2004年12月 中村勘九郎最後の舞台

勘九郎さん最後の舞台。新宿高校の校舎お別れの儀式に出席した後、歌舞伎座へ。
袷の着物は現代もの、赤い帯は母の娘時代のものと思われます。この帯はウズベキスタン映画の中でも着用しました。
校庭での儀式は道行コートを着ていても風の冷たさが身にしみて、アンゴラの長いコートを買おうと決意した次第。

2002年11月 結婚式

従姉妹の結婚式には黒留袖で出席。弟が結婚してしまうと、仲人でも引き受けない限り、黒留袖は出番がなくなりました。従姉妹なのだから、色留袖でもいいのですが、この桐の花文では、若いうちに着こなしておいたほうがいいと判断。帝王を象徴する鳳凰は桐の木に棲むのだとか。本来、桐は菊と同様、皇室専用だったそうです。色使いも含め、本人はとても気に入っております。帯は例によって龍村で。

2000年11月 アジア太平洋賞授賞式


アジア太平洋賞授賞式には、若いころ母から譲り受けた絞りの訪問着に、龍村平蔵さんの帯をして出席しました。他界する直前の正月、大学院を受験する旨を母に打ち明けたら、珍しくエールを送ってくれたのです。そんな母に応えるべく書いた修士論文をベースに仕上げたノンフィクション『運命の長女:スカルノの娘メガワティの半生』に賞が与えられました。
授賞式(右)には、お花とともにTBS「いちばん!エクスプレス」のスタッフも駆けつけてくれました。左はその後の祝宴@帝国ホテルで撮影したもの。上智大学の仲間、それに仕事でお世話になった方々にお祝いして頂きました。皆さまに支えられての受賞。ありがとうございます。

日本エッセイスト・クラブ賞授賞式

 昨日の七夕は、第58回日本エッセイスト・クラブ賞の授賞式が日本記者クラブで行われた。前回のアジア太平洋賞のときは、大賞が一人、特別賞が三人だったので、ほかの人が話している間などに準備が整ったのだが、単独授賞というのは実に忙しい。スピーチの後は、すぐに列が出来て、ずっとサインをしていた。毛筆で、などとこだわったので、書くのも乾かすのも時間がかかった。

機内スタイル

機内に持ち込むのは、このスタイルです。黒と茶の二段構え。クロワッサン型のバッグは2003年にアメリカで流行っていました。肩にかけて脇にはさむか、キャリーに載せるか、パスポートも長財布も入るので便利です。COACHがグローブ作りから始まった理由がわかるような風合い。

このバッグが便利なのは、エコノミーの座席で、腰の下に入れるとラクなこと。クッションの柔らかさはないが、支えにはなります。