またまたハンガリー

難民大移動の映像は、ベルリンの壁が崩壊する直前、東ドイツから脱出した人々の姿を彷彿とさせます。1989年夏、東ドイツの人々を西へと逃がしたのも、ハンガリーだったのです。「ピクニック」を装って、オーストリア国境の鉄線を切りました。陸路での脱出です。事実上、ベルリンの壁は無効となったのです。その後、「自由列車」に乗って、チェコスロバキア経由で西ドイツへと人々は移動していく映像など、日本のジャーナリストにも大きな衝撃を与えます。テレビ局のスタッフも、起きていることを追うのが精一杯でした。あれよあれよという間に、ベルリンの壁崩壊、チェコスロバキア、ルーマニアと東欧各国で民衆革命が飛び火していくのでした。

当時の私は、始まったばかりの「サンデープロジェクト」で中継レポーターを週末に、平日の朝はFM東京でラジオ番組を持っていました。後者は自由にコメントできたにもかかわらず、現地の人々の涙の意味や起きていることの背景を説明できずにいたのでした。翌年春、番組改編を機に、東欧へ旅立ち、人々の声を集めるべく、ホームステイして歩くことにしたのです。

今回の民族大移動を機に、国際社会においてどんな変化が起きるのか。振り返れば、今年が歴史の転換点になることは間違いないでしょう。きっかけを作るのは、いつもハンガリー。気になりますね。

缶詰、腰掛、激痛の日々

3日間、某所で缶詰。番組審査に入っていました。コルセットが出来てくるのは火曜日なので、和服で。ぐるりと一周する帯板がコルセットの役割を果たすのです。

とはいえ、椎間板ヘルニアの私には、きつい作業でした。最終審査は全員で番組を観るので、じっと腰掛けていなければなりません。朝から夜まで、時折5分の休憩と食事のみ。腰痛の身には、なんと過酷な作業でしょう。しかも最終日は雨。痛みは気圧によるので、今日は特に辛いのです。

明日は病院で腰を牽引してもらわねば。

新幹線は地震で停止するのです

先週末の夜、新幹線で移動中に突然停止。静岡の地震を受けて点検のため。外は暗く、怖かったです。以来、静岡で地震が続いています。今後、新幹線内に閉じ込められることを想定し、水や食料を買っておいたほうがいいですね。乗る前、あるいは車中のワゴン販売で最初のうちに。皆さまもお気をつけて。

音信不通の理由

長らくのご無沙汰、お許しください。東京での寒さゆえの腰痛と思っていましたが、京都の病院にいったところ、椎間板ヘルニアと診断されました。

物は持てない、文字も打てないほどの激痛で、今朝ようやくPCに向かい始めました。

帯がコルセットの役割を果すので、和服で日々すごしています。

大文字の送り火で

IMG_2695大文字自宅から大文字が見えるんです。今年も一人静かにしんみりと故人を送り、ご先祖さまに感謝を捧げました。

送り火は、東山の大文字に始まり、西へ西へと点していきます(極楽浄土説)。大文字点火の後、北上して「妙法」を観るのも悪くないのですが、昨年から点火の時差が10分から5分に縮まり、移動時間が勿体無い。途中、最上階の廊下からわずかに船形の炎が見えるのを確認し、結局、今年も自室から眺めつつ、静かに手を合わせた私です。

京都には感謝の入り口がたくさんあるんです。とりわけ、人々のご先祖意識が高まる五山の送り火は大切な行事です。でも、それを継続することがどれほど大変か。保存会や関係者に、改めて感謝します。IMG_6269妙心寺

午前中は、妙心寺で塔婆を書いてもらって(戒名について従弟から連絡がないので俗名で)鐘を撞き、母方の祖父母と叔父を送りました。昨年、一昨年は妙心寺でお迎えもできたのですが、今年は都合がつかず、送りだけさせてもらいました。私が生まれる一ヶ月前にこの世を去った祖父のために、祖母は熱心に名古屋から妙心寺に通っていました。京都にいる初孫の私としては、お盆のときだけでも、ご挨拶させてもらうことにしています。

 

玉音放送が流された日は晴天でした

今夜、東京から戻りました。

70年前の今日、東京は晴天でした。玉音放送が流されて外に飛び出した女性も子どもたちも、あの日の太陽の輝きをはっきり覚えています。

これで戦争が終わった。もうB29におびえることはない。新しい時代が始まるんだ。開放感でいっぱいだった。そう私に語ってくれました。

でも、本当の終戦は9月2日です。

詳細は『ワシントンハイツ』(新潮文庫)でご確認ください。

 

かんさい情報ネットten

よみうりテレビの夕方のニュース番組「かんさい情報ネットten」に呼んでもらいました。皆あったかくて、いい感じ。とりわけ最初に迎えてくれた女性APの女性の笑顔がいいわあ。清水健キャスターも優しいの。細かい気遣いに、感激しました。

水曜日の「街かどトレジャー」、家にいるとつい、見入ってしまいます。興味のあるネタだと、後追いで取材に出かけたこともあるくらい。ますだおかだ増田さん、大人気らしい。

詳細は、後ほど。とりあえず、ご報告まで。

誕生日によせて

誕生日はひっそり静かに過ごしたいと考えた時期もありましたが、 ここ数年は、素直に、生あることに感謝する日としております。

今年は特に、戦争で犠牲になった方々へ思いを馳せるこの季節に 自分が生を受けたことの意味を噛みしめつつ、 日本の伝統文化と近現代史の、次世代への伝え手として 気を引き締め、ますますの精進を誓ったところです。

誕生日を機に、これまでHP内に掲載してきた和服の記録から、ダイジェスト版「きもの適齢期」をFBで公開することにしました。お立ち寄り頂けましたら幸いです