大失敗――。
議会図書館が21時まで開いているのは金曜日と思い込んでいたが、実は昨日の木曜日こそ21時までであり、今日は17時で閉まってしまったのだ。
つまり、17時発のバスでメリーランドからDCに戻り、それから議会図書館で本のリクエストをする梯子計画が、無残にも崩れたのである。
アパートに戻ってPCやカメラを置いた後、SAFEWAYという普通のスーパーに出かけた。スプレイ式のホイップクリームを買うためである。
スーパーがあるのは、ウォーターゲートビル。日本を発つ前に、NHKBSで「大統領の陰謀」を観たばかりだったので、つい身近に感じてしまう。今回与えられた部屋からは、このビルがよく見える。西の方角にあるので、夕景が美しい。
今回は議会図書館も違って見えるはずだ。日本からの機内で読んだダン・ブラウンの『ロスト・シンボル』の上巻の逃走劇は、この議会図書館が舞台なのだ。ワシントンDCの話だからと、つい成田のツタヤで上下巻、買ってしまった。
議会図書館では、3つのビルディングを行ったり来たりするのが難儀だった。必ずといっていいほど、迷子になる。資料によっては、アダムスだのジェファソンだの、申請する部屋の建物もまちまちで、あちこち振り回されたものだ。請求してから45分待たないと出てこない。だから、平行して、色々な資料をリクエストしておく必要があるのだ。
中心にあるリーディングルームが八角形であることは、この本を読むまで意識していなかった。ただ、大理石と木の融合した中世の教会や美術館を思わせる空間に身を置くだけで、ものすごく賢くなった気がして、21時の閉館まで読みふけった。日本の図書館も、もっと伝統文化の匂いがするようにすればいいのに、とつくづく思う。
そういえば、国会図書館は、ロックフェラー財団の寄付で建てられたものなのだが、戦後、資金がなかったからとはいえ、もう少しデザインに工夫があっても良かった気がする。バブル期の税収が潤沢だったときに、一部改築しても良かったのではないか。同じ公共事業でも、もっと日本人の心のよりどころとなる文化財に国家予算を投じるべきだったのである。それが、後世に財産となることに、政官ともに誰一人目配せできなかったことが、残念でならない。
月: 2010年3月
久々のワシントンDC
公文書館通いの日々が始まった。
地下鉄の駅まで歩いて5分ほど。去り行く冬を包み込むようなワシントンの春の陽だまりを歩くのが好きだ。
とはいえ、早朝は風が冷たいので、外に出てから部屋に戻り、中を半そでにして、ダウンを羽織った。
ワシントンDCにある国立公文書館の本館からメリーランドの別館へとバスで移動する。時差を引きずっているせいか、バクスイしてしまった。
入り口の荷物検査で入館証を見せ、期限切れを指摘される。一昨年末で切れていたのは意外だった。そういえば1年前の4月、入稿してから初校が出る前に写真を探しに来るつもりだったが、インフルエンザ騒動で思いとどまったのを思い出した。成田で足止めを食っては、校正が思うようにはかどらないと考えたからだ。
地下鉄アナウンスの声も若返ったような気がする。コンピュータで作っているのかもしれず年齢は関係ないかもしれないが、トーンが高くなり、アナウンスのリズムも明らかに変わっている。
アキュビストたちの顔ぶれも随分変わった。知っている顔がオフであるにしても、初めて会う人が大半だった。部屋のレイアウトも変化している。
夜は得意のTRADER JOESに出かけ、食材を買い込んだ。オーガニックが売りで、値段も安く、店員のモラルも高いのはいつもと変わらない。
つい生のアーテクチョークを買いそうになったが、今回は短期間なので、瓶詰めのマリネを試すことにした。あとは、お決まりの、オーガニックのキャロットジュースやアボカド、葉っぱもの、マッシュルーム、たまご、シナモンのパンを揃え、ひき肉とハムを買って終わり。コーヒーはハワイコナ。ビールはブルームーン。冒険するのも悔しいので、つい定番に落ち着いてしまう。
それにしても、アメリカは水が相変わらず、ひどい。塩素が強いのだ。飲料水はミネラルウォターを飲むとして、お風呂と洗顔に支障をきたす。皮膚がガビガビガサガサになるから、困ったものだ。日本人の肌がきれいなのは、水質の良さによるところも大きいのではないだろうか。
その日本の水源を山ごと中国人が買い占めているという。それだけは死守してほしいと願うのだが、親中の民主党政権には、聞き届けられない願いだろうか。
そういえば、国際機関で働いている友人が、ここ数年の間に、組織内の中国人のポジションが変わったと言っていた。
アムトラックのつづき
結構、しっかり揺れます。横揺れです。
隣のボックスには、男性が二人。ずっと話し込んでいます。ささやくような音のせいで、うとうとしてしまいました。
ボルティモアに到着です。
アムトラックにて
いま、アムトラックの中です。新幹線のような列車で移動中。NYペンステーションからワシントンDCのユニオンステーションへと向かっています。
ネットがつなげるから、嬉しくなります。同時進行です。
PCを開いているのは、なぜか女性が多いですね。若者か、ワーキングウーマンか。男性は疲れているのか、眠っている人がほとんど。あ、一人、デーブルをはさんだボックスシートに移動して、仕事を始めました。
たったいま、フィラデルフィアに着きました。
NYエアポートバスにご用心
NYにやってきた。
JFK空港から15ドルのバスに乗る。これで2回目だ。
大きなバスでグランドセントラル駅に着いて、そこからホテル組とペンステーション組が分かれて、荷物とともに目的地に送り届けられる。ワシントンDCのように、乗り合いシャトルもあるのだが、15ドルの値段に引かれて、これに乗ってしまってしまった。前回は、とんでもないハプニングが起きたことを、すっかり忘れて。
あれは一昨年の12月だったと思う。駅で乗り換え、イタリア人と二人、後ろの座席に乗ったのだが、ホテルに着いてみると、私のスーツケースが無い。たしかに、大きなバスから荷物を出し、各自が道路を渡って、ドライバーに荷物を渡したのだ。一体、どこに消えたのだろう。いや、今日から、どうやって私は過ごせばいいのだろう。
怪しいのは、この、ろくに英語が通じない中国人ドライバーだ。事態の重大さも飲み込めていないらしい。もしも見つからなければ許さない。彼に思い切り抗議して、同僚と連絡を取らせた。こういうとき、なぜか急に英語が上手になる私だが、相手も相手で、絶対に自分のミステイクは認めない、荷物が勝手に車から降りたといわんばかりの開き直りようである。こういうときは、引いたら負け。徹底的に闘う。
その車に乗った場所に戻ってみると、なんと、私の赤いスーツケースは道路にポツンと放り出されているではないか。誰にも持っていかれなくて本当に良かった。資料や日本からの土産物がどっさり入っているのだから、初日に消えては、困るのである。
道路に残されたスーツケースを見張っていて同僚たちは、私にすこぶる同情的だった。どうやらチャイニーズの彼には、こういうポカが頻繁にあるらしい。
にもかかわらず、彼は一度も謝らない。ホテルに送り届けた段階で、チップを要求する、厚顔無恥な輩である。せめて最後に一言謝ってくれれば、チップはチップとして払うつもりだったのだが、またまた腹が立ってきた。彼のせいでホテルに着くのが遅れたのだ。しかも、ホテルでスーツケースを卸してくれたのは、ベルボーイであって、彼ではないのに、なぜ彼がチップを要求できるのだろうか。
とはいえ、転ばぬ先の杖である。以来、いかなるときも、自分のスーツケースが載せられるのを見届けてから自分が乗り込むことにしている。だから、今回は何事も起こらないはずだった。しかし・・・
再び呆れた事件が起きた。今度は途中で投げ出す、という形で、である。
事を起こしたのは、やはり中国人ドライバーだった。彼は私のホテルをみつけると、後ろを指さして、「あそこだ。ここから歩いたほうが早い」そう言うと、さっさと車から降りて、私の荷物を路上に置いたのである。そして、 資料が一杯つまったスーツケースを自ら引きずって、横断歩道を渡れというのだ。
それはおかしいと抗議してみたものの、スーツケースは既に降ろされている。彼の中では、ぐるっと周って前につけるのは大変だという言い訳つき。根っからの怠け者なのである。しかも、当然のように、チップを要求する。それは筋が違うだろう。彼には、大型バスから降りるときに、既にチップを渡している。それでも、ホテルに着いた段階で、さらに渡すつもりで用意していたのだが、仕事を真っ当しない人間が、なにゆえチップを要求 できるのか。ずうずうしいにもホドがある。
乗るときには、つい黒人女性の明るさに誘われて切符を買ってしまった私だが、思えば、この会社で中国人にあたると、まともに仕事をしないことを忘れていた。ラテンアメリカやアフリカからやってきている人々は気持ちよく仕事をこなすのに、なぜだろう。前回と同じかどうかさえ記憶にないが、彼のせいで、華人系移民の印象が悪くなる。
今度は乗り合いバスにしよう、と前回も誓ったことを思い出した。こうやって書き留めれば、もう忘れないはずなのだが。
レーニン像を倒した女たち
秋尾 沙戸子著
1993年サイマル出版会刊/1553円/ソフトカバー/246頁
ISBN4-377-20985-X
- 目 次
- 無力でない女たちがいた――まえがきにかえて
- 1 政治犯として闘った女――ルーマニア
- (秘密警察に幽閉されながら電波にのせた良心の叫び)
- ドミノの逆流
- 孤立無援
- 秘密警察
- 新しい疑惑
- 2 革命のシンボルといわれた女――チェコスロバキア
- (禁じられた抵抗の歌「マルタの祈り」が革命に広場に響く春)
- スター誕生
- 夢の終わりに
- 一輪の花
- 仮面を捨てて
- 3 祖国を喪失した女――東ドイツ
- (国際結婚、亡命の決意、そして壁崩壊の後に)
- 亡命前夜
- パンドラの箱が開く
- パレスチナの黒い瞳
- 国境を渡る風
- 4 クーデターの中の外相夫人――旧ソ連
- (父を処刑された心の傷、夫シェワルナゼに悪夢再び)
- 逮捕の靴音
- グルジアの騎士
- 5 インターガール――旧ソ連
- (からだを資本に生きた女が祖国を見つめなおす時)
- 首都を夢見て
- 祖国のざわめき
アバクロ銀座店
「可愛いですね、その服。アバクロですか」
サンフランシスコで購入したオレンジ色の綿ニットJKを着ていると、東京でよく声をかけられる。どうやら胸の刺繍のマークでアバクロと判別できるらしい。
偶然、ホテルの前にアバクロのショップがあったために中に入り、一枚買って帰った私だったが、思いのほか評判がいいので、これならピンクも購入してしまおうと、銀座の店を訪れた。
入るなり、男性ヌードの写真。ワイドショーのレポート通りだ。イケメンの男たちがエレベータに誘う。店全体があたかもクラブのようにビートが鳴り響く。
エレベータは7階だけで止まる。上は女性、下は男性ものと分けているらしい。狭い敷地に建てたのだから、そういう構造になっているのだろう。
その小さな面積のわりには、各フロアに店員が多い。ハーフの坊やたちばかりで、英語で話しかけそうになる。彼らはモデルクラブに属しているのだそうだ。オーストラリアとのハーフという青年に尋ねると、入って1ヶ月なので、マネージャーに聞いてみるという。
だったら、自分で見てみようと階段を昇ってみた。結果、日本には入っていないことがわかった。商品の説明にも時間を要した。ショート丈でジップアップの綿ニット。いくら説明しても、見たことがないのだから、通じないわけだ。着てくれば、話は半分で済んだのだろうが、朝晴れていたので、つい洗ってしまった。
それにしても、このブランディングは見事だ。サンフランシスコの店とは大違い。あちらは「H&M」や「フォーエバー21」と変わらないカジュアルな雰囲気なのに、この仰々しいこと。一歩足を踏み入れた途端に、視聴覚ともにクラブの様相を呈している。COACHも最初に日本に上陸したときは高級感があったのだが、アメリカではMACYSあたりで安価に売っていることを考えると、ブランディングの仕方ひとつで日本の消費者が大枚をはたいていることに驚く。
銀座線の外苑前で降り、青山の「フィアット・カフェ」に寄った。教授の還暦のお祝いをここで開こうと考えているからだ。赤の内装が還暦にぴったり。
打ち合わせの後、店のスタッフにアバクロ話をしたところ、さすが若者。銀座の店はNY五番街の店と同じコンセプトだと教えてくれた。なるほど。NYのトライベッカあたりでも面白い店作りをしていそうなものだが、まあ、次回はNYの店をチェックしてみよう。
銀座めぐり
アメリカ取材に備え、銀座に買い物に出た。
まずは、「スリムドカン」が切れているので、東銀座で降りて、「銀座まるかん」に行く。かつては歌舞伎座の楽屋からすぐのところにあったが、さらに日本橋寄りに移った。そういえば、新宿紀伊国屋本店1階に、斉藤一人氏の最新刊『微差力』が並んでいたが、店頭には漢方系サプリ、化粧品のほか、一人氏の書籍も並んでいる。
次に、おみやげの「朝日あげ」を買いに、銀座に誕生したという「播磨屋」へ。いつもは、霞ヶ関の金毘羅神社の近くの店で購入する。文部科学省の斜め前にある店には無料のカフェがあり、知る人ぞ知る静かな穴場スポットであった。おせんべいを色々試食しつつ、お茶やコーヒーも自由に飲めるので、「朝日あげ」と「華麗満月」で迷う私は、そこで試食してから、気分で決めて購入していた。
ところが、銀座のカフェは勝手が違う。明らかに、無料カフェを狙ってきている人がたくさんいるのだ。霞ヶ関ではコーヒーは陶器のカップだが、こちらは紙コップ。しかも、エコに配慮して一人ひとつまで、お煎餅も然りで、もしも、節操のない人をみかけたら、忠告しあいましょう、とアナウンスが流れるのだ。昨秋にオープンしたここには、無料でおせんべいが食べられるからと、銀座とは思えない振る舞いをする人が大勢押し寄せているのだろう。
その後、「アバクロ銀座店」を初体験してから、「ユニクロ」を覗いた。少し前まで「ユニクロ」では買わないとあれほど堅く決めていた私も、成田空港でスカートを購入したのを皮切りに、抵抗がなくなってしまった。案の定、色違いのスカート1980円が1280円になっていたので、購入する。結構、中年女性客も多いのに驚いた。
なんだかなあ。「PRADA」で中国人が買いあさっている一方で、日本人が安価な「ユニクロ」で買う姿を見るのも、複雑なものがある。これは近未来の縮図であり、バブル期以降、日本人も同じことをしてきたように思う。
最後は名鉄メルサの「ユザワヤ」へ。かつて、私はここの「シャルル・ジョルダン」に通ったものだ。テナントが高級店のイメージがあったメルサに、蒲田や吉祥寺の手芸ショップが出店とは、時代は変わったものだと思う。たしかに店頭にはデコラティブはパーツが豊富に並び、日本に手作りの波が来ていることを実感する。ユニクロで買ったウェアを自分オリジナルに変化させる。思えば、大学生のころまで、私自身もよくやっていたことで、このほうがずっと健全なのかもしれない。知恵を絞ることを強いられる意味で、老化防止にもつながる。
ほんの数時間、銀座を巡っただけで、色々なことが見えてきた。しかし、日本人の心に宿る銀座の街のイメージからほど遠いのも事実。果たしてこれでいいのか、考えてみる必要がある。
nightjournal
そろそろ気忙しくなり・・・
春からホームページを刷新すべく、昨日はずっと打ち合わせ。
今日のお昼は、グランドハイアットのフレンチキッチンで、別件の打ち合わせ。初めて来たが、高級感のある空間。かつては千円の違いならバイキングを選んだのだが、話し合うことも多々あり、アーモンドのポタージュとステーキに。いずれも美味であった。
その後、国際文化会館へ。
税務署は明日、訪れることにする。