京都と伊勢

一昨夜、東京から京都へ移動する新幹線の中から、発熱の気配と闘っている。アリナミンとプロポリスで乗り切ろうとしているが、朦朧としたままだ。昨日は大原のお寺を訪れ、伊勢へと移動したが、切り離しがあるとは知らず、特急列車の号車を間違えて座り、遅れて到着することとなった。熱を帯びたまま和服姿というのも、ミステイクにつながったのだと思う。

伊勢での会食後、ホテルは満ai杯だったため松坂のビジネスホテルに宿泊した. だが、中国人が多くてびっくりした。松坂にある工場で働いているのか、商談に来ているのか、朝食の風景は、いまの日本の地方都市を如実に表しているのかもしれない。

今日は伊勢神宮内宮参集殿にて、倉木麻衣さんとTOKYO FMによる「式年遷宮奉祝 歌謡奉納」を拝見させていただく。夜は再び京都に戻り、東寺で「音舞台」というコンサートを聴く予定だ。

 

学びの動機付けに一役、日本のプレゼンテーション

オリンピック招致のプゼンテーション、見事だった。審査の間、宿泊していた大阪のホテルのテレビで見ながら、アメリカ大統領選挙の党大会を思い出していた。ネイティブのトレーナーから特訓を受けたのであろう。

妃殿下のエレガントさは簡単に真似できないが、ほかの面々は練習の成果がよく出ていたと思う。首相になりたてのころに比べ、安倍さんのスピーチはぐんと上手になってきている。

私は大学時代ESSに所属し、スピーチコンテストに出ていたから、なんともいえず懐かった。うらやましいのは、ビデオに撮って即、自分を客観的にチェックできる時代に入ったことだ。都知事などは、プロンプターのおかげで、覚えたはずの内容を途中でも確認できて、落ち着けたはずだ。

練習さえ積めば、テレビで持ち上げるほど、すごいこととは思えないのだが、それでも、子どもや若者が人前でのプレゼンや英語のスピーチに興味を抱いたとすれば、日本の人材育成に大きな効果をもたらしたと考えていいだろう。日常生活で学びの動機づけは簡単ではないからだ。次世代はプレゼンテーション力(りょく)が上がっているに違いない。

 

重陽の節句 菊酒 八咫烏

今日は「9」という陽の数字の重なる重陽節句。五節句の一つに数えられ、宮中でも一般でも祝いの日とされてきた。菊酒@重陽の神事厄払いの菊酒が、上賀茂神社でもふるまわれた。

烏本殿で祭事があった後、平安時代から続く伝統行事が行われる。主役は烏。ご祭神の祖父が天皇の遠征の際に八咫烏(やたがらす)に姿を変え先導したという故事から来ている。

ここで重要なのは、「3」という数字。境内の細殿前庭で、白い装束に烏帽子姿の刀祢が烏のごとく、三三九躍、横跳びをし、立砂に弓矢を置く。座って「カーカーカー」「クォークォークォー」と3度、烏鳴きをするのである。

子ども2その様子は宮司とともに葵祭にご奉仕された斎王代がご覧になる。その後、子どもたちが清められた土俵で相撲をとる。

こんな日は、菊文様の装いをと考えるのだが、持っているのは袷の色留袖だけ。絽ちりめんの着物とか名古屋帯があれば良かったのだけれど、菊好きではないので、持ち合わせていない。重陽の節句のために1本欲しくなってきた。もっといえば、ヤタガラスの帯に出会っていたのに、当時は価値がわからず、若冲の雨龍図を選んだ私である。

2013年9月 芙蓉の帯 on 矢絣

矢絣 芙蓉 ★芙蓉帯7年ほど前に、青山にあった「えり華」さんで手に入れた紫織庵製の帯(生紬)を今年、ようやく仕立てました。作り帯にしようかなどと悩んでいるうち秋になり、ではまた来年、と歳月が経ったのでした。
矢絣の着物は夏お召し。この反物を見て、いよいよ仕立てようと決めた次第。9月なので、帯締めは透け感のないもので。

選考会終了

テレビ番組の某選考会のため、週末は缶詰になっていた。詳細については、月末の発表まで記すことができないが、ほぼ1ヶ月にわたっておびただしい番組を観る日々。そこから解放されて、ほっとした。これからは本来の仕事に戻ることができる。

京都に落雷?

昨日、京都で激しい落雷があったらしい。

今日の西陣はその話でもちきりだったとか、島津製作所に落雷したとかいうのだが、ウェブで調べても出てこない。

「大きな地震かと思った。下から衝撃が来たと感じた」そうだ。私は大阪にいたので、まったく知らなかった。

落雷対策、さて、どうしたらいいのやら。

集中豪雨、目指すは天橋立駅だったのに

京丹後取材のため、朝、京都駅に向かった。

アマちゃんが終わってコンビニに乾電池を買いに出た折には小降りだったのに、15分後にはバケツをひっくり返したような大雨。レインブーツを履き、レインコートを纏って家を出た。キャリーバッグをひとまわり大きくしたこともあり、タクシーを呼んだ。明日は晴れるかもしれず、このレインブーツを収めて持ち帰る大きさが必要だからだ。

迂闊だった。これだけの大雨なら、電車が動かない可能性があるのだ。案の定、電車が来るのに1時間遅れ。そこからは徐行運転と言われた。指定席は満席。自由席となれば、座るために1時間並び続けなければいけない。前日までに指定券を買っていれば、1時間の待ちの間、座ってコーヒーでも飲めたのに。

そもそも、この電車は天橋立行だった。そこでピックアップしてもらう予定だったのだが、その手前に宮津で降りるようにとメールが来た。ところが、福知山到着直前で、こんなアナウンスが入ったのだ。「大雨のため、この列車は福知山までです」。本当に直前、突然のアナウンスだった。

車掌をつかまえて、宮津までどうすれば行けるか尋ねると、後は降りてから駅で訊いてくれという。この場当たり的な対応は、JR西日本。事故を起こした福知山線だ。下手に答えて後で責められるのが怖い、という逃げの空気も感じられた。非常時に弱いJR西日本の体質を垣間見ることとなった。

結局、福知山で北近畿タンゴ鉄道に乗り換え、その特急で宮津にたどり着いた。「アマちゃん」の北鉄のような雰囲気だが、なんとも頼もしい。もっとも、各駅に停まらないというだけで、スピードはゆっくりと、であったのだが。

11時半に着くはずが、到着は15時前。アポは13時だったのを延ばしていただいてはいたが、自然災害の前には予定が立たないことを思い知らされた一日だった。暑い分には電車は動く。集中豪雨はスケジュールを狂わせるから要注意。

訪れた先については、また、改めて。