2005年11月 襦袢と帯をトランプで

この着物は、結婚前に母が着ていたものと思われます。茜色の地は顔映りもよく、ねずみ色のぼかしが印象的で、なんとかして着こなしたいと数年前から考えていました。
しかし、手元の帯ではどれも合わず、いったい母はどの帯を合わせていたのか、アルバムを探してもみつからず、今年になって、いよいよ着物を持って呉服屋さんめぐりをしたのでした。どう合わせても、結局は、黒地の帯でないと、ぼけてしまう。
そんな折、出会ったのが「紫織庵」製トランプの帯。これで大正ロマン風に仕上がります。お値打ちで、同じ柄の「長襦袢」も誂えることができて大満足。帯とおそろいの長襦袢に気づいて声をかけてくれるのは、かなり「通」です。
これを着用したのは『ノーブレス』3号の大樋年雄さんとの対談が初めて。帯も襦袢もトランプなのだから、指輪とバッグもハートにしてみました。

2005年11月 ナベプロ創立50周年

ナベプロの創立50周年記念パーティに着用。夏の向日葵文の訪問着で味をしめた私は、またまた「かわの屋」さんで、この訪問着を手に入れました。関東の庄屋のお嬢さんのものらしく、三つ口が小さいのにびっくりです。手刺繍も凝っていて、見れば見るほど、ほれぼれする文様です。インゲン豆より長い豆の曲線とか、葉鶏頭の朱色、夏芙蓉の刺繍が印象的。全体の緑も私に合っていて、緑の伊達襟をつけることにしました。問題は長襦袢。袖は七寸と半端なので、とりあえずは成人式の本振袖の襦袢を大幅に折って着てみました。

2005年11月 シンポジウム@鹿児島

鹿児島県のさつまいも伝来300周年記念シンポジウムに出席した折に着用。9時台の飛行機に乗るために早起きして着ると、頭が起きていないので、結構てこずるもの。最初は大島紬と思ったのですが、背景が黒と聞いて、急遽、水色の鮫小紋に変更しました。2日目の日曜日はとりわけ蒸し暑く、汗びっしょり。それをたたんで宅急便で東京に送り、屋久島へと向かったのです。

2005年11月 大樋焼個展

大樋年雄さんの個展を見るために、富山に飛びました。母の赤黒の大島紬に6月に買った縮々の帯を合わせました。
赤の入った大島紬は現代ではめずらしいらしく、昭和40年前後のものらしい。母が一度も袖を通していないので、私のために祖母が買い置きしておいてくれたのかもしれません。
空港の手荷物検査でピピと鳴った話はブログで紹介しています。犯人はコーリンベルトだったのです。

2005年7月 日本の真髄「日本料理」

『ノーブレス』2号の菊乃井・村田さんとの対談には、さんざん迷ったあげく、単衣の訪問着を着ていきました。9月売りとはいえ、7月の単衣は暑かった。
これは世田谷の「いその」さんで、誂えたもの。母が私の嫁入り道具の一環としてそろえてくれた着物のほとんどが、こちらのろうけつ染め。五寸の袖は長すぎるので、短くしてもらおうと伺った折に、つい衝動買いしてしまいました。白の絽つづれの帯も一目ぼれ。

2005年7月 向日葵に蜻蛉を飛ばして

なんという執念であろうか。夏帯を探し歩くうち、アンティークの着物を購入してしまった。今年の夏はパーティで大活躍。向日葵文の訪問着は絽ちりめん。「かわの屋」さんで衝動買い。とはいえ、あわせる帯が難しく、銀座の呉服屋さんをしらみつぶしに歩くうち、「松下屋」さんで深緑と黒の羅の帯に出会ったのです。

ここに勝ち虫であるトンボを飛ばしたい――。7月初旬に訪れたNYとワシントンで流行している昆虫のブローチ群から、トンボを集めてお太鼓に飛ばしました。帯留代わりは、NYのデパート「ブルーミングデール」のキッチン用品売り場で購入したナイフ・フォーク・レストです。
8月の歌舞伎座にもこれを着用。楽屋を訪ねた折、坂東三津五郎さんが着物の文様について反応したのは、これが初めて。よほど珍しい文様なのだと思います。

2005年7月 祖母の越後上布


祖母の上布には、チョコレート色の帯か、エメラルドグリーンの帯を合わせて着ていました。大方の着物が桐たんすに入っていたとはいえ、夏帯はもう何年も前から手入れがされていたなかったらしく、着用すると喘息になりそうです。エメラルドグリーンの帯は日焼けがひどかったので、裏を表に出すよう、仕立てかえました。