ノーブレス8号「日本の真髄」では、茶道裏千家前家元・千玄室さんにインタビューさせていただきました。きものは20代に嫁入り道具のひとつとして母が作ってくれた訪問着。結婚披露宴の折などに相当活躍したものですが、昨年、ついに袖丈を縮めました。なぜなら香道志野流の若の宗名披露パーティで久しぶりに着てみたところ、袖丈が5寸というだけで、若作りをしているようで恥ずかしくなったからです。伊達襟も紫にしたら年相応に見えますね。帯は母が色留袖を着るときに締めていたものです。
カテゴリー: 秋尾沙戸子のきもの適齢期
「きものを着たい」と思った時が適齢期。形見が舞い込んだ時、海外暮らしを終えた時、日本人の心を確かめたくなった時――。ワシントンDCでの中年留学を機に始めて18年。祖母・母・娘と三代続く着道楽の血が騒ぎ、粋に着こなしたいと奮闘中。失敗例も含め、適齢期を迎えた方々のヒントになれば幸いです。
京都での10年を歳時記にまとめた『『京都で、きもの修行:55歳から女ひとり住んでみて』が世界文化社より出版。日々の着こなしの写真は、インスタグラムに掲載。
2006年11月 ハートカクテルイレブン
2006年10月 書展にて
2006年8月 誕生日
2006年7月&8月 日本の真髄「能」
『ノーブレス』7号では人間国宝で能楽師の三川泉さんにお目にかかりました。その際に宝生能楽堂で撮影したのがこの写真。
当日の朝、先方が生成りの上布とうかがったので、急遽、このアンティークきものを着ることにしました。
この御所解き文のきものは7月に玉三郎さんの舞台を観に出かけた時にも着用しています。
これを購入した「かわの屋」さん主催の食事会で、草木染の吉岡幸雄先生が講演されるというので、せっかくだから見ていただこう、とこれを着て出かけたのですが・・・、
絽麻ではなく、生絹(すずし)と指摘されて、皆で愕然! 明治初期、化学染料が日本に入ってきたばかりのころの着物だそうです。刺繍糸の毒々しいピンクをみれば歴然ですね。
帯は母の絽つづれ。帯留は無地の着物用に用意していた能面です。
2006年6年 山王ホテル
2006年6月 羽織を着物に
2006年6月 日本の真髄「雅楽」
2006年6月 団菊祭の千秋楽
団菊祭の千秋楽、今度は昼の部に。この季節の着物は難しく、雨になれば、雨コートとの色の取り合わせも気になるところ。幸い陽射しは強いものの、湿気はなく、雪華文を選びました。
実はこの母の鮫小紋のきものは袷なので夏帯を合わせるのは厳密にみれば問題ですが、色が黒であることと、5月末ということで良しとしました。
この鮫小紋より少し明るめの絽の着物があれば、文句なし。しかし、既製品では明るい色は存在せず、特注しかありません。それにしても、夏に雪文を持ってきて涼をとる日本人のセンス、すばらしいと思いませんか。
バッグは先日バンコクで調達。タイシルクと綿の混紡です。雪をモチーフにしたコーチのキーホルダーがぴったり。ひとつとって帯留めにするには小さすぎますので、このままバッグにつけて使いました。