夏越の大祓の後、縁結び

今日は夏越の大祓。14時に明治神宮の大祓式を拝見した。『ワシントンハイツ』を上梓して以来、できるだけ明治神宮に足を運ぶようにしている。

その後、愛宕神社で茅の輪くぐりをした。愛宕神社や品川神社のような高い場所にある神社を訪れるたびに思う。自分が歩いている場所はかつて水の中にあったのだ、と。地震と洪水が交互に来るなど自然災害が続けば、ここも水につかってしまうに違いない、私たちが快適に生きられらのは、つかの間のチャンスだったのだ、と。そして、生かされていることに感謝をする。

そして、六本木の出雲大社に向かう。大祓式は終わっていたが、若い神官たちが竹に短冊を結んでいた。聞けば、これは七夕飾りだけであり、翌日から人々の願い事を短冊に書いたものを受け付けるのだそうだ。

もちろん、私も願い事を書きに行くつもりだ。新刊『スウィング・ジャパン』が注目を集めるように祈願する。なぜなら、評伝の主人公ジミー・アラキの父親は、ハリウッドの出雲大社の布教師だったからだ。大勢の読者との縁を結んでもらうつもりである。

新刊予約受付が始まりました

お待たせしました。最後の作業に忙殺されていますが、早くもネットでは予約受付が始まったようです。

新刊のタイトルは『スウィング・ジャパン:日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶』。新潮社から7月18日発売、19日には店頭に並びます。

戦後占領期、日本のジャズメンから「神様」と呼ばれたジミー・アラキさんの評伝です。お楽しみに。

ようやく「ころもがへ」に着手

暑い国、寒い国、日本の季節とは真逆の状態にある国々を飛び回ることに慣れている私は、もう長らく洋服の衣替えをしていない。衣裳部屋には段違いで5本のポールをうち、どの季節にも対応できるよう洋服が下げられている。

しかし、着物となると、そうはいかない。和服には明確なルールがある。6月から着物は単衣、襦袢は絽と相場が決まっているのだ。もっとも、最近の異常気象では、私の場合、5月でも暑い日には着物を単衣にしたり、襦袢を絽にしたりするが、さすがに半襟を絽に替えるのは6月から、昔ながらの慣習に従うことにしている。

昨日の撮影では母の江戸小紋の絽に、「雨あがり」と題する掬い織の帯職人95歳ころの懇親の作を締めた。この後、観劇と祝宴と和服を着る機会が続く。風を通したりアイロンをかけたりと、晴れの日でもないのに、箪笥をひっくり返す一日となった。

原稿に縛られ、あまり活躍の場がなかった袷の着物たち、ありがとう。秋まで箪笥の中でお休みくださいね。

写真撮影

新刊カバー撮影の後、著者近影を新潮社のカメラマンの方に撮っていただきました。ずーっと下を向いて作業をしてきたのに、すぐに撮影って辛いものがありますね。

「あとがき」の内容からいっても、祖母か母のきものを着ようと考えた次第。データを取り寄せたら、カバーに使わない、笑顔の写真をアップしますね。

その後、扉に使う写真のキャプションなどを決め、編集者と乾杯(実は20日も軽い乾杯はあったのですが)。和服だったので、きれいな場所をリクエスト。新装オープンのパレスホテルのバーを選びました。編集者の望んだ喫煙席はテラスのみ。摩天楼の中のテラスは、NYのハドソンホテルを意識していると思いました。

私としては、昔のパレスのバーのほうが好き。肉厚のハムサンドが忘れられません。

脱稿しました

20日の予定が21日にずれ込みましたが、ようやく脱稿。明日、著者写真を撮影します。

これまでの不義理の数々、どうぞお許しください。着物ブログも含め、徐々にアップしていきます。

来週の水曜日くらいまで待機しているようにとのこと。私からの直しは無理なのですが、先方からの突っ込みには答えられる態勢でいるように、とこのと。まだまだ気は抜けません。

新刊が出るのは7月18日。改めて告知します。

世界は貧困へと向っている

リーマンショックの直後にリサーチのため訪れたロックフェラー・アーカイブズで、初老の学芸員に私はこう問いかけた。「これから世界はどうなるの?」 彼の答は一言「POVERTY(貧困)」。.あれから3年半、世界は着々と貧困へと向っている。

そういえば

エリザベス女王の即位60年。いよいよ国を挙げてのお祝いが始まるらしい。

そういえば、リビアのカダフィが追い詰められて、こう叫んだのを思い出す。「自分の政権40年が長いと言うが、だったら、イギリスのエリザベス女王はどうなる?」