祇園祭。実は山鉾巡行は、八坂神社の神さまが御神輿に乗って旅に出る場所の露払いなのです。
神宝を持った宮本組に続いて、3基の神輿が繰り出します。
母が亡くなったとき、父の混乱を受け止めることと家事、あふれるほど物のあった実家での物母の遺品整理が、大学院に通い始めた私に圧し掛かった大きな仕事でした。父も弟も協力してくれない中、物の価値を見極め、母の思い入れを察しつつの遺品整理、正直、難しかったです。
押入れの中にあったガンガンは、手入れがなされないまま母の若い頃の着物が詰まっていました。よくわからないので、箱ごと祖母のところに送ってみると、この着物が「上布」とわかりました。
こんなに面白い柄なのに大きな茶色の染みがあり、東京の呉服屋には突っ返された着物。あきらめきれず、京都で落とせる職人さんを探しました。結果、今年初お目見えです。
その辺の帯ではしっくり来ないので、博多帯を載せてみました。
後祭の橋弁慶山の搔き初めを見た後、黒主山の前で撮影。
ごめんなさい。昨夜、ちょっと浮気しました。
祇園祭の京都を離れ、伊勢で花火を観て来たのです(蘇民将来つながりだから、許されうる浮気と解釈しつつ・・・)。
14時50分の近鉄に乗ってからは雨が降っていたものの、「伊勢神宮奉納だから、きっと本番は晴れるはず」と予想したとおり、浄化された空気の中で、すばらしい花火の競演ーー。
いままで観た花火は何だったの?というくらいの感動でした。それもそのはず、全国各地から選抜された実力ある花火師たちが、自分の力を最大限に発揮する、日本三大競技花火大会のひとつなのです。
しかも、川向こうで打ち上げられた花火を最前列で観たので、ものすごい迫力。音が違う。大きさが違う。光の迫り方が違う。弾丸のようなスターマインにも、びっくり。
花火撮影の心得を勉強せずに出かけたので、私の写真はいまひとつ(マニアたちは三脚に載せて撮影していました)。それより、下から突き上げてくるような音とともに自分のからだに刻むほうが価値ある花火でした。
渋滞ぶりが読めず、車を断念した私たち。21時半の近鉄の乗るため中座したのが心残りでしたが、それでも大大大満足。祇園祭の興奮のさなか、さらに感動するのだから、いかほどかお分かり頂けましょう。
誘ってくれた京都の友人に感謝です。ありがとう!
この越後縮は、祖母が亡くなったとき、祖母の家の押入れから出てきたもの。いかにも母の娘時代に着せていた風なのですが、ブリキのガンガンの中に入れられ、もう長いこと手入れされていなかったと思われます。
発見したのが叔父たちと遺品整理をした9年前。一目で着たいと興奮したものの、茶色の大きな染みがあり、断念。東京の呉服屋さんを通して手入れに出したら、NGを出されたからです。
今年、京都で染み抜きに成功。初お目見えです。帯は祖母の夏帯。焼けが気になったので、裏を表に持ってきています。帯締めは昨年、セールで手に入れたもの。色が合います。
祇園祭の魅力はセール。和装小物や麻暖簾など。東京にいたころは、たくさん買って、宅配便で送っていました。