大樋焼 十一代 大樋長左衛門と次期十二代 奈良祐希  初の二代展「祈器(きき)」  @麻布台ヒルズギャラリーカフェ

能登半島地震を受けた北陸の作家たちを応援する展覧会のひとつらしい。先月末の初日、東京に行った折に訪れました。
十一代とは俳句、そしてエンジン01文化戦略会議でご一緒してきたご縁。『京都で、きもの修行』のカバーイラストを描いてくれた、わたせせいぞうさんも。祖母の結城紬を褒めてくれた故・坂東三津五郎丈も、句友です。すごい才能の人々ばかり。
なかでも「進化する男」として最初に頭に浮かぶのが大樋年雄さん、十一代です。今回もやってくれました。多数損壊した歴代作品の破片や断片をコラージュした「転生茶碗」を作り上げたんです。
十二代の「Bone Flower」は私も大好きで京都で個展を開かれた時に小さな器を購入したのですが、今回は、復興への祈願を込めて「能登ヒバ」で制作されています。
能登地震から半年もたたないうちに、これだけの挑戦をされていたのかと、会場に身を置くだけで涙が出てきます。
気球のような茶室は、被災地域で実際に使用されている1時間あまりで設営できる「インスタントハウス」。中を茶室にアレンジされています。先日、こちらで茶会も開かれた模様。
展覧会は23日まで。東京にお住まいの方々は、ぜひ訪れてください。感動します。(今日17日は親子のトークショーが開かれています)

葵祭(賀茂祭)

今日は賀茂祭、葵祭です。

数日前には27度くらいになると予報にあったので、単衣に見える江戸小紋の絽を纏い、葵文の襦袢を着る用意もしておりました。が、雲が空を覆い25度という数値に変更になり、単衣の色無地に、葵文の帯をしめることにしました。

この色無地、私が20代のときに母が用意してくれていたものゆえ、袖幅が短いです。地紋が蝶々なので子どもっぽいと勝手に判断。還暦を過ぎてから纏うようになりました。昭和のきもの用に、同じ袖丈の襦袢を一枚用意しています。きものを仕立て直すより、コストがかからないので。あ、帯は撫松庵さん。大丸京都店でみつけました。葵祭のために葵文を探す目になっていたので(このエピソードは『京都で、きもの修行』に書いています)、明るい色だと次々買い込んでいたのです。

昨年は炎天下の御所で撮影してプチ熱中症になったことに凝りて、今年は控えめに行動しようと計画を立てていたのですが、曇天で過ごしやすく、御所の出発でもよかったかもと思いつつも、丸太町通りを東に向かう行列を追ったのであります。舗装してある道をゆくときは、猛スピードで驚きましたが、車輪がスムーズに動くんですね。

それから地下鉄で北上、北大路からタクシーに乗って上賀茂神社へ。やすらい祭のご一行と出くわして軽く撮影。本殿をはじめ摂社末社に参拝してから招待席の受付を済ませて席を確保。最前列は名前が貼られていて、2列目に座ることに。平安雅楽会の人々とのご縁もあり、今回はお顔を確認しながら東遊を拝見いたしました。

走馬の儀が終わってからの参拝、これが一番大切なのです。12日の御阿礼神事と勅使による天皇の御祭文を受け取った神さまは、大いにパワーアップ。その神気あふれる本殿前で手を合わせるのが最強の祓いです。ひたすら生あることに感謝を捧げ、神山の水を頂いて帰宅したのでした。最初の写真は、その参拝の直後。背後の本殿の神気は凄かったと、分かる人が教えてくれました。キラキラ光って見えるそうですが、私にはわからず。

昨年とかは、葵の小紋で参列いていますが、1日の足沙式に着て雨だったことと、袷で暑いだろうと、洗い張りに出してしまいました。

 

御阿礼神事、御蔭祭

いよいよ15日は、#葵祭
12日には、大切な神事が斉行されました。八瀬の #御蔭神社 より荒御魂を降ろし神馬にお乗せして、#下鴨神社 へ。糺の森にて、東遊(あずまあそび)をお楽しみいただき、本殿にお遷りいただきます。上賀茂神社の御阿礼神事は夜。いずれの神事も秘儀。

今年も籠って執筆の身。が、第一稿を提出して編集者の判断待ちゆえ、久しぶりに金毛院の月釜へ。その後、下鴨神社の御蔭祭へ。糺の森の北側から東遊びを拝見したのでした。そして、楼門のところで神馬をお迎えし(写真)、本殿に入られるのを見送ったのであります。

途中から雨が降り始め、レインコートをまとったために葵の帯を神さまにお見せできなくて残念。この日のコーデは葵祭当日でご確認を。

賀茂競馬(くらべうま)

原稿も気になるので、今年は断念しようかと悩んだものの、上賀茂神社の神事に参列することにした。午後の競馬も観て帰る。5月5日は奇数が重なる日ゆえ、邪気払いは必須。

実は早起きして麩屋町の老舗旅館を巡った。6時前で早すぎたのか、柊屋さんは未だ。しかし、炭屋さんは既に多くの葉菖蒲で屋根を葺いて、軒菖蒲を完成させていた。

菖蒲と競馬の関係は、『京都で、きもの修行』に書いています。ぜひ読んでくださいね。

菖蒲湯のための菖蒲とヨモギを買い忘れたことを思い出し、大丸1階の花屋へ。花市さんは18時で閉店ゆえ。

賀茂競馬 足沙式

5月5日、賀茂競馬(くらべうま)を前に、馬のチェックと試運転をかねた「足沙式」が行われました。「賀茂競馬」については、『京都で、きもの修行』を読んでくださいね。

あいにくの小雨。葵文の小紋を着ていったので、汚れもひどく、洗い張りに出すことにしました。葵祭に着る事も考えましたが、当日は27度との予報。暑くて袷を纏えば汗だくになるので。仕立て直すときには、胴抜き、人形仕立てにするつもり。袖口と裾に八掛けはつくのだけれど、背中と胸が単衣になる仕立て方。ここまで暑いと、5月には、そういう仕立てが重宝するはず。

 

祈器、大樋親子の挑戦

麻布台ヒルズで始まった「祈器」。

能登地震で、大樋美術館に展示してあった先代の受賞作が破壊された。

が、そこから、さらに進化を遂げて、壊れた三代の作品を繋いで新たなやきものを誕生させた。大樋年雄、おそるべし。

息子の奈良祐希は、能登ヒバを使って、彼の得意とする花器を完成させた。そもそも私は彼の作品に興味があり購入していたのだが、能登ヒバと聞いて手を上げたところ、すでに買い手がついているという。

パラシュートのような茶室も用意されていて、そこでお茶会を開く予定だという。初日、中に入れてもらった。不思議と落ち着く。

17日には親子のトークセッションが開かれるという。お時間のある人はぜひ。

 

 

 

神明舎サロン 河井寛次郎茶話会

『京都で、きもの修行』のプロローグに、#神明舎 について触れていますが、#鷺珠江 さんによる「新しい自分が見たい 河井寛次郎茶話会」が開かれました。
いつもは記念館のガラスの中におさまっている寛次郎先生の作品が、床の間に置かれただけで、神明舎の空気がガラリと変わったことにまず驚き、かつ、自分の手で直に触れることができて、器のチカラを改めて思い知った次第。実に貴重な体験でした。
次回作を執筆中の身であり、前日まで東京にいた私は、準備のお手伝いもできず、この講座には一人の参加者として写真に収まっております。
ほかの参加者の方々からも、#河井寛次郎 さんのお孫さんであり記念館館長でもある鷺さんのお人柄と、#寛次郎先生の作品 に触れて、この上なき幸せな時間(とき)を過ごさせた、と大好評でした。ありがとうございます。
寛次郎先生の世界ゆえ、柔らかものではない気がして、母が晩年に着ていた藍のぼかしを纏いました。帯は、#岡文織物製のハチ文。こちらも参加者の方々の注目を集めました。帯の詳細は『京都で、きもの修行』に記しましたので、ご確認くださいね。ハチは、神さまの、お遣いなのです。

京おどり、前夜祭

京都五花街のひとつ宮川町の歌舞練場は現在工事中(ホテルとあわせて隈研吾デザインで進行中)。今年も「京おどり」は春秋座で開かれています。
5日の前夜祭にご招待頂きました(先月末までに提出できているはずだった原稿が気になりつつも)。今藤長十郎先生に感謝。
いやあ、面白かったわ。過去に何度もみているのに、今年のは、なんか楽しかった。お時間あれば、ぜひご覧になってね。
花道の近くで下から拝見。誰も顎がたるんでいないの。羨ましいかぎり。若いときから二重顎の私・・・。
前夜祭ゆえ、入口でご挨拶されていた、お母さん、お姉さんの和服姿に、うっとり。帯も素敵。あ、源氏香図! その日の午前中は「野口」さんで源氏香を体験したばかりだったので、このシンクロがちょっと嬉しかった。
私はといえば、野口さんでの香席を意識して、お扇子と草履の鼻緒を源氏香にしていたのですが、『京都で、きもの修行』に掲載した母の形見の訪問着(本ではトランプの帯)に、タツノオトシゴの帯を締めました。