2007年8月 雨あがり

「雨あがり」と名づけられたこの夏帯は国連協会のパーティで初お目見え。102歳で亡くなった名人95歳の時の渾身の作品。二度と織れないからと断られたのを数年かけて口説き落として、「誉田屋」さんに譲っていただきました。
蜘蛛の巣の水滴は銀糸で掬っているのですが、それを織りながらどの位置に入れていくかが名人芸。タイトルにふさわしく、抜けるような青空色の絽で。

2007年7月 薬膳の会

おそらく母の娘時代の絽と思われます。洗い張りを済ませた状態で箪笥の中からみつかったもの。細かいシミがあったり、赤がにじんだりと、決していい状態ではありませんでしたが、こうした派手な絽は現代ものにはありません。そこで、世田谷の「いその」さんにご相談して、にじみを背中に持っていく形で仕立てていただきました。かなり長い間、合う帯がみつからなかったのですが、10年ぶりにお訪ねした福生の「マイコ」さんで、この蛍の帯に出会ったのです。明治時代のものですから、穴も破れのあったのですが、そこを取り除き、二分式にしていただきました。食事会などに重宝します。

2007年7月 祇園祭宵宵山

この平絽を着て祇園祭宵宵山にでかけました。あいにくの台風で、家を出たら土砂降りの雨。よって下駄履きにレインコート着用で朝、東京駅に向かったところ、富士川の増水で新幹線がストップ。八重洲で足止めを食い、ひどい目に。その日、京都は朝からピーカン。周囲が浴衣姿なので、草履が似合わず、下駄で歩き回ったらふくらはぎがパンパンになりました。浅黄色と紫の帯は便利。昨年の麦の絽にも合います。

2007年7月 向日葵文@祝宴

インテリアデザイナー内田繁さんの紫綬褒章受賞を祝うパーティに出席した折に着用。二次会では男性陣のほとんどが「向日葵なのに、なんで赤いんだ!」とコメントしたのに対し、奥田瑛二さんのみ、「面白い」と絶賛。さすが画家であります。この振袖で向日葵文は3枚目。「かわの屋」さんのオーナーがこの着物を見た途端、秋尾の顔が浮かんで仕入れてくれたとのこと。この着物にあわせて白地の芭蕉布の帯を買おうかと迷ったのだけれど、白は汚れるからと躊躇したまま。とりあえず合わせた紫の羅の帯も、かわの屋さんで頂きました。帯留は向日葵のブローチを使っております。

2007年6月 日本の真髄「歌舞伎」

『Noblesse』11号は四代目坂田藤十郎丈にインタビュー。
この紫の紗のきものは、祖母の箪笥から出てきました。
かなり古いものと思われますが、めずらしいので手入れしておいて残しておいたのです。団扇と扇子の中に、それぞれカササギと梅の花が刺繍されています。帯は私が20代の時に買ってもらった絽つづれ。

2007年4月 日本の真髄「香道」


20代の時、母が世田谷の「いその」さんで作っておいてくれたハイビスカスの訪問着。
淡いピンクにハイビスカス文はお気に入りなのに、合わせる帯も難しく、着る機会が限られます。l今回は母の銀の帯です。
『ノーブレス』10号で志野流香道家元蜂谷宗玄氏との対談で着用。香木の多くは東南アジアが産地なので、この文様を選びました。

2007年2月 日本の真髄「華道」

『Noblesse(ノーブレス)』9号の「日本の真髄」では、京都の六角堂を尋ね、華道家元四十五世池坊専永氏にお話を伺った。お家元が紫をお召しになると伺っていたので、この黄色にしました。肩にある花はなんだかわかりませんが、正面には牡丹、後ろには菖蒲と蒲公英が描かれています。銀の帯でもいいのですが、撮影には不向きと考え、毎度おなじみ母の桃色の帯を締めることにしました。

2007年1月 裏千家初釜式

裏千家初釜式に今年初めてお招きを受けました。おめでたいお席なので、青竹の色留袖を着用(ピンボケの携帯写真ですが)。帯は先日のインタビューと同じ母の形見。
龍村の帯を、とも思ったのですが、前日、ホテルの美容院を訪れた時、既に持ち込まれていた某女性議員の帯と比べて、格が高すぎると判断、龍村は断念しました。
帯留は青竹に合わせて翡翠を選びました。お茶席では指輪ができないけれど、帯留の宝飾は許されるのだそうです。

2006年11月 祖母の結城@歌舞伎座

久しぶりの歌舞伎座は雨。結城紬で出かけました。
糊がきいてゴワゴワだった祖母の反物を呉服屋さんに見せたら、ホンモノの結城紬かも、とのこと。産地である結城に手入れを依頼したところ、石鎚で叩いたそうで、ほわほわになって戻ってきました。
赤、金、抹茶色、紫。すそ回しを何色にするかずいぶん悩んだあげく、杜若色にした次第。帯は誉田屋さんのゴールドです。質感としては、もう少し重いもののほうが合います。