氷室啓介さんのお店

東京滞在中、西麻布2丁目のバス停で降りてみると、氷室さんあてのお花がいっぱい。先日、テレビで還暦というニュースを見たばかり。

ここで何があるの?と訊ねてみると、氷室さんのお店なのだという。あら、西麻布の住処の前にある秘密クラブのようなお店は、氷室さん経営だったのだったね。

HPを見ると、リーズナブルな値段設定。たが、バースデイウィークは予約でいっぱい。別の機会に来てみよう。

追伸:そういえば、かつて同じ建物にあったフルトシに、布袋さんをお連れしたことがあった。BOOWYと因縁のある土地かもしれぬ。

母のお召しで、未生流笹岡京都支部展、其中庵にて研究会、「月を愛で、月とあそぶ」@梅田阪急

華道未生流笹岡お家元と。私は撮影の瞬間だけマスクをはずしております。

この季節に、東山の青蓮院にて未生流笹岡社中の京都支部展示があり、同時にホテルにて家元を囲む会が開かれます。例年なら、会でご一緒した女将さんたちと青蓮院に向かうところですが、コロナ禍の今年は囲む会が中止。一人で作品の展示を拝見させていただきました。

なにせ、この日は予定がパツンパツンに詰まっていたのであります。まずは福王子神社近くの其中庵にて研究会。東から西へ。一人タク安くないので東西線で太秦天神川へ。そこからタクシーで北上。すばらしい茶道具の数々にため息。

続いて大阪へ。烏丸から阪急に乗って梅田阪急に向かい、7階のコトコトスクエアを目指したのであります。写真の2つの黄色い椅子、お月さまなんですよ。「月を愛で、月とあそぶ」というコンセプトで、作家による作品を展示。器や小物を用いたコーディネートの数々に目移りします。さすが14th MOONのプロデュース! 最後の写真、私の映っている鏡にはウサギが2兎。毎年の月見仕様にくわえ、再来年の干支に備えて買ってしまうかも。遊び心満載の作品は眺めているだけでも楽しくて、あれもこれも欲しくなるのですが、すぐに決められないのが難。開催日あとわずか、6日までですので、ぜひ。

追伸:着物は母のお召し(単衣)。夜空に浮かぶ月に見立てて選びました。帯は綴れ。20代のころに締めていました。真ん中の黄色が月に連動しているつもり。

 

神泉苑のお月見

祇園祭ラバーにはお馴染みの神泉苑では、毎年、観月法要が執り行われます。神泉苑は二条城の少し東にあり、祇園祭の折には、お神輿に遷られた八坂神社の神さまは、ここに寄られ、神仏習合の一面を見られます。コロナ禍の今年は、密になる神輿が出なかったので、神さまは神馬に乗っておられました。

ここの池には空海がインドから連れてこられた善女龍王という龍神さんがおわしますはず。写真は、お社の横から撮影しました。お堂には、観音様、不動明王、弘法大師が祀られています。

西の大覚寺では船に乗船して、東の智積院では僧侶による声明を聞き、瞑想「月輪観(がちりんかん)」を体験。神泉苑の観月会は今年初めて。法要のあと、境内で音楽が奏されます。中秋の名月と満月の2日にわたって煌々と輝いていたお月さまは、あいにく雲に隠れていたのは残念でしたが。

いずれも空海ゆかりの真言宗のお寺ですね。空海は、満月を悟りの象徴としました。悟りとは、自分の個性と可能性が最大限に花開いた状態で起こる究極の自己実現。とすれば、満月はその鍵となると、空海はとらえたようです。悟りの境地がいまだにわからない私ですが、満月の夜に瞑想を試みるうち、いつか体得できるかも。まだまだ・・・。

中秋の名月2020

皆さまは、この美しい月を、どこでご覧になられたでしょうか。
私はといえば、当初は東京で過ごすはずが予定変更。京都にとどまり、しかし、観月祭を楽しめるほど雅びモードでもなく、ひたすらPC前に張り付き状態。途中、ベランダに出て、東の山に出でし月を眺めるのがせいぜいで、虫の音に癒されて寝落ちしそうになったのでございます。
追伸:最初はスマホで撮影していたものの、途中から欲が出て月のアップを Canonのカメラに収めてみました。

重陽節のアフタヌーンティは菊尽くし

先日、重陽節(菊の節句、秋の雛)の飾りつけ前で菊の着物姿写真をアップいたしましたが、アフタヌーンティーのおもてなしもご紹介。

ティポットの上には真綿。夜露を含ませるため菊の花に載せる「着せ綿」を連想させます。お皿に描かれた菊の上に、カヌレを載せて。サイズもぴったり。

旧暦の重陽節は、10月25日。こんな茶話会を今から企画されてもいいかも。

蛸薬師でタコのパスタ

蛸薬師通のイタリアン「アルコ」。ちょっとマイブーム。美味なパスタは数あれど、とろっとろっに煮込んだタコのパスタが一番の好物。結局これを注文してしまう。

この日は一人だったのでカウンター席。あれ?タコ足のボトルを発見。オリーブオイルが入っていたが、日本ではもう売られていないらしい。残念。

和久傳とディズニー

長袖の服が必要なこの日、UNIQLOの子どもサイズのパーカーを羽織ってでかけました。お彼岸過ぎたら、急に涼しくなりましたね。衣替えせんとあきまへん。

堺町の和久傳に寄ったら、もう、おせちの受注が始まっていて、びっくり。季節は確実に進んでいて、あっという間に今年が終わりそう。

あ、TシャツもUNIQLO。キッズサイズ。最近、アパレルのディズニーとのタイアップ増えていますね。なかでもUNIQLOのは、こんなに安くていいのか悩んでしまう。ロットが多いとはいえ、ディズニー側もライセンス料下げたのかも、と勘繰ってしまいます。かつてICEBERGのセーターに13万円も投じていたのが嘘のよう。

実は私は101コレクター。講談社のディズニーファンにも載ったほど。幼いころは、筆箱下敷きにくわえ、手袋も101を持っておりました。

久しぶりに101を見かけたのは1989年、玉川高島屋SCにあったICEBERGのショップで。ショールームに子犬の傘が広げてあり、中に誘われたのであります。時はバブル。子犬、親犬、クルエラが編み込まれたセーターは、すべて13万円くらい。子犬を刺繍した革ジャンにいたっては、35万円ほど。喉から手が出るほど欲しかったけれど、テレビでもまだ薄利多売のレポーターの私にその財力はなく、断念したのでした。

ところが、ソ連崩壊直後のモスクワで、その革ジャンを見ている女性をみかけたのです。羨ましかった。同時に、不思議だった。つい2年前まで一般市民は国から出られず、物のなかった共産圏でICEBERGを着ているなんて、どういうこと? 西欧人の入国も簡単ではないゆえ、彼女はおそらくモスコビッチのはず。美人ではあったが特権階級のお嬢さまには見えず、おそらく外国人にプレゼントされたインターガール(外国人相手の娼婦)ではなかったかと推察しておりました。追いかけて、売ってくれと言いたかったくらい。

コレクターの性と申しましょうか。ディズニーの中でも滅多に商品化されない101ファンの私は、どんな些細なものでもそれを探す目になっておりました。ある日、名古屋の問屋街で紙製衣装ケースを見つけ、折り畳み袋入り状態を持参して、京都の和久傳に向かったのであります。東京に送るにもロッカーに入れるにも、長すぎる状態だったため、そのまま直行。それを見た大女将が、飽きれて仰け反ったのは、皆さん想像に難くないと思います。メインキャスターを勤めていたNHKナイトジャーナルに御出演頂いたご縁でした。

たまたま101を纏ったこの日、私の足は和久傳へと向かったのであります。もちろん女将さんは不在で会話はなかったのですが、しかし、いまでも、時々あの日の違和感が蘇るようで、こう言われるのです。「あのときのスヌーピーが・・・」。いえいえ、あれは、101匹わんちゃんなんですけど・・・、と心中でつぶやく私でございます。

菊文の単衣で、大原三千院を訪ね、ご門主にお話を伺いました

先日、大原三千院のご門主、堀澤祖門さんにお目にかかりました。御歳91歳。お元気です。写真撮影では、「ハっと言ってください。目を見開いて笑うのですよ」とご指南いただきました。もちろん、それ以外に深いお話がいっぱい。

皇室ゆかりの門跡なので菊文様を纏いましたが、よろしかったのかどうか。帯は、奄美のハイビスカスで染めた糸によるくし織。

長月のお茶会に萩文を選んだのですが

寺町寶來堂さんの月釜へ。この季節、テーマは月か菊か。旧暦の重陽の節句までは菊の可能性も大いにあります。かぶらない装いを選ぶの、気を使いますね。でも、色無地は仲居さんにしか見えないので、正式なお席でないかぎり、色無地は選びたくない私です。

濃い藍に白で丸がくりぬかれているのを満月にみたてて単衣を着ていくか、生紬の菊尽くしの着物に、透け感のない帯を締めるか、萩に桔梗が少し描かれている縞のきものに蝶の帯を締めていくか(蝶は萩がお好き)、さんざん迷ったあげく、萩文を選んだのでした。

結果、床のお花に白い桔梗が生けられ、お茶碗のひとつには紫の桔梗が描かれていたのであります。あっちゃー! (最後の写真、お茶碗を持つ私の手のすぐ左に、青い桔梗が描かれているのですした。目立たないけどね)。

しかしながら、この日の気温は31度。夕方からのお席でも、単衣では暑くて耐えられなかったと思います。よって、月のお召しにしないで正解。蝶の帯でさえ、夏の透け感があるものを締めればよかったかもと後悔。ベストは、菊の生紬に、ハイビスカスで染められたサーモンピンクの、くし織の帯がよかったかなあと、いまでも思っております。

 

菊の小紋を纏い、大阪で菊雛(秋の雛)を愛でる

東京で過ごしたがために、重陽節の気分を味わえなかった今年の新暦9月9日。しかし、後日、大阪で、こんな素敵な室礼を拝見することができました。これぞ重陽リベンジ! イベールさん、ありがとうございます。

菊の節句にお雛様を飾る習慣が、古くは南大阪にありました。これを受けて、秋の雛、後の雛、菊雛という季語が存在するほどである。それにあやかって、お人形業界、大人のお雛様とか、還暦のお雛様(真っ赤な装束)とかのキャンペーンを今年あたり頑張ったようですが、簡単には浸透しませんね。

こちらのお宅は、桃を菊に変えて、完璧な雛飾り。すばらしいでしょ。誂えたばかりの菊文の生紬を着て、悦んでいる私です。