東京は蘇ったか

10年ほど前の東京は、なんだかつまらない気がしていた。飽きたと言っても過言ではない。人間が好き勝手なことをして、自然に対して謙虚ではないことに、待ったをかけたのが311のはず。なのに、人びとは、そんなことも忘れて、経済中心の日常を繰り返し始めていたからだ。でも、景気がいいわけではなく、空気は淀んでいた。

9年後に新型コロナウィルスによるパンデミックが発生し、さすがに人類は反省しただろうと思いきや、また元の生活に戻ろうとする力を感じる。懲りないなあ、みんな。

でも、京都を軸に、ときどき東京に戻ってくると、東京の底力を感じるのも事実。若者はオサレで元気だし、街は確実に息を吹き返している。スクラップアンドビルドで次々ビルを建て替えた結果、駄目になっているかといえば、さにあらず。むしろ若返ったと考えるべきだろう。

伊勢神宮が20年に1度、遷宮を繰り返す。常若の考えから来ているが、もしかしたら、オリンピックに向けての建て替え作業は、東京をリセットし、若返らせたのかもしれない。

311の後、景気も悪く、下をうつむいていた30代40代。東京五輪開催を目標に、堂々と前を向いて歩くようになった。コロナによるステイホームで一時、混乱はしたかもしれないが、どうしてどうして、若者たちは楽しそうに街を歩いている。

もちろん、この眩しい男子女子の影で、鬱鬱とした日々を送る人びともいるのだろうが、しかし、元気印が前を歩いてくれる限り、彼らも浮上できる可能性があるのだから。まずは元気な若者を生み出す土壌を作りあげることが大事なのですよ。

東京五輪の後、どんなに落ち込むかと心配していたが、迷いながらの五輪のおかげで、なんとなく元気だよね、東京。この調子で、乗り切れるといいね。

 

 

コロナ禍がなんであったかといえば、人間が増え過ぎたことへの警告であったと言わねばならない。蜜が駄目=人が集うことを禁じられたのだから、私たちはそこを感じ取るべきだ。

どう考えても人口が多い。増えれば開発を考える。地球を荒らす。怒るよね、大家さん。住人がどんどん増えて、マナー悪くて、感謝もなくて。いい加減にしろっていうよね。

少子化を憂いても仕方ないよ。少子化前提に、社会のシステムを考えよう。人間が増えない前提で、皆が幸せになるシステムを考えることこそ、いま求められていることなのに。

ただね、これに乗じて社会システムを悪い方に変えようとするグループもいるわけです。新しい生活様式という名前のもとに、「ワ」を撃つことを癖にさせたり、それを条件にして人の動きを統制したり、これから色々なことがでてくると思うのです。

無理に出産をさせることではなく、すでに生を受けている子どもたちを幸せにすることを考えるのが懸命です。年収960万円の親のもとに生まれた子どもに10万円配るより、年収500万円以下の家の子供に20万円配るほうが、ずっと意味があると思うけれどね。

今日は渋谷でワシントンハイツについてお話します。

空きができて若干名当日でも入れるようです。16時以降、お店にお電話くださいね。

シブレキ!渋谷文化事件調査委員会
第9回 :
渋谷のアメリカ村〜ワシントンハイツがもたらしたもの〜
■ トーク・ゲスト: 秋尾沙戸子(ノンフィクション作家) / 三浦展(社会デザイン研究者)
■ MC: 田中雅之 (『渋谷の秘密』編集者/PARCO出版)
日時:2021年11月18日(木)19:00〜21:30(開場18:30)
会場:渋谷Li-Po
東京都渋谷区渋谷3-22-11 4F-A http://li-po.jp 03-6661-2200
会費 : 予約:2000円+オーダー(当日:2500円+オーダー) ※定員20名・要予約(定員になり次第申し込み締切ます)
ご予約はこちらにて
https://shibureki-09.peatix.com
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■秋尾沙戸子 (あきおさとこ)
ノンフィクション作家。名古屋生まれ。サントリー宣伝部勤務後、テレビキャスターを務める傍ら、民主化を軸に世界各地を歩く。米ジョージタウン大学大学院フェローを経て『ワシントンハイツ:GHQが東京に刻んだ戦後』(日本エッセイスト・クラブ賞)を上梓。他に『運命の長女:スカルノの娘メガワティの半生』(アジア・太平洋賞特別賞)など。海外取材を通して日本の美意識に目覚め現在は京都暮らし。https://akiosatoko.com/
■三浦展 (みうらあつし)
社会デザイン研究者。一橋大学社会学部卒業後1982年株式会社パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年カルチャースタディーズ研究所設立。消費社会、家族、若者、階層、都市・郊外などを研究し、新しい時代を予測し、あるべき社会のデザインを提案している。著書・編著に80 万部のベストセラー『下流社会』のほか『第四の消費』『商業空間は何の夢を見たか』『東京田園モダン』『吉祥寺スタイル』など多数。監修として『渋谷の秘密』がある。

夜明けの京都

朝4時台に起きることに成功した時は大概、前夜早い時間に転寝をしてそのまま寝込んでしまったことが多いのだが、この季節は特に、京都に異国の朝と同じ匂いを感じる。とりわけパリやローマ、ワシントンDCと重なるのだ。

目的が取材であったとしても、異国での日々は非日常。少しでも多くのことを吸収したくて、早起きをする。まだ町が眠っていて、人びとの営みが始まる前の静けさを、五感を最大限に生かして感じ取ろうとするのだ。そんな貪欲な野心に満ちた時間を、早朝の京都に感じることが多い。

だからといって、同じ感覚はNYにはない。東京にもない。やはりワシントンDCか欧州なのだ。きっとNYの気忙しさには、なにか違和感を感じているのかもしれない。東京も違う、NYと東京には、前夜の名残があるのだ。朝までお酒を飲んだ人びとが町を歩いていたりする。車も少なからず走っている。タクシーが見つかれば乗り込む人がいる。あるいは、始発に乗るべく駅に向かう若者たちが複数出歩いている。本当の静寂からは程遠い。

京都の圧倒的な静寂の中、PCに向かっていると睡魔に襲われることもある。そんなときはマンションの扉を開けてエレベーターまで歩く。往復歩行を繰り返す内、細胞が刺激されて脳が動き出す。またPCに向かう。やがて東山が白んできて、カラスが鳴き始め、山の端を橙に染めながら朝日がのぼってくる。この色の変化がたまらないのだ。そのうち、まばゆい光を放つ太陽には、つい手を合わせて感謝したくなる。町家よりマンション暮らしがありがたいと思える瞬間でもある。

 

聖徳太子千四百年大遠忌記念の池坊展「和と美」 

聖徳太子千四百年大遠忌記念の池坊展「和と美」。初日と日曜日の2回、伺いました。月曜日までです。お時間のある方はぜひ。
聖徳太子の遠忌とコロナ禍を受けて、より皆さん力が入っていた印象。とりわけ家元、次期家元の作品には命への思いが強く込められていた気がして、深く感銘を受けました。花材が元気な初日に伺いましたが、それから4日経ったら、なお枯れていく様子にさらなる美しさが感じられ、華道家元池坊の奥の深さを改めて認識。日本の伝統文化は、歳を重ねてようやく理解が及ぶ事が多いと思い知るこの頃です。
今回は「明日の京都」のフォーラムで事務総長にご登壇頂いた関係で、私の視座が進化したのかもしれません。写真は初日の次期家元の作品の一部です。全体を確かめに、ぜひ足を運んでくださいませね。
六角堂はご近所なので、参拝率が高い私。聖徳太子にも必ず手を合わせておりますが、普段は生花と結びつけることもなく過ぎていきます。今回、資料室では日ごろ公開されない聖徳太子像を拝め、池坊との関係を再確認できました。初日11時からの法要では本堂の前に並びましたが、中ではお家元の池坊専永氏が如意輪観音へ松の立花を生けられたようです。桃と松、どっちが好きなの?というエピソードにもつながっていきます。
会館では作庭家の小川勝章さんに遭遇。欲を言えば、作庭家は何を思ってご覧になっていたのか訊きたかったけれど、さすがにご遠慮。
最終日には呈茶はないのが残念だけれど、ぜひ。

上賀茂神社の相嘗祭

上賀茂神社の「相嘗祭」に参列。本殿には獲れたての稲穂が頭をしたに掲げられていました。神事に参列された方が少なかったこともあり、本殿前は神気にあふれていて、神さまが悦んでおられるのが伝わってきました。

纏ったのは青の色無地。稲穂の帯をしめています。秋晴れの空に獲れたての稲のイメージで。

その年の新穀と新酒を伊勢の天照大神に奉られるのが「神嘗祭」。天皇がとくに信仰された全国71座の神々に奉られる祭儀が「相嘗祭」。天皇ご自身が召し上がるのが「新嘗祭」。戦後、新嘗祭は「勤労感謝の日」と呼び名を変えられ、日本人のお米への感謝意識が消えていきました。が、天皇はいまでも、この新嘗祭が終わるまで新米を口にされないそうです。

社務所に戻り、直会で頂いた神酒は白酒。できたての新酒ゆえ、白くにごっています。なんともありがたい。実は先日のフォーラム、進行がうまくゆかなかったと落ち込んでおりましたが、そういう迷いを祓っていただけた気がしています。

神事の終わりには参列者に向けて必ず宮司さんのご挨拶があるのですが、その後、個人的にお声をかけていただき、しばし応接で歓談させていただきました。元旦の歳旦祭以来です。

その後、境内の摂社末社に手を合わせてまわりました。ならの小川沿いにある小さな社殿には、素戔嗚命、瀬織津姫がおわします。今回、京都展に提出する書は瀬織津姫神。夕方表具の打ち合わせの行く前に、ご挨拶させていただいた次第。瀬織津姫は、大祓詞に登場します。罪穢れを川に流してくれる女神様です。

ベルリンの壁崩壊から32年、白雲神社で火焚祭&湯立神事

日本時間では、今日がベルリンの壁が開いて32年。共産党独裁政権を倒して自由を手にしてから、彼らは幸せになったのかどうか。ドイツでは、コロナがまた感染拡大が深刻となりつつあり、かつ、アラブの春の際に入れてしまった移民の問題が尾を引いています。

とはいえ、ミャンマーでは突然、軍事政権が再び権力を握り、アフガニスタンでは米軍が撤退を始めたらタリバンが政権を奪取したことを思えば、旧東ドイツの人びとは自由が奪われたわけではありません。このまま平和が続くことを祈ります。

その点、日本は恵まれています。コロナの被害も少なく、自由は担保されています。自分で考え判断する習慣さえ持ち続ければ、いざという時にも自力で判断し、生き延びることが可能です。神仏に感謝を捧げ、謙虚に生きていけば、きっとだいじょうぶ。

京都御苑にある白雲神社では、火焚祭&湯立神楽が斎行されます。琵琶との縁が深かった弁財天さまが祀られた神社が御苑の中に残っているのです。この日、京都にいられた私は、湯立神楽のお湯を浴びて、無病息災を祈ってきました。

 

夜の二条城へ

なにより、外国人観光客で混み合う前の、ライトアップされた唐門と二の丸庭園を堪能できるのが嬉しい。次に、自分が歩いた後に光がついてくるという不思議な世界に突入。和服でも洋服でも色無地ででかけると、いろいろな文様が楽しめます。最後は、「食堂おがわ」の鯖寿司をお土産にして、城内では、アッシュの大きなカツサンド(岐阜県産の養老豚、500円)を頬ばるのがオススメ。ぜひ、おでかけください。
このイベントは、古くからある日本各地の伝統文化を見直し、革新的なクリエイティブやテクノロジーを掛け合わせる「JAPANESQUE PROJECT(ジャパネスクプロジェクト)」の一環としてご開催されているとのこと。企画したのは京都の会社で、1→10 (ワントゥーテン)。クリエイティブAIが生み出す“国内最大級”の巨大インタラクティブ・ランドアート、大人でも、ちょっとおもしろい。
青の着物は、ぼかしの色無地。金色地の栗文の帯は、ライトアップされた二条城によく合いました。あまりにキンキラしていて、銀座のヴィンテージ着物「かわの屋」さんがデパート催事に出した折に、なかなか売れなかった代物です。最終日まで残ってくれていて、私のもとに。お値段とっても可愛かったのに。

お火焚きの季節

11月8日は伏見稲荷大社火焚祭の日。「アキオとアキコの京都女磨き」に書いたように、伏見稲荷のお火焚きは3部構成です。

午後の1部2部は「明日の京都文化遺産プラットフォーム」フォーラムと重なり、終了後、3部を観に伏見まで出向きました。本殿前で火を焚きながらの宮中神楽の再現。いい感じです。

火と水で祓いをするというのは神道の考えだけれど、炎をみつけてみるだけで癒やされる気がするのは、その場に存在するだけで祓われるからだろうか。たとえば密教の護摩焚きを始め日本の宗教行事に火を用いるのは、仏教伝来の段階でゾロアスター教の影響を受けたからと思われるが、そうした歴史や理屈抜きで、炎には魅力がある。「鬼滅の刃」の作者も、そこを理解していたのではないか。

前日は貴船神社、10日は白雲神社、18日は上御霊神社、22日は広隆寺、23日はあちらこちら。京都においでの際は、どこかの火焚祭も覗いてみて。

いよいよ明日、フォーラムが開催されます。

いやあ、どうしましょう。祇園囃子が聞こえてきました。おそらく鷹山さん。三条通りからです。見に行きたいけれど、私は明日の準備中。

「明日の京都文化遺産プラットフォーム」主催のフォーラム「感染症を乗り越える:道の文化と京の歴史」がいよいよ明日に迫ってきました。パネルディスカッションの進行役を担っているのです。表千家十五代家元、華道家元池坊事務総長、志野流香道二十一代家元後嗣によるパネルを仕切るの、緊張します。太田光さんにならないように、言葉をちゃんと選ばなければ。

と思ったら、事務局から電話が入り、舞台を事前に見ませんか?とのこと。立命館朱雀キャンパスに向かったのであります。

立冬とは思えぬ暖かさ。無事にいい話を聞き出せますように。