竹中大臣は日本をどうしたいのか。
経済政策でアメリカ型社会に転換するのが彼の改革だ。急激な変化でどれほど多くの地が流れようと総理ともどもお構いなし。競争原理を採り入れて、極端な富の集中をもたらし、経済格差を生み出すことが彼の目指す社会である。
新聞はこのことをはっきり書くべきだ。本紙10月12日、25日付の読者の声が示すように、中小企業の経営者は、この危機感を肌で感じているが、多くの人々は、不良債権処理の加速こそが日本を救うと思い込んでいる。
象徴的な20代男性のコメントが25日付朝日新聞に載っていた。
「バブル時代に踊った中高年世代が痛みを甘受すべき。若い世代にツケを回すな。小手先のデフレ回避策はやめてほしい」
まさに小泉政権の申し子だ。大企業をつぶした先にばら色の人生があると信じている。自分が将来、大多数の貧乏組に入るとは想像だにしていない。
実は彼のコメントは誤解がある。「バブル崩壊の後始末はあらかた終了。いまの不良債権はその後のデフレ侵攻と景気低迷が主因だ」。本紙でも12付け社説を孟、随所にそう書かれているが、彼に届いてはいない。
経済は理屈である。生活にどうかかわるかの具体例がなければ、苦手な読者は読み飛ばす。見出しやチャートを抽出し、自分に当てはめて解釈する。無関心な人をひきつける紙面づくりが必要だ。
勢力関係を強調すれば読者の関心を集めるが、本質から目をそらす危険がある。竹中案の紆余曲折がいい例だ。銀行と守旧派の反対した段階で、内容は問われることなく、「竹中大臣は正しい人」になってしまった。
総合デフレ対策案を受けた31日付本紙はもっとひどい。与党に反対された竹中氏こそが被害者で、当初案からの変更が日本の大損失のように書かれている。デフレ対策の是非はどこへやら。「不良債権処理加速信仰」に本紙まではまってしまったかのようだ。これでは前出の若者と同じである。
いま紙面に重要なのは竹中案のシミュレーションだ。不良債権処理のコストを試算して読者に示してほしい。税金がいくら必要なのか。われわれの生活はどう変わるのか。
巷でささやかれるのは、アメリカ型査定を経て日本のメガバンクがつぶれ、日本人の血税で補填したところを外資が安く買うという。だとすれば、長銀の例を挙げ、徹底検証すべきである。大企業の倒産の果てに3百万人の失業者が生まれるそうだ。その後の生活も想定してほしい。年収2百万のパートさえ確保が大変だと聞く。
政治的駆け引きはどうでもいい。想定しうる未来図を示して、読者が考える材料を提供してほしいのだ。結果、竹中案を支持するのは構わない。一度貧乏になれば日本は生まれ変わる。そう信じる輩もいるだろう。絶対に避けたいのは、無知が故に不本意な社会が出来上がることである。
拉致問題のようにメディアが執拗にキャンペーンを張れば、誰もが経済に関心を持つ。川底で流れを見据える斬新な企画を、本紙に期待する。
2002年11月3日掲載 竹中案が呼び出す “未来図”の検証を
2002.11.03