『Noblesse』「日本の真髄」のテーマは「盆栽」。母の藍染めのぼかしに祖母の帯を合わせました。
昨年の6月分でご紹介していますが、着用して外の光を受けると、こんなに藍色が映えます。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2006年4月 国立劇場へ
2006年4月 柘榴、椿、南天
2006年4月 菜の花文@祝宴
2006年3月 結婚式&披露宴
2006年3月 朝まで生テレビ
「朝まで生テレビ」20周年のパーティほど、着ていく服に悩んだ会はありません。番組を立ち上げた名プロデューサー日下雄一さんが1月に他界され、偲ぶ会と合わせてのパーティとなったからです。お祝いとお別れ。正反対の趣旨が同居する会ではどちらに合わせて着物を選べばいいのか。出席した女性の多くが悩んだと言います。最初は不祝儀にも着られる淡い藤色のぼかしにトクサ文の帯か、地味な花柄に不祝儀の鼠色の帯を締めようかとも思ったのですが、もしも洋服で出席するなら何色を着るか、自分だけ浮かない色は何かを考えたあぐねた結果、このアジア太平洋賞の授賞式で着た黒地の赤白の絞りの訪問着(2000年11月でも紹介)にしたのです。赤が入ることが偲ぶ会で失礼かどうか悩ましいところですが、会場にいらした女性の多くは、黒地のスーツに真っ赤をさし色にした出で立ちだったので、ほっとしました。トクサ文様の帯は母のもの。
2006年2月 エンジン01@会津
2006年1月 シクラメン
昨年末に仕立て変えた母の大島です。緑の文様がめずらしい黒の大島ですが、これは昭和 40年頃までの技術なのだそうです。子どものころ、母がこの大島を着ていた姿を私がはっきりと覚えているくらいですから、遺品を整理した時点で、裾廻しは擦り切れ、胴裏のシミも目立ちました。どうせ裾廻しを新しくするのなら、目の覚めるようなエメラルドグリーンを、と捜し歩きましたが、既製の裾廻しは渋い色ばかり。昔バンコクで買ったタイシルクのハギレをあてようかと思ったり、アンティーク着物の一部を使えないかと探したり、ずいぶん時間をかけてはみたものの、これという色に出会えません。ため息をついていると、ある呉服屋さんが大日本印刷の色見本を出してきて、私の指定した色で試し染をしてくれたのです。思ったとおりの色が出たのでお願いしたところ、これが私のイメージそのもの。今年になって何度も着ていますが、行く先々で評判です。かなり満足。母のシクラメンの帯が一番しっくりきます。