京都の春は、梅、桃に続いて、枝垂れ桜から楽しめます。御所では、まずは出水の桜、そして近衛邸の糸桜が咲きます。
人がいないときに撮影しようと思えば、朝を狙わねばなりません。あいにく逆光になるのが残念ですが、青空を意識して、青の色無地で。早起きは洛中で暮らす私が有利と思って出向いたところで、昨年までは中国からの観光客が占拠して苦労したものです。
一度帰宅し、午後は、雛の茶会へ。帯を桜から、ひいなに換えて。
海外の情報を私が書くのは、日本が恵まれていることを認識してほしいから。恐怖をあおるためではありません
早々に全国一斉休校にしたことで、被害を最小限に抑えられている日本が気にすべきことは、ウィルス以上に、地震です。
今朝は熊本震度3、能登で震度5。家にいることで救われる命もあります。気を引き締めて過ごしましょう。
イタリアは、薬局、食料品以外、全店営業停止。スペインでは閣僚が感染。観光地閉鎖。祭の中止。ドイツは、大学から保育所まで休校。日本同様、働くママたちが困っています。特に看護師さんたち。アメリカでは俳優のトム・ハンクスが感染し、NYで非常事態宣言)。学校閉鎖、ブロードウェイ開演中止。NYダウが大暴落(ブラックマンデー以来)。
他方、イギリスは別。いまから移動を抑制すれば、ピーク時に皆が疲れているからと緩いのです。ただし、海外への修学旅行は禁止。島国でEU離脱する首相の余裕でしょうか。(しかしながら、アイルランドは一斉休校と独自の政策)。
インドは、宗教の集まりについて、外国人を排除。一部地域では、職員の指紋認証を禁じた(日本も銀行の液晶画面危ないんだけど)。これから礼拝などの集会、どこの国でも難しくなるでしょうね。
一体、どのリーダーの措置が正しいのか。地震に気を付けつつ、静化に暮らしましょう。
ついにWHOがパンデミック宣言。
イタリアでは感染者が1万2千人を超え、1000人近くがICUに。疲労困憊して突っ伏す医療関係者の姿が新聞一面を飾り、退職者に復帰を呼び掛けています。医師がテレビカメラに向かって「家から出ないで」と懇願。ロンバルディア州では、カフェは全店閉鎖。
60才以上が排除された理由は、40代が次々救急車で運ばれ、対応できないため。彼らは自分が若いからと感染対策をしていなかったらしい。
イタリアで感染者がここまで広がった背景には、北部に中国企業が多いこと、握手とハグをする習慣があること、医療費の削減、トイレが日本ほど清潔ではないことがあります。
ドイツも、感染を遅らせるのに必死。サッカーも無観戦。大学も来月まで休校です。
日本も全国一斉休校にして自粛を呼びかけなければ、通勤ラッシュに端を発して、いまごろ東京や神奈川では、もっと感染が広がっていたはず。遅かったとはいえ、この決断は正しかったと認め、日本人の清潔好きに感謝しましょう。
わあ、深刻な事態になってきた。国家の未来を考えれば、若者優先は筋が通るが、しかし、60歳がボーダーは低すぎるような。日本には、人工呼吸器、どのくらいあるのかしら。
こうなる前に、全国一斉休校にして良かったでしょ。昨日と同じ明日は来ない。もうあの日には戻れない。だから、全く違う未来を想定して、自分らしいベストな選択をしましょう。
東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
あのとき、東京のマンション7階にいた私は恐怖心でいっぱいでした。いったい地球に何が起きているのか。人類は、これまでの延長でいられるのか。おそらく地球が違うフェイズに入った。本来の姿に戻ろうとしている。そこで生かされている私たちに、昨日と同じ明日は来ないかもしれない――。来る日も来る日も、津波の映像を見て涙を流しながら、私はそう結論づけたのでした。
けれども9年間、自然災害は思ったほどひどくなく、多くの人々は東京五輪を前に浮かれて過ごし、あの恐怖を忘れてしまったようです。そこへ、今回の新型コロナウィルス蔓延。いよいよ人類の危機。舐めてはいけません。「経済より命」。人類の価値観を180度変える大きな分岐点となるでしょう。
目に見えないものに感謝を捧げる京都暮らしは、そんな私の気づきを確信に変えてく入れました。「蘇民将来之子孫也」。疫病退散の祇園祭原点に立ち返って、謙虚に生きねば・・・。合掌。
追伸 実は祖母の命日でもあります。母は1月17日。個人的にも供養に忙しい日々。
もともと鳩の糞被害でベランダ掃除にマスクを使っていた私。左のピンクがその箱で、コロナ騒動時に半分くらい残っていた。
白いのは、先月、東京滞在中に別のものを探していて吊り棚の中でみつけたマスクの箱。60枚入りのうち40枚くらい残っている。なんか、得した気分。でも、どうして私のところにあるんだっけ。花粉症でもないのに。
そうだ。9年前、放射能汚染対策で箱買いしたのだった。
今日は311。14時46分に黙祷を捧げます。
今日は3月10日。東京下町空襲で命を落とした方々のご冥福を改めてお祈りします。戦後75年間の平和は彼らの犠牲の上に成り立っていることに思いを馳せて感謝を捧げることが、いまの日本を守ることにつながると信じています。
拙著『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』第1章に書いたのは山の手空襲(5月25日)についてでした。同時に、建築家アントニン・レーモンドがユタの砂漠に空襲のための実験家屋を造ったことは第2章に、米軍が夜間無差別爆撃に至った経緯は第3章に記しています。
75年前、米軍が夜間無差別爆撃に切り替えた背景には、米軍の成果主義がありました。原爆の開発費20億ドルは有名ですが、B29と焼夷弾の開発には30億ドルも費やしていたのです。空軍の独立をかけて、どんな手段を使ってでも、空襲で成果を出さねばならなかった。その犠牲になったのが日本人でした。
お手元にある方は、ぜひ読み返して。大国の思考回路を知ってほしいのです。今回のコロナ騒動で、ウィルスが細菌兵器になることを全世界が知ってしまいました。いま戦争が始まれば、細菌兵器がカギとなるでしょう。それを食い止められるかどうか。想定力が問われます。
京都に来てから親しくさせていただいていた女性(82)が昨日、荼毘にふされました。命の重さについて考えることの多いこの頃。先人に感謝しつつ、日本の無事を祈ります。合掌。
追伸:写真の帯は、文庫版初版のもの。