2005年11月 大樋焼個展

大樋年雄さんの個展を見るために、富山に飛びました。母の赤黒の大島紬に6月に買った縮々の帯を合わせました。
赤の入った大島紬は現代ではめずらしいらしく、昭和40年前後のものらしい。母が一度も袖を通していないので、私のために祖母が買い置きしておいてくれたのかもしれません。
空港の手荷物検査でピピと鳴った話はブログで紹介しています。犯人はコーリンベルトだったのです。

2005年7月 日本の真髄「日本料理」

『ノーブレス』2号の菊乃井・村田さんとの対談には、さんざん迷ったあげく、単衣の訪問着を着ていきました。9月売りとはいえ、7月の単衣は暑かった。
これは世田谷の「いその」さんで、誂えたもの。母が私の嫁入り道具の一環としてそろえてくれた着物のほとんどが、こちらのろうけつ染め。五寸の袖は長すぎるので、短くしてもらおうと伺った折に、つい衝動買いしてしまいました。白の絽つづれの帯も一目ぼれ。

2005年7月 向日葵に蜻蛉を飛ばして

なんという執念であろうか。夏帯を探し歩くうち、アンティークの着物を購入してしまった。今年の夏はパーティで大活躍。向日葵文の訪問着は絽ちりめん。「かわの屋」さんで衝動買い。とはいえ、あわせる帯が難しく、銀座の呉服屋さんをしらみつぶしに歩くうち、「松下屋」さんで深緑と黒の羅の帯に出会ったのです。

ここに勝ち虫であるトンボを飛ばしたい――。7月初旬に訪れたNYとワシントンで流行している昆虫のブローチ群から、トンボを集めてお太鼓に飛ばしました。帯留代わりは、NYのデパート「ブルーミングデール」のキッチン用品売り場で購入したナイフ・フォーク・レストです。
8月の歌舞伎座にもこれを着用。楽屋を訪ねた折、坂東三津五郎さんが着物の文様について反応したのは、これが初めて。よほど珍しい文様なのだと思います。

2005年7月 祖母の越後上布


祖母の上布には、チョコレート色の帯か、エメラルドグリーンの帯を合わせて着ていました。大方の着物が桐たんすに入っていたとはいえ、夏帯はもう何年も前から手入れがされていたなかったらしく、着用すると喘息になりそうです。エメラルドグリーンの帯は日焼けがひどかったので、裏を表に出すよう、仕立てかえました。

2005年5月 日本の真髄「武士道」

6月末に創刊される雑誌『ノーブレス』で着用するため、一足先に赤の紗を着用。藤岡さんとの対談。
この着物は20代のころから夏の結婚式に活躍しました。帯のピンクが可愛らしすぎるので、もう少し大人の夏帯を探そうと思います。
アジサイを模ったオパールの帯留はこの季節の必須アイテムです。

2005年2月 ペルシャ文

母の濃紫地に可憐な花が描かれた着物。ペルシャの物語を織りこんだピンクの帯は、セールで買ったブルーマリンのバッグと色が一致して嬉しくなりました。道行コートはグリーンと紫。毛皮で首を覆っても、やはり2月の東京は風が冷たく、この日以降、足元まで長いコートを探しに出かけます。