師走の大祓を終えて

本日は神田明神で大祓。寒かったあ。でも、その分、穢れが落とされ、清らかになったように思えるから不思議だ。夏越の祓は新潮社での打ち合わせの後、赤城神社の茅の輪くぐりだった。年に二度も清める機会が得られると、それだけで幸運な気がしてくる。

大震災によって悩み苦しみ、原点に立ち返って考えることの多かった今年。自然への畏怖の念を忘れず、自然の恵みに感謝しつつ、謙虚な気持ちで新年を迎えたいと思う。あと3時間、部屋の中がまだ清められていないのだが・・・。

どうぞみなさま、良いお年をお迎えくださいませ。

ライトアップ@新橋駅

クリスマスのイルミネーションは数あれど、新橋駅前にこんなライトアップがあるとは今年まで知らなかった。よって。ここにアップしますね。アフタークリスマスでも、まだ綺麗でした。

カステルバジャック@クリスマス

左はカーデガンの背中。右が前です。15年ほど前に番組で借りてもらったものを気に入って、買い取ったのでした。原則は刺繍ですが、リボンがは本物。かわいいです。

借り物なので、サイズがかなり大きいです。男性でも大丈夫なくらい。私が着ると、特に前が縦半分になってしまい柄がわからないので、下に置いて撮影しました。

以前は、ドアスワッグに始まり、マグカップや部屋の飾りつけからトイレの中まで、ハロウィンが終わった11月くらいから、なんでもクリスマス仕様にしていました。クリスチャンでもないのに。最近は、実をとるといいますか、この時期に執筆に追われることが多く、インテリアまではクリスマス色にしていません。イブのディナーはドレスアップしてでかけるので、このカーデガンは家で着用して、気分をクリスマスにしています。

I wish you A Very Merry Christmas! でも・・・

イブの夜、東京は渋滞がひどかった。移動にもいつになく時間がかかった。3連休ということもあり、地方からの車も多かった。

運転手さんいわく、「光のあるところに皆さん行きたがるから混むんです」

たしかに、ミッドタウンや六本木ヒルズのけやき坂、それに東京タワー、丸の内も表参道も、クリスマスイルミネーションはほかのクリスチャンの国に負けないほど美しい。せっかくだから家族で見に行くのにも、カップルで愛をささやくのにも、好機に違いない。

思えば東京は12月に入ってから昼でも街の此処彼処に人だかり。大震災から抑えていた衝動が炸裂しているような、いつになくエネルギーが放射されていた印象だ。そのピークが昨夜だったともいえる。

でも、ご用心! そういう時こそ狙われる。知り合いのインド人がマンションの鉄のドアごと壊され、高額のキャッシュが盗まれた。今朝から電話がかかってきて大騒ぎだった。夜中の3時ころ帰宅して被害を知ったとか。

日本は外国人に優しくないと彼は嘆きまくるのだが、たしかにもう、かつての安全な日本とは違っている。オートロックも意味はない。NYのガードマンの顔やモスクワの二重ドアが頭をよぎる。策を講じなければ。

注)写真はカステルバジャックのカーデガンの背中です。もう15年くらい前に番組で借りてもらったのを買い取ったのでした。年に一度のお目見えです。

冬至、そして中東

昨日から日差しが弱くなり、冬至の今日、東京は曇りだ。でも、明日から太陽の力が増して、元気になれるはずだ。
柚子湯に入るのはもちろん、新しい服に袖を通すのにもいい日。このタイミングを待っていた。
でも、そんな日本の縁起かつぎとは裏腹に、中東では不穏な動きという目線がある。米軍はイラクから撤退したばかり。イスラエルが気になる。シリアやイランに何も起きなければいいのだが。

金正日総書記の死

独裁者が次々に倒れた今年。総決算のように、金正日総書記の「死」が報じられた。ルーマニアのチャウシェスクやリビアのカダフィのように、メディアの前で誰も死を目撃していない以上、この死の真相は定かではない。それはオサマ・ビン・ラディンにもあてはまる。

しかし、公式発表によるトップの交替によって、北朝鮮という国家が変わることは間違いない。資源国である北朝鮮を国際社会がほうっておかないからだ。北朝鮮もそうした国々とたくみに駆け引きをしながら、経済発展をするために緩やかに民主化を進めていくだろう。民営化ビジネスは、欧米にとっておいしいビジネスだ。日本の郵政が狙われたのと同じである。そして、これまでスイスが担ったような金融のハブとしての役割を担うことも考えられる。

その北朝鮮とどう付き合っていくのか。日本政府はしたたかに戦略を持たねばなるまい。開かれた国家になって調査ができれば拉致された人々とご家族が会うことも可能だ。敵対するよりも、国交回復に向けて、動きだすときだと考える。

書展の受付、そして搬出

今日は石川九楊塾の書展@東京の最終日。受付担当と搬出作のため、北千住の会場に出向いた。

最初は母の濃紺の紬に筆の帯を着ようと思っていたのだが、夜、ある人に面会できることがわかり、和服は止めて洋服ででかけた。

代わりといっては何だが、友人が以前、書展のとき、案内・監督係をしていたところを撮ってくれた写真を届けてくれたので、それを紹介する。この年齢になると、こういうことはよくある。4年なんて、あっという間だ。若者にとっての1ヶ月くらいの感覚だ。

それにしても、たかが4年とあなどることなかれ。意外と初々しかったりするではないか。だとしたら、いつから老け始めたのかなあ。

さて、提出した副島先生の不動明王の臨書だが、勇気が出たら、ここにアップしますね。

と、ここまで書いたら、「イサン」が半分以上終わっていることに気づいて、テレビをつけた。

作家の籠城生活

塩野七生さんの100年インタビューを観ている。ローマへの関心は日比谷高校時代に始まっていたのだ。庄司薫も同級生だったとは今日まで知らなかった。

作品を書き上げるのに5ヶ月籠城するという。歴史を書くのに、現代人との接点を絶つ。そうなのだ。占領期を書くのでさえ同じ感覚を持った。その時代にトランスしないと書けないものである。

そうか。塩野さんのような巨匠でもそうなのだから、私は1年篭る覚悟が必要なのだろう、本当は。つい断りきれず人に会う私は、まだまだ半端だ。

ところが、私の周囲は執筆で会えないというのがどうも理解できないらしい。海外取材やテレビ出演だとすぐイメージできるのに、書いている合間に少しくらい自分に割く時間はあるはずだと発想する。特に、年配の人たちが私のNGを不義理だと断じる。これが厄介だ。

自慢じゃないが、私は遅筆である。小さなコラムならともかく、一冊書き下ろすのは、じっくり考えないと進まないのである。せめて入稿が終わるまで、お許しいただきたい。もちろん、お祝いの席やお別れの席には伺います、万難を排して。

皆既月食

このところ三日月や満月を見て、時の移ろいを確認することが多い。もう2週間、もうひと月、と焦るのである。

今日もエレベータホールで黄色くて大きな月に気づいてしまったら、なんと今夜は皆既月食だった。21時ころには真上に真っ白な満月。

しばらく原稿に集中していたので、あわてて空を見上げた。なるほど。赤い月とはこういうことか。

節電のおかげで月の光が際立った今年。冬空だと東京でも星がきれいに見えることも知った。原点に戻ったほうがいいよね、私たちは。