夜の二条城へ

なにより、外国人観光客で混み合う前の、ライトアップされた唐門と二の丸庭園を堪能できるのが嬉しい。次に、自分が歩いた後に光がついてくるという不思議な世界に突入。和服でも洋服でも色無地ででかけると、いろいろな文様が楽しめます。最後は、「食堂おがわ」の鯖寿司をお土産にして、城内では、アッシュの大きなカツサンド(岐阜県産の養老豚、500円)を頬ばるのがオススメ。ぜひ、おでかけください。
このイベントは、古くからある日本各地の伝統文化を見直し、革新的なクリエイティブやテクノロジーを掛け合わせる「JAPANESQUE PROJECT(ジャパネスクプロジェクト)」の一環としてご開催されているとのこと。企画したのは京都の会社で、1→10 (ワントゥーテン)。クリエイティブAIが生み出す“国内最大級”の巨大インタラクティブ・ランドアート、大人でも、ちょっとおもしろい。
青の着物は、ぼかしの色無地。金色地の栗文の帯は、ライトアップされた二条城によく合いました。あまりにキンキラしていて、銀座のヴィンテージ着物「かわの屋」さんがデパート催事に出した折に、なかなか売れなかった代物です。最終日まで残ってくれていて、私のもとに。お値段とっても可愛かったのに。

形見の赤黒で、KYOTOGRAPHIE 町家暮らし勉強会、五条坂登り窯、こいこい茶会へ

京都は昨日から急に寒くなりました。17日で閉会というイベントが多く、私自身も訪れるところ盛りだくさん。#KYOTOGRAPHIE  #誉田屋会場 の #シャネル#北観音山 で #町家暮らし の勉強会、五条坂の #登り窯、寺町茶舗 #蓬莱堂 での、こいこい茶会。その後、神明舎。さて、何を着る?

寒さから、濃い色を纏いたくなり、#kyotographie のロゴは赤黒、こいこい茶会は、はんなりでもないだろうから、こんな装いに。

襦袢も含め、すべて #母の形見? あるいは、孫の私用に祖母が用意していた? 母の桐たんすか押し入れのガンガンに入っていたものばかり。昭和の名古屋好みと思われます。コーデは、アキオのオリジナル。一つ間違えれば子どもっぽい花柄も、赤黒幾何学を合わせてみたら、粋な印象に。帯締めも縞々。

あ、草履は、#祇園ない藤 の赤を履いて行きました。バッグは、#ANANDA です。

文楽劇場へ

大先生がご出演されるというので、日舞の会を見に、大阪の文楽劇場まで。ご一緒してくれたのは舞の姉弟子S子さん。お酒解禁になったから、ワインとイタリアン。飛び込みだったけれど、美味美味。若者とのランデブーは楽しい。アプリ使っているかも。着物の向きを反対にしてくれたのだが、私にはようわからん。まだまだ暑いので、着物は単衣菊の小紋。

最高の「きんとん」は、できたて太宰府藤丸製

これまでの人生で一番の「きんとん」。水屋で作られた、できたてだから本当に美味。それもそのはず、亭主が太宰府の藤丸さんだから。向かって左から2人目がご主人です。コンセプトは、道真公が京都北野天満宮へ里帰り。

里帰りというかぎりは、太宰府に流された菅原道真公が京都へ、というところにつながるわけです。背景の軸は、太宰府天満宮の前宮司が道真の歌を書いたものらしい。

私が太宰府天満宮を参拝下のは令和元年5月1日。前夜は唐津でのお茶会に出て平成に別れを告げ、翌朝は跡見茶会のあと、太宰府天満宮に参拝したのでした。

菱の茶会

菱の茶会なるものにお招きいただきました。

こんなに着物を持っているのに、菱の文様、無いなあ。ま、30度超えで暑いし、かといって10月に絽というわけにはゆかず、透けない薄物となれば、萩の着物しかありません。定番、蝶の帯をしめて出向いたのです。

さて、床を見て、びっくり。水に浮かんだ菱の葉は、ホテイアオイを思わせます。葉の形が菱形であることから、そう呼ばれるようです。栄養が豊富で「水中の落花生」とも呼ばれるのだそう。福岡や佐賀の名産で、京都では、深泥池に生息しているそうです。

横に実が並んでいます。かわいらしい。フォーチュンクッキーを思わせる形状です。硬い皮の中の白い実が菱の実。今日の主役です。太宰府の藤丸さんに特注のお菓子で、盛り上がりました。

水屋で過ごした一日

昨日28日は織成館の茶会。朝からうろこ雲。午後から青空になったようだが、早朝から水屋で働きまくり。

おかげで今日は一日腿の前部分がパツンパツンとなり、痛いことこの上ない。早朝は平気だったのに、なぜに10時からこのような痛みが・・・。

着物は菊文に、奄美大島のハイビスカスで染められた櫛織の帯。最後の写真、背後霊は水屋から出てきた三人組。

白の上布に教えられたこと

この着物が私のもとにやってきて、2つのことを教わりました。

祖母の形見、白の越後上布。15年前、叔母たちと祖母の家で遺品の整理をしたとき、箪笥の中に眠っていたものです。彼女たちは大島紬や訪問日などを選び、夏の薄物には興味を示さなかったので、私が形見として持ち帰ったうちの一枚です。宮古上布と並んで越後上布は高価だと聞かされました。そうとは知らず、私はこの着物を手に入れて、とても嬉しかった。祖母がこの着物を纏っている姿は記憶にないのですが、私の知らない祖母に会える気がしたのでしょう。

最初は、祖母の夏帯をあわせて着ていました。深い翡翠色の帯。日焼けして色あせしていたので裏返してかがってもらい、締めていたのです。上布の着物は果たしていつの時代のものか。祖母の着物は時として縫い糸が弱ってほつけてしまいます。縫い直すなら一度洗い張りに、と呉服屋さんに預けたところ「雪晒し」にしてくれたので、真っ白になって返ってきました。見違えるように真っ白に。それまでは、薄いグレーのような印象だったのに。

「雪晒し」とは、雪の上に布を晒してきれいにする手法。後に現場を見に新潟までお連れいただき、眩しいほどの一面の雪原に反物を次々広げていく光景を目の当たりにしました。薬品を使うわけではありません。自然に任せるだけで、あそこまで白くなるとは――。オゾンの力、おそるべし。先人の知恵に感動しました。

白すぎたら白すぎたで、自分の顔が赤黒く見えてしまうと悩みながらも、盛夏には上布を纏っていた私。ほぼ毎年訪れていた京都の祇園祭の宵山で、上布を涼しげに纏う女将さんたちを見て憧れていたからです。

ところが、その白い上布で歌舞伎座を訪れたときのこと。帰る夜道、寒いと感じたのです。8月20日くらい、第三部を観終えた後、日比谷線で六本木駅で下車した21時過ぎのことでした。若手の納涼歌舞伎が開かれ、中村勘三郎丈と坂東三津五郎丈が頑張っていたころです。日中の陽射しに従い、白の上布を選んだのに、夜風は微妙に秋の気配。麻のサラサラ感が寒いのです。私のからだにまとわりついているはずの上布が妙によそよそしく、かすかなる冷気が私のからだを直撃するのです。おそらく洋服を着ていたら、気づかなかったでしょう。ビルが乱立する東京にいても、上布を纏えば季節を感じることができる。これは驚きでした。

日中の陽射しは真夏でも、夜になると忍び寄る秋の気配。歌舞伎座の帰り道に秋を感じて以来、8月末、夜まで過ごすときには絹、すなわち絽の着物を選ぶようにしています。

絹のきものが温かい話は、また別の日に。

 

重陽神事

9月9日のこと。

上賀茂神社の重陽神事に参列。本殿の前に進むだけで祓われる気がします。実にありがたい。

いつもなら、圧倒的な静寂の中、大木に宿る鳥の囀りが心地よく耳に届き、やがて空高く飛ぶ烏の啼き声に神々の気配を感じとる日でもあります。そのたびに八咫烏伝説を思い出すのですが、今年は烏相撲が中止になったせいでしょうか。烏が上空を訪れず、ツクツクボウシが数匹、力強く夏のフィナーレを訴えようとしていました。

実はこの日、30度。洛北であるにも関わらず、早朝から強い日差し。菊文の生紬をまとった私の背中にじとっと汗が滲みます。直会は菊酒。金の酒次から土器にも菊の花びらがこぼれます。神気をおびたお酒と菊花を口に含むと、延寿が約束された気持ちになり、洛中へと急いだのでした。

奈良祐希という才能

ずっと気になりつつ、開催が 祇園祭 中につき、訪れたのが後祭の翌日。会場は ウェスティン都ホテル京都 の数寄屋風別館「佳水園」。
作品、想像以上で感動しました。空間とのマッチングも見事。
フラワーアレンジメントに手を染めた人なら絶対にワクワクするはず。どんな花材をどうやって生けようか。実際に目にしたら、ものすごくインスパイアされる 花器 なんです。お家元もプロの先生方も、刺激受けつつ悩みながら挑戦されているらしい。
作家は #奈良祐希 さん。#大樋焼 当代 #大樋年雄 さんのご子息、裏千家・#奈良宗久 先生の甥御さんです。建築を学んでいたとは聞いていましたが、おじいさまともお父さまとも違う作風。面白い。そして、展示のセンスがいい。
我家にはこの素晴らしい花器を置く空間がないので、小さな器を申し込んで帰ってきました。今後の活躍が楽しみ。