「一穂堂」10周年記念とお茶会に菜の花の訪問着を着用。利休忌も過ぎたことなので、菜の花でも許されるとおもったのですが。この訪問着は「青山みとも」のセールに朝一にでかけ、8万円台で購入したもの。残念なのは仕立てが私のサイズより大きく上がってきたこと。来年の春までに仕立て直さねば。
帯は「一穂堂」でみつけた「誉田屋」の帯。紐やチェーンが通してあるのが魅力です。伊達襟と帯締め、帯揚げを松葉色にすると、きりっと締まります。
月: 2010年7月
2006年3月 結婚式&披露宴
2006年3月 朝まで生テレビ
「朝まで生テレビ」20周年のパーティほど、着ていく服に悩んだ会はありません。番組を立ち上げた名プロデューサー日下雄一さんが1月に他界され、偲ぶ会と合わせてのパーティとなったからです。お祝いとお別れ。正反対の趣旨が同居する会ではどちらに合わせて着物を選べばいいのか。出席した女性の多くが悩んだと言います。最初は不祝儀にも着られる淡い藤色のぼかしにトクサ文の帯か、地味な花柄に不祝儀の鼠色の帯を締めようかとも思ったのですが、もしも洋服で出席するなら何色を着るか、自分だけ浮かない色は何かを考えたあぐねた結果、このアジア太平洋賞の授賞式で着た黒地の赤白の絞りの訪問着(2000年11月でも紹介)にしたのです。赤が入ることが偲ぶ会で失礼かどうか悩ましいところですが、会場にいらした女性の多くは、黒地のスーツに真っ赤をさし色にした出で立ちだったので、ほっとしました。トクサ文様の帯は母のもの。
2006年2月 エンジン01@会津
2006年1月 シクラメン
昨年末に仕立て変えた母の大島です。緑の文様がめずらしい黒の大島ですが、これは昭和 40年頃までの技術なのだそうです。子どものころ、母がこの大島を着ていた姿を私がはっきりと覚えているくらいですから、遺品を整理した時点で、裾廻しは擦り切れ、胴裏のシミも目立ちました。どうせ裾廻しを新しくするのなら、目の覚めるようなエメラルドグリーンを、と捜し歩きましたが、既製の裾廻しは渋い色ばかり。昔バンコクで買ったタイシルクのハギレをあてようかと思ったり、アンティーク着物の一部を使えないかと探したり、ずいぶん時間をかけてはみたものの、これという色に出会えません。ため息をついていると、ある呉服屋さんが大日本印刷の色見本を出してきて、私の指定した色で試し染をしてくれたのです。思ったとおりの色が出たのでお願いしたところ、これが私のイメージそのもの。今年になって何度も着ていますが、行く先々で評判です。かなり満足。母のシクラメンの帯が一番しっくりきます。
2006年1月 日本の真髄「ニッポンの色」
2005年12月 クリスマス
2005年11月 襦袢と帯をトランプで
この着物は、結婚前に母が着ていたものと思われます。茜色の地は顔映りもよく、ねずみ色のぼかしが印象的で、なんとかして着こなしたいと数年前から考えていました。
しかし、手元の帯ではどれも合わず、いったい母はどの帯を合わせていたのか、アルバムを探してもみつからず、今年になって、いよいよ着物を持って呉服屋さんめぐりをしたのでした。どう合わせても、結局は、黒地の帯でないと、ぼけてしまう。
そんな折、出会ったのが「紫織庵」製トランプの帯。これで大正ロマン風に仕上がります。お値打ちで、同じ柄の「長襦袢」も誂えることができて大満足。帯とおそろいの長襦袢に気づいて声をかけてくれるのは、かなり「通」です。
これを着用したのは『ノーブレス』3号の大樋年雄さんとの対談が初めて。帯も襦袢もトランプなのだから、指輪とバッグもハートにしてみました。