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緙室SEN
菱の茶会
こんなに着物を持っているのに、菱の文様、無いなあ。ま、30度超えで暑いし、かといって10月に絽というわけにはゆかず、透けない薄物となれば、萩の着物しかありません。定番、蝶の帯をしめて出向いたのです。
さて、床を見て、びっくり。水に浮かんだ菱の葉は、ホテイアオイを思わせます。葉の形が菱形であることから、そう呼ばれるようです。栄養が豊富で「水中の落花生」とも呼ばれるのだそう。福岡や佐賀の名産で、京都では、深泥池に生息しているそうです。
横に実が並んでいます。かわいらしい。フォーチュンクッキーを思わせる形状です。硬い皮の中の白い実が菱の実。今日の主役です。太宰府の藤丸さんに特注のお菓子で、盛り上がりました。
朔日詣りは由岐神社、下鴨神社、錦天満宮、伏見稲荷大社、八坂神社
鞍馬由岐神社へ。次のコラムは鞍馬の火祭。ゆえに神様にご挨拶。そして、静かな村を散策。由岐神社の神さまは京都御所から鞍馬寺境内に遷られています。平安京の北の守護神とするため、鞍馬が選ばれました。詳細は日曜日公開のアキオとアキコの京都女磨きを読んでね。
由岐神社そのものは鞍馬寺境内の坂道を少し上ったところにありますが、鳥居をくぐって本殿に行くまでに、素戔嗚命が祀られていました。なんか、ほっとします。
叡電で出町柳に着いてから、下鴨神社へ。駅から歩ける距離と思って一の鳥居に進んだけれど、そこから糺の森を抜ける間が長い長い。賀茂の神々、出雲の神様、瀬織津姫にご挨拶してバスの乗り込みました。。
寺町商店街で、額装をお願いしていた自分の作品をピックアップ。書展に提出するため。
一旦帰宅して額を置き、軽く食事をしてから、錦天満宮、伏見稲荷大社、八坂神社と、夜までかかってじっくり参拝。感謝を捧げた一日でした。
朝の御所、巳の日の白雲神社
秋の雲は面白い。毎朝、東山のご来光を拝むようにしているけれど、雲の表情で印象が全く違います。
そのまま散歩に出ればいいのに、ついPCの前で作業を始めてしまうと、出そびれます。今日はかなり無理して、京都御所、いや御所を囲むようにある京都御苑を向かいました。ここは、明治までは公家の家々が並んでいたのです。
京都御苑の中にある白雲神社。西園寺家の弁天様が祀られています。巳の日には早朝7時から神事があり、時々参列させていただいています。なかでも9月は特別で、「巳成金(みなるかね)」と名付けられた特別のお守りが授与されるのです。そのことを昨年、後から知った私は、今年こそと30日、出向いたのでした。すると、どうでしょう。いつもの4倍くらいの人々が参集されていて、一緒に大祓詞を唱えたのでした。
水屋で過ごした一日
鯖を喰らう女
コロナ禍で、ランチのみ外食を続けている。お昼にガッツリ魚や鶏肉を食べ、夜は家であっさり。知り合いのお店もお酒を出せないので、ランチのみの営業が増えたからだ。
もう一つの理由は、飲食店の火力にある。鯖を焼くのも、チキンを焼くのも、家のキッチンでは時間がかかる上、家中に匂いが蔓延してしまう。だから、焼き物は外で食べる。これは以前から続けてきたことだ。
ふと気づくと、週に一度は焼鯖定食。おかげで、「いつもありがとうございます」というセリフが飛び出す。こちらはコロナ禍まで訪れたことがなかった。三条通りのまんざら亭だ。脂ののった鯖が半身、ものすごい火力で焼かれて目の前に出される。突き出しが色々着いてくるのも嬉しい。ひじきを煮るのもごぼうを炊くのも簡単だが、一人だと食べきれない。冬ならまだしも、夏は日持ちがしない。ゆえに、こうして数種食べられるのがありがたいのだ。
一人で訪れるのでいつもカウンターにしていたが、今日は窓際のボックス席に座らせてもらった。窓からは京都文化博物館別館が見える。明治時代、辰野金吾が設計したレンガ造りが青空に映えて美しい。早起きして拝んだ東山のご来光が、この青空を予言していた。
坂東三津五郎丈「楷書の芸」
昨夜テレビをつけたら、NHKの伝統芸能番組に坂東三津五郎丈が取り上げられていた。この番組、高橋英樹さんが司会になってから、面白くなった。ご自分も時代劇、随分演じられているからだ。
スタジオでは「楷書の芸」と評していた。ぴったりの表現だと思う。稽古に稽古を重ねて、技術に裏打ちされた完璧な芸。型がちゃんとしているから、崩すのはそこから。家元として日舞を舞う時の彼は、指の先まで神経が行き渡り、完璧だった。
実は俳句でのご縁。年に5回くらいの句会だったが、皆で金毘羅歌舞伎を見に行ったり、由布院に行ったり、大人の修学旅行、刺激をいっぱい受けて、楽しませていただいた。それがご縁で歌舞伎の舞台、よく拝見したのだが、結果、中村勘三郎丈の芸も目の当たりにすることとなり、私が日本の伝統文化をするための登竜門的時代だったとも思う。
歌舞伎の中堅どころが続けてこの世を去ったことは日本全体に大きな打撃と思うのだが、これは歌舞伎座を新しくしたことと関係あるとするのが、京都の人々の目線。これについては改めて。
白の上布に教えられたこと
この着物が私のもとにやってきて、2つのことを教わりました。
祖母の形見、白の越後上布。15年前、叔母たちと祖母の家で遺品の整理をしたとき、箪笥の中に眠っていたものです。彼女たちは大島紬や訪問日などを選び、夏の薄物には興味を示さなかったので、私が形見として持ち帰ったうちの一枚です。宮古上布と並んで越後上布は高価だと聞かされました。そうとは知らず、私はこの着物を手に入れて、とても嬉しかった。祖母がこの着物を纏っている姿は記憶にないのですが、私の知らない祖母に会える気がしたのでしょう。
最初は、祖母の夏帯をあわせて着ていました。深い翡翠色の帯。日焼けして色あせしていたので裏返してかがってもらい、締めていたのです。上布の着物は果たしていつの時代のものか。祖母の着物は時として縫い糸が弱ってほつけてしまいます。縫い直すなら一度洗い張りに、と呉服屋さんに預けたところ「雪晒し」にしてくれたので、真っ白になって返ってきました。見違えるように真っ白に。それまでは、薄いグレーのような印象だったのに。
「雪晒し」とは、雪の上に布を晒してきれいにする手法。後に現場を見に新潟までお連れいただき、眩しいほどの一面の雪原に反物を次々広げていく光景を目の当たりにしました。薬品を使うわけではありません。自然に任せるだけで、あそこまで白くなるとは――。オゾンの力、おそるべし。先人の知恵に感動しました。
白すぎたら白すぎたで、自分の顔が赤黒く見えてしまうと悩みながらも、盛夏には上布を纏っていた私。ほぼ毎年訪れていた京都の祇園祭の宵山で、上布を涼しげに纏う女将さんたちを見て憧れていたからです。
ところが、その白い上布で歌舞伎座を訪れたときのこと。帰る夜道、寒いと感じたのです。8月20日くらい、第三部を観終えた後、日比谷線で六本木駅で下車した21時過ぎのことでした。若手の納涼歌舞伎が開かれ、中村勘三郎丈と坂東三津五郎丈が頑張っていたころです。日中の陽射しに従い、白の上布を選んだのに、夜風は微妙に秋の気配。麻のサラサラ感が寒いのです。私のからだにまとわりついているはずの上布が妙によそよそしく、かすかなる冷気が私のからだを直撃するのです。おそらく洋服を着ていたら、気づかなかったでしょう。ビルが乱立する東京にいても、上布を纏えば季節を感じることができる。これは驚きでした。
日中の陽射しは真夏でも、夜になると忍び寄る秋の気配。歌舞伎座の帰り道に秋を感じて以来、8月末、夜まで過ごすときには絹、すなわち絽の着物を選ぶようにしています。
絹のきものが温かい話は、また別の日に。
本をダブルで買ってしまう女
まったくもって恥ずかしい話だが、同じ本を2冊買ってしまうことがある。以前は本屋で一冊買って、また別の日に買ってしまうということ。その点、アマゾンは以前にも購入したと教えてくれ有り難いのだが、しかし、新刊本の冊数を2にクリックしていたり、古本を2冊候補にしたままカートに入れて、会計に行ってしまったりするパタンだ。
今回も京都の精進料理という昭和52年刊行の古本で、それをしてしまった。誰か興味のある人に譲るしかない。アホです。