反村上デモにスポンジ・ボブ?

村上隆氏のベルサイユ宮殿での個展が、パリで物議をかもしていると言う。フランス人の気分としてはわからないでもないが、ヴィトンに起用された段階で、既に、その一線は越えてしまったのではないか。

気になったのは、デモの中にいた一人のおじさま。村上隆の世界に反対しながら、手にしていたのは、スポンジ・ボブをかたどった四角い黄色の風船。あれれ、たしかアメリカのアニメのはずなのに、フランスの伝統にこだわるのなら、違うものをお持ちになったほうがいいのでは? 

いや、このおじさまは、日本もしくはアジアを認めたくないだけかもしれないと思いなおした。

決着

党首選が一段落。国民に近いサポーター目線では、「2人に大差がないのなら、ころころ替わるより続投が望ましい」ということなのだろう。

公職選挙法に違反しないということで、相当に実弾を使ったという話もあるのだが、だとすれば、両陣営ともその出所が気になるところだ。菅総理が目指すクリーンでオープン?な政治はどこにいったのでしょうか。

いのち輝かそう大賞

今日は「いのち輝かそう大賞」の授賞式。受賞作の朗読をすることになっているので、昨夜のうちに東京に戻り、朗読の準備にかかっていた。

結果のご報告はまた、明日。

出張授業で福岡へ

今日は春日西中学校で出張授業。飛行機の空席がなく、8時半の便で福岡に向かう。エンジン01教育委員会のメンバーたちとボランティアで授業を行う。今回は、拓殖大学の森本敏さん、料理評論家の山本益弘さん、東京都市大学の多田さんが一緒だ。

コミュニティスクールの春日西中学校は、生徒たちののびのびとして元気がよく、その明るさに驚かされた。廊下ですれ違いざまの挨拶はもとより、教室で生徒が一体となって挨拶するときも声が大きく、みなの呼吸がぴったりだ。日本全国の中学生がこの素直さを持つことができれば、日本はいい社会になるのだが。

とはいえ、彼らが社会に出るころには、日本企業の就職はますます厳しくなる。グローバル化に抗することはできず、日本の子どもたちが企業に就職する際には、アジアからの留学生と競わなければならない。親の世代とは違って、仕事を得るためにグローバルな視野を持ち、マニュアル以上のアイデアを提示できる企画力を備え、複数の語学がこなせるうよう、いまから勉強しなければいけない。ぼーっとしていれば、日本人にはメイドや皿洗いの仕事しかめぐってこないのだ。豊かになりたいときに人々が発揮するエナジーを侮ることなかれ。

他方、外国人が大勢日本に押し寄せるということは、日本にいながらにして友人ができるということでもある。海外から来た同世代の友人を作り、その家族を訪ねる形でほかの国々を知り、かつ日本を相対化するチャンスも増えるということだ。ツアーで海外旅行に行くより、はるかに意味がある。

仕事を終えた後は、福岡で美味しいものを頂くのだが、山本益弘さんと一緒だと、ガイドブックには載っていないお店で舌鼓を打つことができる。この暑さの中、マツタケと河豚を食すことの幸せに、感謝、感謝でした。

中国人観光客と向き合うヒント

最近になって、テレビなどでも中国人観光客のマナーの悪さを取り上げるようになった。驚かないでよ、そんなことわかっていたじゃないの、と心の中でつぶやく私がいる。

中国人を日本流に変えるのは、ほぼ不可能である。ましてや、ただ観光に来ただけのヴィジターが、日本の風習に合わせるわけがない。彼らは留学生でもなければ、日本企業に就職したわけでもないのだ。しかも、団体で押し寄せたのである。赤信号、みんなで渡れば怖くない、の心理だ。

もともと中国人はマイペース。世界に根を下ろす華人富裕層の間では彼らなりのルールが存在するのだが、中国共産党に飼いならされ、小金を手にした庶民には、相手のことを思いやるという思考回路がない人が多い。1993年に中国大陸を訪れたとき、私はそのことを思い知った。ほとんど人がいない、だだっ広いホームで、3人の男たちが横に広がり、一人電車を待っている私めがけて直進してきて、平気で突き飛ばしていったのだ。こんなに広いのだから、避けて歩けばいい。3人横に広がる必要もないではないか。「私が何をしたというのだろう・・・」。中国沿海部各地で同じ経験を何度もしたが、一人旅の私は、その都度、傷つき、泣きそうになったものだ。

 だから私は心配する。中国人移民が大量に押し寄せ暮らし始めた段階で、日本社会は混乱する。誰もがストレスを抱えることになる。鬱になる人が増えるに違いないのだ。そして、あっという間に、日本の風習やルールは中国流に塗り替えられる。それに私たちは耐えられるだろうか。

彼らを変えるのは不可能である。だから私たちの心の準備が必要なのだ。繊細な心が傷つかないために、まずは中国人の癖を知るべきである。日本との違いから起こる最悪の事態を想定し、先回りして策を練るしかない。外国人だからと過剰に親切にするのも止める。こちらの考えは堂々と主張して相手に伝える。彼らはそれに対してイ驚きもしない。

同時に、日本人として自分が死守したい日本的価値について考えてみること。譲れること譲れないことについて常々整理しておくことが、現段階でできる、はじめ一歩だと私は考えている。

911を前に

まもなく9月11日。アメリカ人の心の中には各々いろいろな思いが去来する。

 その日に、フロリダの牧師がコーランを焼くと言い出した。なんということだ。これでは、世界中のムスリム(イスラーム教徒)が黙っていない。ラマダン(断食月)が明けると、どうなるのだろう。

 この挑発が新たな戦争への導火線にならねばいいと思うのだが、ジョーンズ牧師の背後に、それを望んでいるグループがいたりしたら、事態は厄介である。

 NYグラウンド・ゼロの近くにモスクを建設する話も、オバマ大統領の立場を危うくしている。ここぞとばかりに、共和党の元副大統領候補サラ・ペイリンが突っ込みを入れた。これが全米で問題となり、ガスは充満しているのだ。

 本来、イスラームはどの宗教に対しても寛大である。一部のテロリストと区別して考えなければならない。ハンティントン氏が『文明の衝突』などと書いたからといって、それを普遍化して戦争に突入することがあってはいけない。それは、ある種の挑発なのだ。

少なくとも911までは、アメリカのテレビはこの件を中心に報じるに違いない。今年、中間選挙であることが、アメリカ社会を複雑にしている。

ラリマー

ラリマーの存在を知ったのは数年前。ドミニカ共和国でしか採れない、この海のような石に一目ぼれした。だが、当時、日本で手に入れるのは難しく、アメリカで買い集めた。

真ん中にある四角いペンダントヘッドがLAで最初に手に入れたもの。ハートの石はブルートパーズ。外の大きな石はワシントンのダレス空港で衝動買い。この大きさはアメリカでも貴重。四角い石はレモンクォーツです。

丸いビーズのブレスとネックレスは、台湾のストーンマーケットで出会いました。

『ワシントンハイツ』の著者紹介の写真でつけているのは、この真ん中のペンダントヘッドです。

実物はもう少し青が深くて美しいです。

具体策

雲が空を覆い、朝の陽射しが弱まったからと期待して外に出ると、がっかり。相変わらずムワンとしている。なんだか誰が総理になっても同じ、と言わんばかり。空模様が変わっても、息苦しいことに変わりはない。 

雇用、雇用、と連呼するばかりで、やはり無策の予感が漂う。そういえば、オバマ大統領は先週、「来週には雇用促進策を発表する」と宣言していたような。その策がどれほど効果があるかは見てみないとわからないが、日本の総理も何か具体策を用意して発言してほしいものだ。

で、それを提示してくれるのは、どっち?

政治家のフェロモン

政治家は面白い生き物である。選挙になると、突然フェロモンが出てくるらしい。最初は疲れていた二人が、遊説(特に街頭演説)を通して息を吹き返した感じだ。その意味では、小沢一郎氏が候補になったことで相乗効果、菅総理も得をしている。

オザワ・ギライの友人が、電話で言う。

「こうなったらオザワが勝って、民主党の正体が見えてきたほうが面白いよね。きっと前のめりで色々ボロが出てくるからさ。それが日本再生への近道だと思えてきた」

 なるほど、それで政界再編は加速するかもしれない。だが、そのころに日本はどうなっているのだろう。

円高のまま放置する政府の無策で、日本沈没は止められない。ドル高のアメリカ、ユーロ高のドイツの企業が、この間、どれほど輸出で儲けているか。 円高で買い物に有利、と個人旅行客が喜んでいる場合ではないのである。

秋陽射し

陽射しの強さにメゲて先延ばしにしていたが、15時前に銀行の窓口に駆け込む。炎天下の渋谷は肌に厳しい。 

青いリボンのセーラー服姿が目立った。東京女学館も新学期が始まったのだろう。バスの定期売り場に列が出来ていた。

午後4時過ぎ。スクランブル交差点で空を見上げると、空高く、鱗雲が広がっていた。すっかり秋の空模様なのに、太陽光線が肌を射す。 

「もう、いいよ」と言いたい気持ちでいっぱいなのに、「もう、いいかい」と聞いてくれない秋陽射しである。