中日新聞にてご紹介いただきました 感謝

先日朝の能登地震で再び被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、今年この本を上梓できたことに改めて感謝します。
きもの道エッセイでありながら、本当に伝えたいのは、平安時代から連綿と続く、邪気払いと鎮魂を欠かさない京都人の慣習を、全国で取り入れるべきだということ。たまに訪れる東京では、人々が自然への畏怖の念を抱かず、経済効率至上主義に支配され、結果、大災害を誘発しそうで心配です。
紙面は中日新聞6月1日付夕刊です。なぜ私が京都に来たのか、なぜ和服にこだわるのかを書いています。本をお持ちでない方も、まずはこの記事を読んでみてください。中部地方ゆかりの人物による著書の紹介面です。
紙面をスキャンして送ってくださった名古屋の茶友・浅井清司さん(織田家赤母衣衆浅井信濃守末裔)に御礼申し上げます。ありがとうございました。

牛の帯@錦天満宮例祭

アイフォン13プロマックス落下・液晶画面動かず操作できない状態解決に、東京で4日を費やし、しばらく投稿できずにおりました。ようやく復活。アイフォンに収まっていた牛の帯が投稿できることに。

#牛の帯、締めるタイミングは、#錦天満宮 の例祭と、#牛頭天王 の #八坂神社(祇園社) 大祭と決めていました。
デビューは5月25日の錦天満宮例祭。参列者が多いゆえ、翌朝、再び締めて撮影に。早朝は人が少なくて、静かに参拝ができるのです。

さて、ずっと探していた牛の帯。#誉田屋源兵衛 製、#紙布 です。箔も入っているらしい。今年ようやく出会いました。ゆえに、『京都で、きもの修行』には間に合わず。

きものは、セールでみつけた、アラベスクという名の着尺。単衣仕立てです。そもそもスペインの闘牛は、南部の #アンダルシア で盛ん。アルハンブラ宮殿など、イスラームの色濃い地域です。ゆえに、この文様と相性がよいと踏んだのです。

日本の神社に着てもいいのか? と不思議に思われるかもしれませんね。#牛頭天王 はインド由来といわれますが、実は中東とつながっているというのが私の解釈。それについては、いつかまた。

赤い草履は、#ない藤 のトカゲです。こちらも、セールで。

大樋焼 十一代 大樋長左衛門と次期十二代 奈良祐希  初の二代展「祈器(きき)」  @麻布台ヒルズギャラリーカフェ

能登半島地震を受けた北陸の作家たちを応援する展覧会のひとつらしい。先月末の初日、東京に行った折に訪れました。
十一代とは俳句、そしてエンジン01文化戦略会議でご一緒してきたご縁。『京都で、きもの修行』のカバーイラストを描いてくれた、わたせせいぞうさんも。祖母の結城紬を褒めてくれた故・坂東三津五郎丈も、句友です。すごい才能の人々ばかり。
なかでも「進化する男」として最初に頭に浮かぶのが大樋年雄さん、十一代です。今回もやってくれました。多数損壊した歴代作品の破片や断片をコラージュした「転生茶碗」を作り上げたんです。
十二代の「Bone Flower」は私も大好きで京都で個展を開かれた時に小さな器を購入したのですが、今回は、復興への祈願を込めて「能登ヒバ」で制作されています。
能登地震から半年もたたないうちに、これだけの挑戦をされていたのかと、会場に身を置くだけで涙が出てきます。
気球のような茶室は、被災地域で実際に使用されている1時間あまりで設営できる「インスタントハウス」。中を茶室にアレンジされています。先日、こちらで茶会も開かれた模様。
展覧会は23日まで。東京にお住まいの方々は、ぜひ訪れてください。感動します。(今日17日は親子のトークショーが開かれています)

葵祭(賀茂祭)

今日は賀茂祭、葵祭です。

数日前には27度くらいになると予報にあったので、単衣に見える江戸小紋の絽を纏い、葵文の襦袢を着る用意もしておりました。が、雲が空を覆い25度という数値に変更になり、単衣の色無地に、葵文の帯をしめることにしました。

この色無地、私が20代のときに母が用意してくれていたものゆえ、袖幅が短いです。地紋が蝶々なので子どもっぽいと勝手に判断。還暦を過ぎてから纏うようになりました。昭和のきもの用に、同じ袖丈の襦袢を一枚用意しています。きものを仕立て直すより、コストがかからないので。あ、帯は撫松庵さん。大丸京都店でみつけました。葵祭のために葵文を探す目になっていたので(このエピソードは『京都で、きもの修行』に書いています)、明るい色だと次々買い込んでいたのです。

昨年は炎天下の御所で撮影してプチ熱中症になったことに凝りて、今年は控えめに行動しようと計画を立てていたのですが、曇天で過ごしやすく、御所の出発でもよかったかもと思いつつも、丸太町通りを東に向かう行列を追ったのであります。舗装してある道をゆくときは、猛スピードで驚きましたが、車輪がスムーズに動くんですね。

それから地下鉄で北上、北大路からタクシーに乗って上賀茂神社へ。やすらい祭のご一行と出くわして軽く撮影。本殿をはじめ摂社末社に参拝してから招待席の受付を済ませて席を確保。最前列は名前が貼られていて、2列目に座ることに。平安雅楽会の人々とのご縁もあり、今回はお顔を確認しながら東遊を拝見いたしました。

走馬の儀が終わってからの参拝、これが一番大切なのです。12日の御阿礼神事と勅使による天皇の御祭文を受け取った神さまは、大いにパワーアップ。その神気あふれる本殿前で手を合わせるのが最強の祓いです。ひたすら生あることに感謝を捧げ、神山の水を頂いて帰宅したのでした。最初の写真は、その参拝の直後。背後の本殿の神気は凄かったと、分かる人が教えてくれました。キラキラ光って見えるそうですが、私にはわからず。

昨年とかは、葵の小紋で参列いていますが、1日の足沙式に着て雨だったことと、袷で暑いだろうと、洗い張りに出してしまいました。

 

御阿礼神事、御蔭祭

いよいよ15日は、#葵祭
12日には、大切な神事が斉行されました。八瀬の #御蔭神社 より荒御魂を降ろし神馬にお乗せして、#下鴨神社 へ。糺の森にて、東遊(あずまあそび)をお楽しみいただき、本殿にお遷りいただきます。上賀茂神社の御阿礼神事は夜。いずれの神事も秘儀。

今年も籠って執筆の身。が、第一稿を提出して編集者の判断待ちゆえ、久しぶりに金毛院の月釜へ。その後、下鴨神社の御蔭祭へ。糺の森の北側から東遊びを拝見したのでした。そして、楼門のところで神馬をお迎えし(写真)、本殿に入られるのを見送ったのであります。

途中から雨が降り始め、レインコートをまとったために葵の帯を神さまにお見せできなくて残念。この日のコーデは葵祭当日でご確認を。

賀茂競馬(くらべうま)

原稿も気になるので、今年は断念しようかと悩んだものの、上賀茂神社の神事に参列することにした。午後の競馬も観て帰る。5月5日は奇数が重なる日ゆえ、邪気払いは必須。

実は早起きして麩屋町の老舗旅館を巡った。6時前で早すぎたのか、柊屋さんは未だ。しかし、炭屋さんは既に多くの葉菖蒲で屋根を葺いて、軒菖蒲を完成させていた。

菖蒲と競馬の関係は、『京都で、きもの修行』に書いています。ぜひ読んでくださいね。

菖蒲湯のための菖蒲とヨモギを買い忘れたことを思い出し、大丸1階の花屋へ。花市さんは18時で閉店ゆえ。

賀茂競馬 足沙式

5月5日、賀茂競馬(くらべうま)を前に、馬のチェックと試運転をかねた「足沙式」が行われました。「賀茂競馬」については、『京都で、きもの修行』を読んでくださいね。

あいにくの小雨。葵文の小紋を着ていったので、汚れもひどく、洗い張りに出すことにしました。葵祭に着る事も考えましたが、当日は27度との予報。暑くて袷を纏えば汗だくになるので。仕立て直すときには、胴抜き、人形仕立てにするつもり。袖口と裾に八掛けはつくのだけれど、背中と胸が単衣になる仕立て方。ここまで暑いと、5月には、そういう仕立てが重宝するはず。

 

祈器、大樋親子の挑戦

麻布台ヒルズで始まった「祈器」。

能登地震で、大樋美術館に展示してあった先代の受賞作が破壊された。

が、そこから、さらに進化を遂げて、壊れた三代の作品を繋いで新たなやきものを誕生させた。大樋年雄、おそるべし。

息子の奈良祐希は、能登ヒバを使って、彼の得意とする花器を完成させた。そもそも私は彼の作品に興味があり購入していたのだが、能登ヒバと聞いて手を上げたところ、すでに買い手がついているという。

パラシュートのような茶室も用意されていて、そこでお茶会を開く予定だという。初日、中に入れてもらった。不思議と落ち着く。

17日には親子のトークセッションが開かれるという。お時間のある人はぜひ。