紋の上賀茂神社と下鴨神社なのだから、葵祭同様、葵文の紗袷でも良かったかも。こちらは来年の課題に。