気のせいで、涼しくなる

関西に取材に出向き、間に京都に寄って祇園祭を垣間見た。最終便で戻ったところだ。

宵山の室町を歩き、麻暖簾を買い、早朝は山鉾を組み立てる様子をカメラに収めた。

京都に比べれば、なんと東京の涼しいこと。より暑い経験をすれば、自分の置かれた環境が悪くない気がしてくるから不思議だ。

北京40度、モスクワ35度。そう聞けば、ほら、東京が涼しく思えてくるではないか。

追伸:上の情報は友人からのメールだが、その後のニュースによれば、ロシアではウォッカを飲んで暑さから水浴びをし、亡くなった人たちもいるらしい。ギリシャでは暑さのあまり山火事。経済危機で大変なのに、泣きっ面に蜂とはこのことか。

2010年7月 第58回日本エッセイスト・クラブ賞授賞式

7月7日の授賞式に何を着るか。さんざん悩んだあげく、御所解きの生絹(すずし)にしました。
授賞式だから格の高い帯を、と掬い織の蜘蛛の巣の夏帯を締めたかったのですが、それに合わせて色無地か江戸小紋の絽の着物にすれば、写真に撮ったときに仲居さんの制服のように見えてしまいます。では、この御所解きの生絹に蜘蛛の巣帯を持ってきてはどうか。やはり喧嘩してしまうので諦めました。
結局、母の形見だからという納得の仕方で、この絽つづれに落ち着かせた次第。帯留を翡翠の龍にしたので、両親の供養になったと思います。父は辰年でした。
きもの表彰式バックきもの表彰式正面

盆の入り

 東京では盆の入りは7月13日。読経はその後にお願いするものだが、両親の霊がいる間は平日という理由なのだろう、弟のアレンジでそれ以前の10日にお寺に行くことになった。同じような趣旨で、その日は何組も寺を訪れていた。

 盆の入りはといえば、霊園で迎え火と送り火を焚いてくれることがわかり、最近はそれに申し込むことにしている。とはいえ、灯篭だけ立派なのもバランスが悪い。供花と掃除はその前に終えなければ、と13日の昼ごろ、墓石を磨いていると、大粒の雨が降り出した。

 これまで、迎え火を自分のところでやってみたいと、マンションのベランダや入り口近くの歩道の端っこに小さな鍋を置き、その中で燃やしてみたりしたことがある。最近の東京は何時になっても明るく、一体いつが迎え火を焚くべき時刻か悩んだりもした。だが、そういうことに詳しい友人に言わせれば、私の家で迎え火を焚けば、両親の霊が仏壇のある弟の家に行けなくなるので、余計なことをしてはいけないのだという。

 お供え物の数々は今朝そろえてみた。果物はお供えパックのほうが、はるかに無駄が無い。手作りの蓮の落雁、それに白おこわやオハギは日々、西麻布の「青柳」で買うことにしている。老夫婦が営むこの店で、母が他界したときから、お盆の慣わしを色々教えていただいている。お二人とも髪が真っ白になったのを見ると、13年の歳月を感じずにいられない。

 とりたてて仏教徒というわけではないが、日本にいるときは、こういう慣わしに身をゆだねることにしている。これも、日本的なるものを探り当てる私なりの試みなのである。

 

  

 

2010年4月 すきやばし次郎へ


久しぶりの「すきやばし次郎」へは和服で出かけました。
「いその」さんのセールで手に入れた黄はだ色の紬は秋冬でも重宝しますが、今回は「誉田屋」さんのモダンな帯に、新緑のエメラルドグリーンの帯締めと帯揚げを合わせ、「風光る」感じを出しました。
左は小野次郎さんとの記念撮影。息子さんとの呼吸はぴったりで、その仕事ぶりはまるで文楽を観るよう。日本の誇るべき伝統芸能の域にあります。

2010年4月 銀鼠、赤、そして蜘蛛の巣

赤鼠縞 aka nezumi shima Red Mouse Stripes
母の平成になってからの着物に、娘時代のものと思われる昭和の帯を組み合わせると、少し若々しい印象になります。
この取り合わせは以前、歌舞伎座にも着ていったことがありますが、食事会などで重宝します。帯揚げは蜘蛛の巣、実は襦袢も黒地に銀で蜘蛛の巣を描いたものです。