米軍の東京入城

宝島社のマッカーサーの広告が話題になっている。使われた写真は66年前8月30日、彼が厚木に降り立ったときのものだ。だが、すぐには東京には入らず、マッカーサーはしばらく横浜で過ごしている。

正式に東京入城を果たすのは昭和20年9月8日。日本軍に接収されていたアメリカ大使館を取り戻し、星条旗掲揚のセレモニーを行う。そして帝国ホテルで昼食をとった後、東京には留まらず、マッカーサーは再び横浜に戻っていく。第一生命ビルにGHQ本部を置くのは、もう少し先のことになる。

しかし、部下たちは日本軍の施設を中心に、着々と東京の接収作業にとりかかっていった。明治神宮の隣の代々木練兵場も、この日にGHQの手中に落ちる。やがて、そこは日本人の衣食住をアメリカ化するための発信基地ワシントンハイツと生まれ変わるのであった。

温水ゆかりさんの書評@週刊朝日

週刊朝日に書評が載りました。いつも拝読している温水ゆかりさんのコラムです。とっても嬉しい。ありがとうございます。

団塊の世代のご友人の話から始めるところ、さすがです。そしてワシントンハイツがアメリカの残像づくりの拠点であったという序章に記したポイントを使い、問題作と締めてくださっています。

許可を得ないとブログに写真をアップできないので、ぜひ、どこかで読んでくださいね。コンビニ、書店、図書館、銀行、いづこでも。

なぜか体重が減った

この写真は新潮社のロビーの棚に収まっている『ワシントンハイツ』。でも、よく見ると、撮影している私の服が写りこんでいる。驚くほどウェストが細い。いや、昔はこれより細かったのだが、ここ数年は、太るばかりで、あきらめていた服である。

奇跡やマグレではなく、ここへきて体重が減った。その数字が定着しているのだから、痩せたと言っていいだろう。この5年ほど太る一方で、落ちたとしても、ある数字をどうしてもきることができなかった。

それが、そこをクリアしたと思ったら、さらに1キロ、またまた0・5キロ、減ったのである。。博多のお土産にもらったとんこつラーメンを作って食べても、その数字がキープできているのだから、びっくりだ。

特に運動をしたわけではない。だが、つらつら理由を考えてみれば、この夏は以降、蒸留水をたくさん飲んでいる。暑いから喉が渇く。だが、極力、水を中心に氷を浮かべて飲んでいたのだ。1日に2リットル。仕事柄、コーヒーを欲するときは、インスタントを水に溶かしていた。

もうひとつ思いつくのは、ブルーベリー黒酢を飲んでいたことだろう。暑くて喉がかわく。そんなときに、酢が喉でぴりっと響くのがいい感じなのだ。去年まではヘルシアを飲んでいたが、食事を伴わねば、黒酢のほうが暑さに利く。

もっとも、家か図書館にひきこもって原稿書きの日々。外食をしないしお酒も寝る前のナイトキャップ程度だから、「酒抜き」効果があったのかもしれない。あれほど好きだったビールも、飲んで寝ると熱中症になるとテレビで見て、極力控えていた。ビールは少なからず太る理由のひとつだろうから。

食欲の秋になっても誘惑にめげず、この体重をキープできたら、また報告したい。

2011年08月 花火文の浴衣


6年間、沢瀉文で通したのは、ほかに欲しい文様の浴衣に出会わなかったから。
花火21で、今年みつけたのが、この花火文様の浴衣であります。淡い水色にゴールドの花火。実物は、もっと上品なゴールドですが、写真だといまひとつですね。
黒地帯のお気に入りは雪華文。花火とあわせるのはどうかなあ。と、とりあえず蛍の帯を締めてみましたが、もっとピッタリのをみつけたいと考えています。

『ワシントンハイツ』@朝日新聞書評欄

今日の朝日新聞13面に、『ワシントンハイツ@GHQが東京に刻んだ戦後』が取り上げられています。

ありがとうございます。感謝。

目に留まった方々が若者にも拡散してくださって、原宿表参道を通して日本の戦後を知ってもらえると嬉しいです。

「どじょう汚染内閣」って呼んじゃいますよ

今日放送されたテレビ朝日「サンデーフロントライン」。放送後に内内で反応があった秋尾コメントを紹介します。ニュースのランクは、選定委員の総合評価です。

2位 土壌汚染”チェルノブイリ基準超え”について・・・

さんざん汚染が広がってからの「いまごろの発表」では、国民を見殺しにする気かと疑いたくもなる。野田総理、すぐに日本列島の除染にとりかからないと、「どじょう汚染内閣」って呼んじゃいますよ。

7位 カダフィ大佐 不明でも”徹底抗戦”主張 について・・・

40年続いた独裁政権の負の遺産がのしかかる中、リビア市民にどれほど多くの試練が待っているかを思うと胸が痛い。

こうしたコメントは金曜日に提出。全体の集計をした上で、スタッフがピックアップしています。 

韓国の追い上げ

円高ウォン安で、日本企業が苦戦している。韓国は国策で、ウォンを大量に刷っているのだから、日本企業は不利だ。ドルもユーロも同じである。日銀も日本円を刷ればいいだけのこと。でも、やらない。なぜだろう。

国策ということでは、韓国政府は徹している。政府を挙げて映画産業に投資し、俳優を育て、韓流ドラマというソフトパワーで、東南アジアにあった嫌韓感情を打ち消した。日本だけではない。

90年代、東南アジア各国で、韓国企業の評判はすこぶる悪かった。ベトナムなどは後進国と見下し、現地従業員を酷使していた。結果、暴力を振るったからと、強制送還された女性支店長もいたくらいだ。だが、21世紀になって、韓国は大きく変わった。

先日のシンポジウムでも、韓国企業の取り組みが話題になった。ベトナムに進出する場合、社員に徹底的にベトナム語を学ばせるのだという。ベトナム語は広東語と同じくい難しいのに、である。未来を見据えた戦略だ。他方、経済力をバックに恵まれた条件で東南アジア諸国に進出した日本企業はこの韓国の努力に、どう立ち向かうのだろう。

韓国政府を挙げての戦略と企業努力。5年後、10年後には、日韓逆転しているかもしれない。注視すべきは、中国の台頭だけではない。

パフスリーブ2

バルーンスカートと同じくお気に入りはパフスリーブ。

2010年9月の迷彩ワンピの上にはおっているボレロが気に入って、タータンチェックが登場したYUKI TORII 2010秋冬の際に、同じパタンで特注したものです。1年前の誕生日に着ました。今年とは別の広尾にあるイタリアンレストランにて。

写真を整理していたら、5歳の誕生日の写真が出てきました。構図が似ているので、こちらもアップしてみます。パフスリーブだったら面白かったのに、何も着ていないみたいですね。8月10日。暑かったのでしょうか。それにしても、このころのほうが眼光鋭いような・・・。

防災の日

朝9時、東京都の訓練の様子が中継されていたが、手ぬるい。こんなにモタモタしていて、大丈夫なのだろうか。 

それよりも、地下鉄が心配だ。線路の上で自動停止すれば、真っ暗で閉じ込められる。津波の可能性を考えれば、一刻も早く地上に出て、ビルの上に逃げ込みたいのに、駅員はどうやって動員するのだろう。このシミュレーションだけは徹底してほしい。

 311の後、私は防災グッズを持ち歩いていた。外で被災して、そのまま避難所へ送られるパタンを想定してのことだ。家では、大きなスーツケースに避難所で必要とされそうな物を詰めて、瓦礫の中からも取り出せるようにしていた。ところが、危ないと言われた6月が無難に過ぎたので、持ち歩くのもLEDライトと眼鏡と気が緩んでいた。

 再び9月危機説が囁かれる中、改めて気を引き締めねばならない。港区では津波の水が川を伝って上がってこないとも限らない。豪雨で灌水する可能性もある。よって、1週間篭城できる水と食料、カセットガスコンロが必要だ。今日はその点検に徹した。

 津波の場合は、建物の上に逃げればいい。だが、火事に備えてどうしたらいいか。もう少し研究してみる必要がある。