長崎平和祈念式典

70年前の今日、長崎に原爆が落とされました。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

黙祷は11時2分。当初は10時半からの「日本の一番長い日」を観にいこうかと考えていたのですが、70年の今年は、同時刻に黙祷を捧げるべきと思い、NHKの中継を見ました。映画の内容については、資料を読みこなして私なりに把握しているつもりなので。

平和への誓いを読み上げた谷口さんの壮絶な70年を、あるドキュメンタリー番組で見て、胸が苦しくなった私です。被爆して、背中全体に焼けどを負って、1年9ヶ月もうつ伏せのまま激痛と闘われたのです。腹部は床ずれで、心臓が肋骨を通して透けて見えるのです。妻はそうとは知らず恩師に薦められて彼と結婚し、今日まで添い遂げています。総理の挨拶に、そうした壮絶な人生を受け止めた部分が含まれていたら、もっと世論に支持されるのに。

せめてこの日だけでも、原爆で命を落とした方々、その後も病と偏見に苦しんでこの世を去られた方々に思いをはせることが、戦後70年間、平和な日本で今日まで生きてこられた私たちの礼儀と考えます。

 

広島平和祈念式典

米軍の資料をあれこれ読んでも、不可解なことの多い原爆投下。

せめて毎年8月6日8時15分に黙祷を捧げたいと考えます。

NHKで広島平和記念式典の中継を見ながら、毎年、子どもたちの言葉に涙してしまいます。今年は土砂災害で友人を失った話から始まりました。祖母祖父の代から命がつながれることへの重みを語ってくれます。

市長のスピーチにも胸をうたれました。なのに、安倍総理の挨拶の空しいこと。当事者じゃなくても、広島の70年に寄り添って話せないものか。想像力の有無もあるでしょうが、少なくとも、原稿はもっと練っておくべきだった。被爆70年なのに、緊張感なさすぎです。

 

疫神社の夏越祭

IMG_2664ちのわ祇園祭最終日は疫神社の夏越祭。

まずはお稚児さんはじめ関係者が茅の輪をくぐって、疫神社に無病息災を祈ります。その後、一般の人々が参拝。茅草を持ち帰り、小さな茅の輪をつくり、玄関にかざります。「蘇民将来の子孫也」と書いて。

稚児もちIMG_2666南門にある二軒茶屋で稚児団子を食べました。氷を浮かべた抹茶とともに。社参の儀の際、神の使いとなったお稚児さんが、中村楼でこれを食するのです。それにちなんでの、このメニューも、祇園祭最終日の本日まで。

神輿洗

IMG_2461松明火の粉大きな松明で道を清めた後、宮本組に先導された小さな松明と神輿が四条大橋にやってきます。朝、鴨川の水を汲んで祓った水を榊によって振り掛け、清められるのです。火と水によって祓われるのは、神道の基本です。

IMG_2480宮本組
IMG_2516松明みこし

山鉾巡行後祭

IMG_1150山鉾@烏丸御池 SatokoAKIO祇園祭の真骨頂は、神輿渡御。昨日はお旅所にいらした素戔嗚尊とその家族が、氏子地域をまわり、八坂神社にお帰りになる日。

露払いの山鉾巡行から追いかけると丸一日を費やし、今日は疲れ果てて放心状態。
写真は朝、烏丸御池でスタートを待つ後祭の山鉾たち。この後、御池通りを東に向かって進みます。

後祭、山鉾建て

IMG_0689南観音山IMG_0709南観音山IMG_0668東山雲雨の山鉾巡行にぐったりした翌日、東山の不思議な雲が切りになりつつ外に出ると、後祭の準備は着々と進んでいました。写真は新町通りの南観音山。奥に見えるのは、北観音山の松、そして北山。IMG_0722ビール

 

 

お旅所にて

IMG_5931お旅所神さまは、神輿に乗って氏子地域をまわった後、四条寺町のお旅所へ。一週間滞在されます。

毎晩、無言参りをすると、願いがかなうと、祇園では伝えられています。