麹谷宏さんの卒寿の祝宴@目黒雅叙園に出席。4度目の成人式ですね。私は3度目ゆえ、振袖で。
麹谷宏さんの卒寿の祝宴@目黒雅叙園に出席。4度目の成人式ですね。私は3度目ゆえ、振袖で。
洛中で時代祭を観た後、夜は鞍馬の火祭へ。10月22日に京都を訪れる観光客の行動パタンのひとつで、鞍馬には大勢押し寄せると言われています。今年はじめて参与観察を目論んだ私でしたが、あいにくの暴風雨・・・。
祭は中止と誤解され見物客は少なかったものの、横殴りの雨の中、何を撮影しているのかわからない。目を開ければ容赦なく入ってくるのは、大粒の雨と松明の煙。親指の付け根には火の粉が飛んできて、痛いのなんの。以来、炎に近づいて顔を向けるのが怖くなった情けない私です。
家に着いてから傷口を見ると、1センチ角1ミリの深さで皮がむけているではありませんか。痛いはずです。松明を持つ皆さんも半端なく火傷されているのでしょうね。厄落としと呼ぶにはあまりにペインフル。未だ跡が残っております。
なお、お神輿は御旅所には向かわず、神事は変則的に斎行されました。
家にいる人は、NHK総合で広島からの中継を見ながら、黙祷を捧げましょう。
昭和20年5月25日、71年前の今日は、4度あった「山の手空襲」の最終日。渋谷・原宿・表参道を含む東京各地にB29から落とされた焼夷弾の数は、3月10日の2倍だったといわれています。
表参道交差点の「山陽堂書店」に逃げ込んだ人、青山墓地に向かった人は無事でした。けれども、安田銀行(現みずほ)を目指した人、明治神宮に向かった人は、犠牲になっています。その様子は『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に詳しいので、ぜひご高覧ください。
表参道に焼夷弾が落とされたのは22時22分頃。これを読んでくださった方は、できれば黙祷を。毎年、犠牲になられた方々に思いを馳せることが供養だと考えています。
茶道をたしなむ人なら一度は行ってみたい建仁寺の四頭茶会。今年、初めて伺いました。
建仁寺を開いた栄西禅師。毎年4月20日の降誕会に、四頭茶礼が行われます。京都の無形民俗文化財に指定されてもいます。
拝服券は、四頭茶会の本席 のほか、薄茶席が 2 つ(裏千家と表千家)、煎茶席、点心席の 5 枚つづりで、1日かけて各会場を巡るのです。
本席で最初に配れるのは、紅白の紋菓、椿の葉に載せ た「ぴりコン(醤油で炊いた蒟蒻)」と、抹茶が入ったの天目茶碗。供給の僧が、口に茶筅を挿した浄瓶を持って入堂。私たち客人が天目台に載せた天目茶碗を捧げ持ち、そこに湯を注いでそのまま茶筅で点てるのです。最後に、供給が天目茶碗を下げて、方丈の間を出る瞬間だけ、写真に収めさせてもらいました。
4月8日は花まつり。名古屋の仏教系幼稚園に通っていた私は、お釈迦さまに甘茶をかけて、おまつりしていました。
今年も、京都仏教会主催の、おしゃかさまをたたえる夕べにお招きいただきました。3年前は、講演者として壇上に上がった私です。
母の色無地風霞文の着物に、平家納経提婆品の帯。「おしゃかさまをたたえる夕べ」だから、法華経の帯を締めたのです。先日、祖母の十三回忌でデビューさせたもの。平清盛は、法華経などを厳島神社に納経しています。第十二品の提婆達多品は、女人成仏をうたったもので、そこに描かれた絵を織り上げています。
南無妙法蓮華経と唱える私の手は、ブレスにしているラリマー。お数珠を忘れて、ごめんなさい。この写真を撮影してくれたのは、杉本歌子さん。画家だから、アングルが面白い。